境界例とはなにか Ver. 1.4 2002/05/04 原因とメカニズム ( 境界例 Borderline Case ) ( 境界性人格障害 Borderline Personality Disorder )
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■特徴 境界例(境界性人格障害)になぜ「境界」(ボーダーライン)などという名前が付いたのかというと、最初のころ神経症と精神病の境界領域の症状を指して境界例と呼んでいたからです。しかし、今では境界性人格障害として一つの臨床単位となっています。症状は非常に多彩で、一見何の問題もないような人から、アダルト・チルドレンと言われるような症状や、リストカット(手首を切る自殺未遂)を繰り返すケースや、幻覚や妄想を伴って、まるで分裂病かと思われるような激しいものまであります。全体的には心の不安定さや急激に変化しやすい感情などが特徴です。多数の研究者が、幼いころの母親との関係が原因であると考えています。有名人で境界例と思われる人には、あのダイアナ妃をはじめとして、他にもたくさんいるようです。 人口の約2パーセントが境界例と言われていますので、単純計算しますと、日本では約250万人が境界例の問題を抱えていることになります。 境界例の特徴としては下記のようなものがあります。
・ 自分の生き方がわからない。
しかし、子どもの方はどう思うでしょうか。不安と恐怖を覚えると同時に、依存をもてあそばれたことに対する言いようのない不快感と憤りを感じたりします。しかし、親に向かって怒りを表現することは、さらに「見捨てられる」事態を招いてしまいますので、憤りの感情は強く押さえ込まれてしまいます。そして、この憤りの感情は後に治療場面で大きな意味を持ってきます。 この「見捨てる」という脅しは、精神的な虐待や、ひどい場合は肉体的な虐待となってはっきりと現れることもありますが、逆にそれとはわからないように巧妙に隠蔽されいる場合もたくさんあります。たとえば、子どもが《自発的》に何かをやり遂げようとするとき、うまくやり遂げられるかどうかを必要以上に過剰に心配したりします。このような過保護の親は、子どものためを思って心配しているのですが、その言動とは裏腹に、まるで失敗することを望んでいるかのような心配の仕方になってしまうのです。このような過剰な心配は、子どもの失敗することへの不安を増大させてしまい、結果として親の「本心」が望んでいる通りに《自発的》な行為を失敗させることに成功してしまいます。そして、親は子どもの失敗を一緒になって嘆きながら、子どもとの甘美な一体感を味わうことに成功するのです。 親は脅しというムチだけではなくて、アメも使います。自立をあきらめた褒美としてさまざまな「甘やかし」を与えるのです。あるいは、自立しようとしている子どもの目の前で、親に依存することがいかに楽かを見せびらかして、子どもの精神的な自立を失敗させようとすることもあります。馬の目の前にニンジンをぶら下げて誘導しようというわけです。 見捨てるという脅しが子どもの心に与える影響は、「自分は親から見捨てられてしまうような、愛される価値のない人間なんだ」という、間違った考えを形成してしまうことです。そして、親が自分に対して取った態度を、子どもは自分自身に対しても取るようになります。つまり、自分で自分を見捨ててしまうのです。 こういった一連のメカニズムによって、親からの精神的な分離が恐怖となり、自分が何者なのか分からないような混沌とした自己イメージを作り上げてゆきます。そして、このメカニズムが抱えている様々な問題点は、子どもが成長して青年期に達したときに一気に表面化します。なぜなら、この時期こそ親からの分離を否応なく求められるからです。思春期の性の目覚め。社会人としての生活。恋愛と結婚。あらゆる面で自立しなければならないのですが、長年にわたって親から刷り込まれた歪んだメカニズムから抜け出すことができずに苦しむことになります。このように、境界例は原因が乳幼児期にあるのに、青年期になってから問題が表面化するため「青年期境界例」と呼ばれることもあります。 今まで母親の影響を中心に書いてきましたが、もちろん母親だけでなく、父親や周囲にいる人たちの影響も無視できません。 なぜこういうメカニズムが発生するのかというと、母親自身も境界例、あるいは潜在的な境界例なのです。ですから、自分自身の分離不安が赤ん坊に映し出されてしまうのです。そして、自分がかつて親からされたような陰険な手口を自分の子どもに対しても使うのです。かつて被害者だった体験から、不安でオドオドしたときの心理状態は充分に理解していますので、「見捨てる」という脅しの使い方は実にツボを得たものとなるのです。このようにして、境界例は世代間を伝達されてゆきます。 TOP へ戻る ■苦痛回避の行動パターン 親から見捨てられるという、分離不安を煽ることを目的とした脅しを受け取ったとき、子どもはどんな心理状態になるでしょうか。
その心理状態とは、自分が消えてしまうような恐怖感、堪え難い孤立感、悲しみや惨めさ、見放された絶望感、侮辱されたような憤り、不安をもてあそぶ親への憎しみ、いたたまれない気持ち、あまりにも不快でむしゃくしゃするような居心地の悪さ、そういった諸々の感情がないまぜになっています。この心理状態を回避する手段として、以下のようなさまざまなパターンがあります。 このタイプの人でも、一見自分の主義主張を持っているように見える人もいますが、それはすべて他人からの借り物で、自分の本当の考えというものを持っていません。たとえば、学者でこんな論文を書く人がいます。あの人はこう言っている、この人はこう言っていると言う風に、やたらと他人の論文の解説をくどくどと繰り返すばかりで、自分自身の主張というものがまったく見えてきません。「だから、お前自身は何を言いたいんだー!」と叫びたくなるような人です。 親の人生観や価値観をそのまま受け入れて生きているため、たとえば親の虚栄心に盲従して、一流大学を出て一流企業に入ったものの、社会に出てから妙な息苦しさを覚えたりすることがあります。他人からみれば表面的にはまったく問題がないように見えますが、本人は乳幼児期から刷り込まれ続けてきた問題に、やっと気付き始めているのです。
「世話焼き女房タイプ」
このような人は、たとえばアル中のような問題を抱えた人とペアになることがあります。「私が手を差し伸べてやらなければ、この人はダメになってしまう」という思いから回復の手助けをするのですが、相手が回復してしまえば自分が必要とされなくなるという悩ましい問題にぶつかってしまいます。そこで、境界例特有の乳幼児期の母子関係が再現されることとなるのです。自分が相手にしがみついていたいので、相手にも自分にしがみつくように無意識的に誘導してしまうのです。自立を助ける振りをしながら、逆に自立が失敗する方向へと誘導するのです。こうして、助ける人と助けられる人の、波乱万丈の甘い依存関係が続いていきます。また、二人の間に第三者が入ってくると、パートナーを横取りされるではないかという疑いから、排他的になってしまい、二人だけの閉鎖的な関係に執着することもあります。 これほど激しい怒りではなくても、たとえば社会的な不正や不条理に対する怒りといった形で現れたりもします。境界例の人は、他人から見捨てられることを常に警戒していますので、他人の心に潜む欺瞞を見抜くことに優れていたりするのですが、攻撃的な面が出てきますと相手に対する配慮がなく、ズケズケとものを言ったりします。挑発的であることが多く、治療場面では、医師が患者から感情を逆撫でするようなことを言われたり、医師の治療行為の矛盾を指摘して抗議したり、他の患者や看護婦を扇動して病院側と団体交渉を要求したりと、実に扱い難いことこの上ないような行動に出ることもあります。ちょっとしたことが見捨てられることに結びついて、侮辱されたような感じになり、激しい怒りの感情を呼び覚ますからです。健全な攻撃性というのは、自分の利益を守るためになされるものですが、境界例の人の攻撃は、自分で自分を見捨てているために、攻撃によって自分がどんなに不利になろうとも、そういうことにはまったく無頓着だったりします。
この怒りが社会の不正を暴くと言った方向に向かえば、世の中のためにもなりますし、社会的にも受け入れられるのですが、たとえば恋愛関係などで、自分を見捨てようとする恋人に怒りをぶつけたりしますと、それがストーカーのようになる場合もあります。見捨てられたくなくてまとわりついてゆく一方で、見捨てようとする人への激しい怒りをあらわにしたりするのは、乳幼児期の母子関係がそのまま投影されているからでしょう。
健全な人の快楽と違う点は、自分で自分を見捨てている点です。度を越した飲酒は健康を損ないます。行きずりのセックスを繰り返すと性病の危険が伴いますし、暴走行為は事故につながります。ギャンブルにのめり込みすぎると財産を失います。でも、そんな危険性はどうでもいいのです。自分を紙切れのように軽く考えているので、自分の安全を守ったり大切にしたりすることがありません。一見大胆で勇敢な行動のように見えることもありますが、自分に降りかかる危険性が見えていないだけなのです。そして、彼らは安全圏にいる人たちを馬鹿にします。快楽型の重症な人は、やがて身を切るような快楽によってしか、自分の存在が確認できなくなっていきます。世話焼き女房タイプの人と出会えればいいのですが、孤独のままでいますと、廃人への入り口が、扉を開けて待っています。 子供の場合も部屋に閉じこもったきり外に出なければ、親と顔を合わせなくてすみますし、見捨てられる不安や親が自分に依存させようとするコントロールから逃れることができます。部屋に閉じこもっていると不便ではありますが、それよりも苦痛から逃れる方を優先してしまうのです。それだけ苦痛が大きいのです。
あるいはこれほど極端でなくても、人間関係の中で、見捨てられたり裏切られたりする場面に直面しそうになると、そうなる前に自ら身を引いてしまうケースがあります。そうすれば相手から見捨てられるという苦痛に直面せずにすみますが、人間関係を次々に失っていったり、転職を繰り返したりといった不利益が発生します。しかし、そんな不利益よりも、見捨てられるような状況に我慢ができないのです。そして、すべての関係から身を引いて、再び新しい理想的な関係を求めます。自分にとって都合の悪いことがあると、そのたびに人生のリセットボタンを押すのですが、年齢を重ねるにつれてやり直しのきかないことが多くなってゆきます。 だれからも愛される人という、ありもしない架空の人物像に憧れたり、理想的な恋人との巡り合わせを願ったりします。現実をありのままに見ることができないため、たとえば、たちの悪いヒモに貢ぐ女のように、相手の男を理想的な男に仕立ててしまいます。周囲の人が「利用されて捨てられるだけだよ」と注意しても耳を貸しません。 見捨てられる不安の反動として、理想的な関係を求めても、それが現実とずれたものであれば、非常に不安定で崩れやすいものとなります。たとえば、理想の恋人だったはずの人が、ある日突然大嫌いな人に変わったりします。無限に自分を受け入れてくれる人か、あるいは自分を見捨てようとする邪悪な人か、どちらかしかなくなります。中間がありません。愛し合っていたのに、突然恋人を罵ったり罵倒したりします。かと思えば、急に自分の非を詫びて甘い関係を取り戻そうとしたりします。まるでジェットコースターに乗っているように感情が激しく変動するので、恋人は散々振り回されることになります。こうなると、恋愛は波乱万丈のドラマになってきます。このドラマのエネルギー源は、見捨てる親と、受け入れてくれる親の、その両極端がダイナミックに分裂したままで統合されていない点にあります。
理想と、苦痛に満ちた現実との分離が極端にひどくなりますと、一時的に精神が分裂したようになります。堪え難い苦痛に満ちた自分を否定し、これは私ではないと自分自身から切り離してしまうのですが、いろいろと無理があるために、心の中で神と悪魔の妄想が飛び交いはじめます。誰もいないはずの隣りの部屋から、自分を馬鹿にする声が聞こえてきたりします。 たとえば幸せそうな他人を見たときに、ついつい自分と比較してしまい、自分は不幸な見捨てられた人間なんだと思ってしまいます。他人は他人、自分は自分、人生は人それぞれなのですが、そのような考え方ができません。ときには羨ましさから、幸せな人の足を引っ張ったりします。 また、なにかの選考に自分が漏れたような場合にも、まるで自分の存在そのものが見捨てられたように感じることもあります。まだ他にチャンスがある時でも、見捨てられたんだという絶望感が支配してしまい、希望を持とうとしなくなってしまいます。 他人からちょっと批判されたりすると、すぐに見捨てられること結びついて絶望したり、あるいは逆に怒り出したり、復讐行動に出たりします。別に人格を否定されたわけでもないのですが、状況を冷静に判断できずに、過剰な反応をしてしまいます。 現実への対処能力が低いために、いろいろと失敗をしやすいのですが、その失敗がさらに見捨てられ感を強化します。まだ希望が残っているのに、どうせダメなんだと思い込んで人生のチャンスを自らつぶしてしまいます。 見捨てられる恐怖によって、親からの精神的な分離独立が阻害されたままですので、自分が何者なのかわかりません。また、何者かになることもできません。私は誰なのか、どうしてここにいるのか、と問い続けますが、答えが出ません。 境界例からの回復のためには、まず最初にこう言った日常生活の中に潜んでいる過剰な見捨てられ感をチェックすることが必要になります。
親に見捨てられたからと言っても、なにも自分で自分を見捨てることはないのです。そんな馬鹿げたことをやる必要はないのです。親から言われたからと言って、なにもわざわざ自分の不利になるようなことをする必要はまったくないのです。とは言っても、長年にわたって刷り込まれてきた間違った考え方を修正することは容易ではありません。精神科医でさえ苦労しているのに、そんなに簡単に解決できるはずがありません。しかし、少なくともこのメカニズムを知ることで、少しは人生が良い方向に向かうようになるでしょう。 ■医学的な診断基準 医学的な境界例の診断は、下記の項目をチェックすることで行なわれます。この境界例の診断基準は厳しすぎるという人いますし、逆に際限なく境界例の範囲を広げてゆくことを警戒する人もいます。 TOP へ戻る 境界性人格障害の診断基準 アメリカ精神医学会 DSM−IV 対人関係、自己像、感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で、成人早期に始まり、種々の状況で明らかになる。 以下のうち、五つ(またはそれ以上)で示される。
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