ホーム思考と行動の問題点


だれか私を見捨ててください
  Ver 1.0 1999/06/11


「我より入らんとする者は、すべての希望を捨てよ。我は地獄に至る門である」  ―― ダンテ 「神曲」


 誰でも見捨てられるのは嫌なものです。特に境界例の人は、見捨てられる不安や恐怖感が人一倍強いので、必死になって見捨てられることを避けようとします。しかし、そういう行為とは正反対に、完全に見捨てられてしまうことで、妙な安らぎを覚えることもあります。その極限の安らぎを求めて、自分で自分を絶望的な状況に追いやることもあります。

 これは、親から刷り込まれた命題によるものと思われます。見捨てられた、絶望的な役割を引き受けることでしか、受け入れてもらえなかった、という状況によって刷り込まれたものです。絶望しきってしまえば、それ以上絶望する心配はありませんので、妙な安らぎを覚えます。しかし、この安らぎというのは、心が凍りつくことによって得られたものです。見捨てられる恐怖感に脅えて不安定だった心が、心が凍てついて固まってしまうことによって獲得された安定なのです。中途半端な夢や希望が、目の前にチラチラしていたりすると崩れてしまいます。すがりつく物が何も無いからこそ得られる安定なのです。地獄を求め、絶望を求め、その修羅場の果てに得られた心の安らぎなのです。

 手首を切りつけ、白い腕を伝ってだらだらと流れ落ちる赤い血を眺めるといった自傷行為も、ある種の安らぎをもたらします。周囲の人がそれを見つけて驚き、あわてふためいて応急処置をしたり、救急車を呼ぶために電話で大声を上げていたりするのを聞いていてると、心が枯れ果てたような安らぎを覚えたりします。周囲の人の叫び声が、凍てついた心を心を確かなものにしてくれます。

「リストカット、つまり橈骨動脈のあたりを切断することは自殺の方法の一つとして古くからあり、決して新しい問題行動ではない。しかし、こういった方法は一瞬のうちに致死に至ることがないために、擬似的な行為として行なわれることが多い」

「リストカットは周囲を驚かせ、関心を自分に引き寄せる効果がある。しかも疼痛がある種の快感やエクスタシーをもたらし、自己愛を満足させる行為である。また、リストカットは幼児的な甘えやわがままを受け止めてくれる対象を喪失して孤立化する事態において起こると考えられる」

  ―― 「子どもの対象喪失」 森省二

 凍てついた心というのは、どこまで本当なのだろうか。人はどこまで絶望することが出来るのだろうか。鬱病や分裂病ならいざ知らず、そうでないのなら、完全に絶望しきることは、希望を持つことと同じくらいに難しいのかもしれない。特に境界例に見られるリストカットのような場合は、周囲の人を驚かせ、自分の抱えている問題に巻き込むことを目的としている。しかし、本人にしてみれば、自殺未遂が演技だなどと言われるのはたまったものではないだろう。そんなことを言う人は、冷酷で残酷な人に見えることだろう。だが、その絶望に打ちひしがれ、凍てついてしまった心の背後には、ある種の計算が潜んでいる。この二重構造に本人は気づいていない。指摘しても、理解するはずもない。周囲の人も見抜けずに振り回される。見抜いていても、万が一間違って死んでしまうこともあるので、やはり、ある程度は振り回されることになる。このような場合は、とりあえず患者との信頼関係を作る必要がある。患者に対しては、見捨てられていないこと、そして、今後も見捨てられる心配がないことを保証してやる必要がある。

 リストカットは、見捨てられた自分を演出するには効果満点である。床に垂れ落ちる赤い血を眺め、絶望という自己陶酔に浸ることが出来る。自分を痛めつけた満足感に浸ることも出来る。束の間の「絶望の安らぎ」を得ることが出来る。そして、リストカットは精神的な行き詰まりを解決する手段として、その後も繰り返されることになる。

 親が完全に見捨ててくれないこともある。はっきりとわかる形で見捨ててくれればあきらめもつくものを、なかなかそうはならなかったりする。ちぐはぐな対応で、子どもを、付かず離れずの状態に留めようとする。見捨てられ不安を抱き続けるような状況に留めようとする。そうすると、子どもの方も、助けてくれるはずのない人に執着することになる。親への幻想が捨てきれず、かなうはずのない希望を抱き続けたりする。このあきらめの付かない状況を救ってくれるのが、絶望である。思い通りにならなず、フラストレーションが極限まで高まって行くと、自ら「絶望」に脱出口を求める。絶望的な状況を作り出すことで、どっち付かずの状態に見切りをつけようとする。思うように絶望に浸ることができないときは、絶望を演出してくれる小説などを読んで、絶望に浸ったりする。

 こういった絶望のナルシズムは、見捨てられる恐怖への防衛となる。最初から希望を持たなければ絶望することもない。絶望してしまえば、それ以上絶望することはない。希望を持つということは、見捨てられる恐怖と向き合うことになる。だから、心を凍りつかせることで、問題を回避しているのだ。しかし、心の底には、甘えたい気持ちや、かまってもらいたいという気持ちや、あるいは抱き締めてもらいたいという気持ち、そう言ったあきらめきれない未熟な未練が残っていたりする。絶望は、その人に大人びた風貌を与えるかもしれないが、心の底に潜んでいるのは、切り捨てたくても切り捨てることの出来ない、愛情への未熟な未練だったりする。だから、絶望に浸ることによって安定していても、愛情らしきものが目の前に現れたりすると、とたんにボロボロになったりする。未解決のまま眠っていた問題が一気に噴き出してくる。この状態は、眠っていた問題を発見するにはもってこいである。防衛機制によって幾重にも覆い隠されいたものが姿を現すからだ。そこからは先は、絶望が自己中心的な甘えの裏返しであることに気付くまで、長い長い自己分析の道のりが待っている。何に対して絶望しているのか、本当は何を望んでいるのか、そう言ったことに気付くまで。



【診断基準】
  5.自殺の行動、そぶり、脅し、または自傷行為の繰返し。

【身近な境界例の人に対する接し方について】
 境界例の人とは信頼関係を作るのが非常に困難です。たとえ信頼関係があったとしても、いきなり問題点を指摘して直面化させることは、ときには破壊的となることもあります。安易に人の心をいじることの危険性を考慮しつつ接する必要があります。

【関連ページ】
 リストカット(手首自傷症候群)  ( 境界例の周辺症状 )

【注意】
 上記の文章は境界例について書いたものですが、自殺には他に、うつ病によるもの、分裂病によるものなどがあります。それぞれ対応方法が違うので、混同しないように注意しなければなりません。



  ホーム思考と行動の問題点