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すべてか無か、白か黒かの世界
  グレーゾーンのない極端な世界
2002年01月30日 ver1.0

 これも境界例の特徴の一つなのですが、なにごとにも極端から極端へと移行してしまい、中間というものがないのです。白か黒かのどちらかの世界しかなくて、その間にあるはずのグレーゾーンというものがないのです。そして、すべてか無かという、二つの選択肢しか持ち合わせていないのです。

 自分が気に入ったものでも、ちょっとでも気に入らないところがあると、簡単にすべてを放り出してしまうのです。価値観が、理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動いたり、機嫌が良かったかと思うと、突然不機嫌になったりします。人によっては、はしゃぎ回ったかと思うと、そのあとで急にふさぎ込んだりして、まるで躁うつ病のようになることもあります。万能感と無力感。熱烈な好意と極端な憎悪。そういった極端な状態から極端状態へと、短絡的に移行してしまうのです。そして、人間関係に付きものの、微妙な心の機微とか、微妙なニュアンスとか、そういったものがないのです。

 理想化の状態にある時は、どこかしら舞い上がったような、地に足が着いていないような状態になります。これは「すべてが良い」という状態なのです。たとえば恋人が、まったく欠点のない理想的な恋人であるように思えたり、周囲の人たちがすべて善良で親切な人に見えたりします。あるいは、ダイエットとか英会話とか、そういったものと取り組むことで、自分が理想的な人間に生まれ変わるような幻想を抱いたりするのです。このようなことは、現実離れしているのですが、本人にとっては、絵に描いたような理想の世界が、今まさに扉を開けて自分を待っているかのように思えるのです。そして、自分がとても有能な人間のように思えたりするのです。

 しかし、そのあとで事態が急変したりするのです。そして、今度は「すべてが悪い」という状態になります。理想的な恋人が、突然、きわめて卑劣で悪質な人に見えてくるのです。きっかけはほんのささいなことなのですが、それが原因となって、「こんな奴はブチ殺してしまえ」などと思うようになったりするのです。あるいは、機嫌が良かったのに、突然キレて罵詈雑言を浴びせたりします。相手の人を、ボロクソにこき下ろして、まるで人間のカスのように扱ったりするのです。そして、この世が悪に満ちているように思えてきて、はびこる不条理に対して、張り裂けんばかりの怒りをあらわにするのです。自己評価の面においても、「すべてが悪い」という状態になりますと、自分が生きる価値のない最低の人間に思えてきて、死にたくなったりするのです。

 このように「すべてが良い」状態と、「すべてが悪い」状態の、両極端の世界を行ったり来たりして、その中間のグレーゾーンというものがないのです。そして、境界例の人はこのような性質を持っているがゆえに、波乱に満ちたトラブルの多い人生を送ることになるのです。しかし、このような人生も、見方を変えれば、大胆な生き方をしているように見えることもありますし、時にはその極端な行動が、時代の流れを変えるきっかけとなったりすることもあるのです。しかし、だいたいにおいては、単なるトラブル・メーカーだったりするのです。そして、我が身の破滅をかえりみることなく、強引に我を押し通しながら、勝手に自滅していくのです。

 このような極端な行動の原因については、分裂機制とか転移とかいった、いろいろな問題が絡んでくるのですが、こういったことについては別のページで取り上げることにして、ここではもう少し分かりやすい対応方法について考えてみましょう。

 境界例の人の中には、精神的に混乱していて、とても自分を見つめるどころではない人もいますが、もし冷静になって自分を見つめることが出来るようになったら、「この場合の、グレーゾーンとはいったい何だろうか」と、自分を振り返って考えてみることです。

 境界例の人の問題点は、極端な行動をとってしまうという点にあるのではなくて、極端な発想しか思い浮かばないという点にあるのです。もしも、極端な行動以外にもたくさんの選択肢が思い浮かんできて、その中からあえて極端な行動を選んだ、というのならいいのですが、境界例の人は、すべてか無かという、そういう極端な発想しか思い浮かばないところに問題があるのです。

 だからといって、何にでも妥協してヘラヘラすればいいということでありませんし、何をするにも抑制した分別くさい行動を取れということでもないのです。生きていくためには、時には毅然とした態度をとる必要もありますし、白黒をはっきりとさせなければならないこともあるのです。ですので、いろいろな選択肢の中から、計算の上で、あえて極端な行動を選んだというのなら、それはそれで一つの個性であると言えるでしょう。しかし、境界例の人の場合は違うのです。極端しか思い浮かばないのです。ほかの選択肢がないのです。

 しかし、自分の行動を振り返ってみて、「あのときの、グレーゾーンとは何か」などと自問してみても、まったく何も思い浮かばなかったりします。グレーゾーンとはいっても、そもそもそれが何を意味しているのかということが、さっぱり分からなかったりするのです。でも、それでもいいのです。この問題は、根の深い問題を含んでいますので、急にどうこうなるようなものでもないのです。ただ、大切なことは、自分を振り返ってみたという、その点にあるのです。これが自分を見つめる第一歩になるのです。

 もしも、グレーゾーンとして、いくつかの選択肢が思い浮かんだとしても、それは自分にとって、あまりにも非現実的であり、とても受け入れ難いものであったりします。あるいは、その選択肢が卑劣で愚劣なものに思えたり、あるいは屈辱的で耐え難い選択肢のように思えたりするのです。そこで、やたらと正義感に燃えたり、プライドを振り回したりして、結局は短絡的で破滅的な選択肢を選んだりするのです。でも、それでもいいのです。ほかの選択肢を思いついたという、そのことが大切なのです。人間は急には変われませんので、失敗を繰り返しながらでも、少しずつやって行くしかありません。

 このことは人物評価や自己評価についても言えることです。相手の人や自分が、「すべて良い」とか、あるいは「すべて悪い」とかではなくて、良いところもあり、悪いところもある、というふうにとらえることが出来ないかと考えてみるのです。とは言っても、こんなカスみたいな奴に良いところなどあるはずがない、というふうになりがちなのですが、それでもいいのです。とりあえず振り返ってみて、ほかの可能性がないかと考えてみることに意義があるのです。

 先に書きましたように、この問題の背景には根の深いものが含まれていますので、「グレーゾーンとは何か」と振り返ってみるだけでは解決できない面もあります。いざとなると、自分でもコントロールできないような激しい衝動に突き動かされて、短絡的な行動に出てしまったりするのです。そして、自分で自分を制御できないという無力感に襲われたりするのです。こういった、心の深い部分にある問題については、あとで少しずつ取り上げていく予定です。


【参考文献】
I Hate You - Don't Leave Me  Understanding the Borderline Personality
  Jerold Jay Kriesman,M.D., and Hal Straus  February 1991 $5.99


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