ホーム思考と行動の問題点


精神的な誕生について  Ver 1.0 1999/05/25

 境界例のあいまいな自我のあり方や、不適切な現実認識を修正するには、乳幼児期に失敗した母親との精神的な分離をもう一度やり直すしかありません。健全な幼児は、精神の成長に伴って、母親と自分との自他の区別がつかないような赤ん坊の精神状態から脱して、自分は母親とは別の独立した存在であることを発見します。自我が母親から分離し、自分が一個の独立した存在であることを理解します。そして、自分という存在は自分だけが所有することのできるものであるという感覚を楽しむようになります。そして、自分の力で現実の問題に対処しようとします。これは、母親の子宮から出てくるという肉体的な誕生のプロセスが、精神的な面においても成し遂げられたということなのです。つまり、精神的な意味でのこの世への誕生と言えるでしょう。

 ところが母親の操作によって、見捨てられる不安を植えつけられてしまったような場合は、精神的に分離独立するというプロセスがうまく成し遂げられていません。見捨てられる不安から、精神的に母親や母親に代わるものなどに必死にしがみつこうとしています。そこで、回復のためには精神的にしがみついているものを手放さなければなりません。しがみついているものから離れることの不安や恐怖と向き合い、幼いころに失敗した分離独立に再挑戦するしかありません。たしかに、見捨てられるという脅しによって植えつけられた不安は実に強大ですが、この不安と向かい合って克服して行くしかないのです。もちろん一気に不安を克服することは出来ません。見捨てられ不安を発掘して、少しずつ「直面化」して行くことによって、間違った現実認識を修正し、精神の誕生に向かって歩いて行くのです。境界例の人は、問題点をうまく指摘してやりさえすれば正しい現実認識を持てる能力がありますので、直面化を繰り返すことによって精神の分離独立、つまり精神の誕生を成し遂げることが出来るのです。

 思考や行動の中に潜んでいる見捨てられる不安や恐怖を発掘して、少しずつ間違った刷り込みが修正されて行くと、やがて自我の誕生とも言える、ある一線を越えたような体験をします。これは本人がはっきりと自覚できるような体験です。今までの自分とは違う、新しい自分、精神的に独立した一個の人間であるという、いままでにない感覚に目覚めます。まだこの時点ではたくさんの問題を抱えていて、非常に不安定ではありますが、精神的な分離独立がどういうものであるかということを感覚的に体験することによって、これから自分が進んで行くべき道のりを展望することが出来るようになります。視界が開けることによって、目の前にはこれから越えなければならない険しい山や谷が見えて来るのですが、いままでと違って、苦しみながらもなんとか乗り越えて行けるのではないかという自信を持つことが出来るようになります。まだ不安定な状態であっても、自分が変わったということを自覚できるようになり、自分の抱えている現実の困難な問題に対しても自分の力でなんとか対処していこうとします。

 このような精神的な誕生を体験するには、さまざまな困難があります。見捨てられ不安は直接的な形で現れずに、巧妙に形を変えて思考や行動の中に潜んでいます。こういったものを発掘するには専門的な操作が必要となります。そして、見捨てられ不安が発掘されても、本人は不安や脅えから必死になって何かにしがみつこうとします。何かにしがみついてしまえば、とりあえず不安は解消するのですが、乗り越えなければならない問題は隠されてしまいます。そこでしがみついてる状態を直面化して、そこに潜んでいる見捨てられ不安を発掘しなければなりません。この作業を繰り返し行なっていかなければなりません。一人でやり遂げるのは非常に困難です。自分で自分をごまかしてしまい、理由をつけて「直面化」を避けるからです。たとえばヒーリングとか癒しとかは一時的に不安や恐怖をかばってくれますが、その状態を理想化してしがみつき、「自分は直った」というふうに自分をごまかしてしまうと、そのごまかしに気付くのが難しくなるかも知れません。しがみつきを発掘して「直面化」するという作業が継続されない限り本質的な解決にはなりません。しかし、たしかに一人でやるには困難な作業ではありますが、様々なしがみつきや自分をごまかすパターンを知識として知っていることによって、不充分ではあってもある程度は前進することが出来るのではないかと思います。



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