産んでいれば自分にとって大切な愛情対象となっていたはずの赤ん坊を、いろいろな事情から堕胎してしまったことへの償いの言葉がたくさん書かれている。増上寺に立ち寄ったときは絵馬を見たりしているのだが、書き写すのもなにか冒涜しているようで気が引けるので、民俗学の本から引用する。
Mchanへ 一年に一回しかこれなくて、ごめんね また今年二人で来ました パパも反省しているみたいなので許してあげてネ、また来ます、本当にごめんなさい
来るのがおくれてしまい、申しわけない。たぐちのばかとけんかしていたんだ。やさしくしてくれないよ。(略)又、来ます。ごめんなさい。(略)元気にしていてください。牛乳とクッキー食べてね。
Rちゃんごめんね、あなたを守ってあげられなかったママを許してね(略)あなたはいつまでもママの子よ、パパと二人であなたを守っているから、さみしがったりしないでね、泣いちゃダメよ(略)ママはあなたのパパと一緒になって一生あなたのことを二人で愛し続けるから
愛するRちゃんへ 永遠に安らかに眠ってね!!
生まれていれば、今日が三才のお誕生日ですね。あなたを生めなかったバツなのでしょうか、大好きな人とは一緒になれませんでした。ごめんね。本当にごめんなさい。忘れないからね。一人でも、私は、生きてゆくから
短い文章の中に、それぞれの置かれた状況が表われている。自分の手で葬り去ってしまった事に対する赤ん坊への謝罪と、やむなく赤ん坊を失うことになった自分自身の悲しみが書かれている。生まれていれば飲んだであろう牛乳などをお供え物としてあげたりすることで、自分の心の空白を埋めようとしている。安らかに眠ってね、と声をかけることで、自分自身の悲しみを癒そうとしている。
おそらく心の傷が癒えるには長い時間がかかるだろう。しかし、水子供養という儀式を通して、悲しみが少しずつ和らいでいって、やがて赤ん坊が心の中に定着してゆく。ごめんなさいと謝り続けることで、赤ん坊は親の罪を許してくれる赤ん坊へと徐々に変わってゆく。「パパと二人であなたを守っているから、寂しがったりしないでね」と語りかけることで、赤ん坊になにもしてあげられなかったという罪悪感が少しずつ癒されてゆく。おそらく、これらのたどたどしい文章の背後には、たくさんの涙が流されたことだろう。悲しみは悲しむことで癒されてゆく。供養の儀式を通して、少しずつ自分の心が整理されて落ち着きを取り戻してゆく。そして、最後には、赤ん坊は親の心の中で、良い対象として定着する。

増上寺の水子地蔵
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あなたの命をほうむった私を許してください、あなたが生まれてくる予定だった八月初めには、必ず水子供養に来ます。私とあなたのお父さんをイツマデモ見守ってください。ゴメンナサイ
六月八日 赤ちゃんへ
いけない恋であなたが、お腹にでき、好きなのに好きな人の子供、あなたを生めなくて、ごめんなさい……。好きになったことはこうかいしていないけど 生めなかったことにこうかいしています。今とてもつらいの……ママを許して……そして、たすけて……あなたの分もしあわせになりたいのに……ママに力を下さい……
Tへ Tごめんなさい 同じくり返しはもうしたくありません。
パパとは別れることにしましたが、Tのことは忘れません。
天国でみんなに可愛がって もらってネ
お母さんを見守ってください。
理屈から言えば、自分で堕胎しておきながら、お母さんを見守ってくださいと言うのは矛盾している。しかし、心の中では悲しみの作業を通して、赤ん坊が許しを与えてくれる神のような存在へと浄化されてゆく。泣いたりお供え物をしたりすることで、自分の罪悪感が涙とともに洗い流されて、赤ん坊が良い存在として心の中に描かれてゆく。これは悲しみを乗り越えるための重要な精神的プロセスである。そして、人生の困難な問題に直面して、ママに力を下さい、とすがりつく対象とさえなる。
境界例の立場から見てみると、堕胎された赤ん坊というのは、見捨てられてしまった自分自身とだぶる部分がある。親たちがたどたどしい言葉ではあるが真剣に「ごめんなさい」と謝っている部分に、見捨てられた自分としてどう応えるのか、考えさせられる。見捨てられたことへの恨み――それも、いつかは許す時が来なければならないだろう……。

増上寺の水子地蔵
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【絵馬の文章を引用した文献】
「不思議谷の子供たち」 森栗茂一 新人物往来社 1995.3.10. ¥2000-
【写真】
私が後日撮影したもの。ファイルサイズを小さくするため、画質を少し落としています。