見捨てられた自分を直視できない Ver 1.0 1999/05/27 |
見捨てられた悲惨な自分を見ることは苦痛です。時には死の恐怖と結びついてパニックになったりします。しかし、回復のためには、耐えられる範囲内で少しずつ悲惨な自分を見つめていかなければなりません。 見捨てられた自分とはどんな姿をしているのでしょうか。 もう一人の自分とは、あまりにも醜い虫けらのようなものかもしれません。誰からも愛されることのないような醜い姿をしているのです。その虫けらはあなた自身の赤ん坊のころの姿かもしれません。真っ暗闇の中に置き去りにされて、泣いても叫んでもだれも来てくれなくて絶望感的になっています。その虫けらは迫り来る死の恐怖に対して、ただ脅えながら殺されるのを待っていることしか出来ません。自分の死が迫っているというのに、自分では何も出来ないという無力感に打ちひしがれているのです。死神に叩きつぶされるのをただ待っているだけの虫けらなのです。この虫けらを愛せますか。可愛いところなどどこにもありません。醜悪な姿をさらけ出し、ただ恐怖におびえているだけの虫けらを好きになれますか。この哀れな虫けらを助けてやれるのはあなた自身しかいないのです。あなたは、この醜い虫けらに救いの手を差し伸べてやることが出来ますか。 あるいは、見捨てられた自分とは、汚れた捨て猫のようなものかもしれません。 ガリガリに痩せていて、化膿した傷口からは膿や血が出ているし、目やにで目が見えなくなっていて、毛にこびりついた汚物は悪臭を放っています。この世から見放された捨て猫は、誰もいない野原で寒さに凍えながら自分の死を待っています。もしそこに誰かがいたとしても、触ることはおろか、近付くことさえためらうような汚くて醜い猫です。でも、この猫を助けてやれるのは、あなた自身しかいないのです。悪臭がするこの猫を抱いてやることができますか。あなたは、自分の服が汚れるのを嫌うかもしれませんし、なにか変な病気が移るのではないかと思うと恐くなるかもしれません。この猫を抱いたりしたらあなたの服は膿や血で汚れ、汚物が付着し、あなた自身にも悪臭が移ってしまいます。考えただけでも怖じけ付いてしまいます。あにたは何も見なかったことにして、この場を立ち去ってしまいたくなるかもしれません。しかし、この哀れな猫を救ってやれるのはあなたしかいないのです。見捨てられた孤独な猫を抱き締めてやれるのは、あなた自身「しか」いないのです。 身体を洗ってやって傷口を治療してやっても、完全には元に戻らないかもしれません。傷だらけでグロテスクで、とても人前に出せるような猫ではないかもしれません。どうせ猫を飼うなら、かわいい猫の方がいいでしょう。しかし、この捨てられた猫はあなた自身なのです。あなた自身が手を差し伸べてやらなかったら、いったい誰がこの猫を助けることが出来るのでしょうか。助けることが出来るのは、この世に、あなた自身「しか」いないのです。 愛されることもなく見捨てられてしまった自分自身の姿を見つめるのは、たしかに辛い作業かもしれませんが、時間をかけて少しずつ自分自身との付き合い方を学んでゆくしかありません。いままで恐怖感や嫌悪感から目をそらしていたのが、おそるおそるではあっても、なんとか面倒を看てやることで少しずつ愛着が湧いて来ることでしょう。不格好でみっともない姿をした虫けらや捨て猫は、他の人からどう思われるか知りませんが、そんなことは気にすることはありません。あなたにとって、この世でたった一人のかけがえのないパートナーなのです。 あなたの日常生活の中に哀れな虫けらや、捨てられた猫が潜んでいませんか。心の中に潜んでいる虫けらや捨て猫を捜し出して、救いの手を差し伸べてやれるのは、……。
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