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赤ちゃんへの愛着行動の発達
  Ver 1.0 1999/12/12


 乳幼児精神医学のさまざまな研究は、出産直後に母親と赤ちゃんが、できるだけたくさんの接触を持つことの重要性を指摘しています。たとえば、産院で普通の扱いで出産した母子と、出産直後から普段よりも余分に接触の機会を与えた母子とでは、その後の母親の赤ちゃんに対する愛着を示す行動に、明らかな差がでてくるというのです。赤ちゃんと視線を合わせたり、抱いてゆすったり、いろいろな言葉で話しかけたり、ほっぺにキスしたり、といったような、愛情を示す行動が多くなるのです。これは、たとえば予定外の妊娠や、望まない妊娠であっても、出産直後から普段の取り扱いよりも余分な接触の機会を設けてやることで、その後の育児行動に差がでてきます。また、接触の機会を増やすことで、育児行動の異常が、減ってきます。

 接触はできるだけ早い時間の方がいいようで、出産直後の数時間とか数日以内に余分な接触を多く持つことで、母親らしい行動が増してくるのです。たとえば、出産直後の三時間以内に、裸の赤ちゃんを母親のそばに1時間だけ置くというような、ほんのちょっといつものパターンよりも余分な接触の機会を設けてやるだけで、その後の母親の育児行動に、差が出てくるのです。なぜこのようなことが起こるのかということについては、出産後の一定時間以内に「刷り込み」が起こるからではないかとか推測されています。出産して間もない時期を逃してしまうと、このような効果が見られないからです。しかし、このような現象は刷り込み理論を持ち出さなくても、私たちは体験的に理解できます。たとえ望んだ妊娠であろうとなかろうと、出産は女性にとっては、それこそ体を張った大仕事です。その大仕事を終えた感激のまだ覚めないうちに、赤ちゃんと一緒の時間を増やしてやることで、赤ちゃんと連帯感を持つことができます。赤ちゃんを見つめながら「お前も大変な思いをして出てきたんだね」とか、「お互いに大変だったけど、よく頑張ったね」とか、さまざまな思いを巡らせることで、赤ちゃんとの強い連帯感や一体感といったものが育まれるのだと思います。出産直後の、母親の感情が高揚した状態であればあるほど、この連帯感は強いものになるのではないでしょうか。そして、手を伸ばして赤ちゃんに触れてみて、赤ちゃんの反応を楽しんだりすることで、「私の赤ちゃん」という実感が生まれるのではないでしょうか。このようにして、出産直後の接触の機会を増やせば増やすほど、母性的な行動を促すような刺激が余分に母親に与えられることになり、その結果、その後の愛情行動が増え、母子の絆がより強いものになるのだと思います。そして、言葉では言い表せないような、心の結びつきが育まれるのです。ですから、出産後の数時間以内、あるいは数日以内という期間に、より多くの接触を持つことが大切なのです。日にちが経って感情の高揚が覚めてしまってから、赤ちゃんとの接触の機会を増やしても、これほどの効果を示さないのは当然のことであると思われます。

 このようにして、母親の愛着行動が増えることによって、赤ちゃんの精神の発達に与える影響は大きなものがあります。母親の愛着行動が増えれば、育児行動も健全なものになりますので、母子関係がうまくいかないことからくる虐待が減りますし、子どもの発達障害も減ってきます。子供が大きくなってからも、精神的な問題を抱えることがより少なくなってきます。

 とは言っても、今の産院の状態はどうなっているのでしょうか。私は詳しいことは知りませんが、出産をただの医療行為のひとつとしか考えず、このような母子の心の絆に対する配慮のないところが結構あるのではないでしょうか。医者の勤務時間に合わせて、薬で出産する時間を調節したりするという話も聞きますので、薬に頼ったり、検査機械に頼ったりすることが多いようです。もっと人間の心に対する配慮がほしいところです。母親の方にしても、設備の整った病院で出産した方が格好いいとか、昔みたいに家で産婆さんにみてもらいながら出産するなんてダサイとかいう風潮がありますので、昔の時代ほどには出産時の感激というものが少なくなっているのではないかと思います。ですので、それを補うためにも、母子の心の絆の形成には十分な配慮が求められるところです。

 母親の育児行動が促進されることによって、母子相互作用と呼ばれているものが育ってきます。母子関係がうまく行っていれば、赤ちゃんの反応や、赤ちゃんの成長が、母親にとって育児をすることへの心理的な報酬となってくるのです。そして、母親と赤ちゃんが互いに喜びを与えたり、与えられたりして、お互いに影響しあいながら成長していくのです。こういう状態というのは、母親にとって育児が楽しいものとして感じられます。しかし、最初の母子関係がうまく行かないと、「育児を楽しむ」どころではなくなってきます。特に望まない妊娠の時などに、出産直後の接触が不十分だったりしますと、赤ん坊に対して悪い感情がそのまま投影されたりします。あるいは、はじめての出産の時などに、これから産れてくる赤ちゃんの姿をあれこれと想像していたのに、実際に産れてきた赤ちゃんの顔を見たら、ふやけたような冴えない顔をしているので、ガッカリしたとか、そういういろいろな思いが、母子の接触によって解消されないまま残ったりします。そうすると「お前は産れたときから可愛くなかった」とか「どうしても赤ちゃんを好きになれなかった」とか言う状態になりやすくなります。こうなると、赤ちゃんのさまざまな動作が、いちいち気にくわなくなったりします。たとえば、おむつを替えるときに、赤ちゃんが手足を動かしたりしますと、可愛いと感じるのではなくて、オムツの交換を邪魔しようとしていると感じて、赤ちゃんをひっぱたいたりします。こういう状態になりますと、赤ちゃんに心の面での発達障害が生じやすくなってきます。

 また、赤ちゃんはまったくの白紙で産れてくるのではなくて、何らかの気質を持ってくまれてくることが知られています。おそらく脳の成長や胎内にいたときの影響などによるものではないかと思いますが、不安感の少ない比較的安定した赤ちゃんと、不安感が強くてすぐにぐずついたりする赤ちゃんがいるのです。こういう赤ちゃんの器質に対して、母親がどういうふうにかかわっていくのかということも、重要な意味を持ってきます。不安感の強い赤ちゃんでも、母親がうまく相手に合わせて対応してゆけば、赤ちゃんの不安感は低減していって順調に発育していくのですが、母親も心の問題を抱えていたりして、不安感の強い赤ちゃんに余裕を持って接触することができず、お互いの相互作用もうまくいかなくなると、赤ちゃんにさまざまな問題が生じてきます。こういった赤ちゃんの発達障害の問題に関しては、また別の所で書きます。

 赤ちゃんと母親との関係は、いったいどの時点から始まっているのだろうかと言うと、おそらく赤ちゃんが胎内にいるころからではないだろうかと言うことは容易に想像がつきます。そこで胎内にいるときの赤ちゃんが、どれだけ外界から影響を受けるか調べるために、女性の子宮の中にマイクを入れてみますと、意外にはっきりと外部の音が聞こえていることが分かりました。ということは、胎教で、おなかの赤ちゃんに話しかけてやると、赤ちゃんに聞こえていることになります。また、出産直後の赤ちゃんに、母親が優しく話しかけると、ピタリと泣きやんで安らかな顔になるという現象も知られています。これも、おそらく子宮から押し出されてパニックになっている状態の時に、胎内で聞き慣れていた母親の声が聞こえてきたので、ほっと安心するのではないかと思われます。

 また、こんな不思議な現象も観察されています。なにかの本で読んだのですが、超音波で胎児を見ていますと、男の子の場合、ペニスを勃起させているケースがあるということです。観察例は非常に少ないのですが、間違いなくこのような現象は存在するとのことです。これが何を意味しているのかまではまだ分かっていません。もしかして子宮の中で興奮しているのでしょうか。まさか、ねぇ。胎児期のことに関しては、まだまだ分からないことがたくさんあります。

 胎児期の影響と言えば、以前テレビでこんなシーンを放送していました。堕胎に訪れた男女のカップルを、医師がなんとか説得しようとしているのですが、女性の方は産みたいと思っているのに男性の方が降ろすことを主張していて、らちがあきません。そこで超音波の画像を見せて説得を続けました。すると男性は、画面に映し出された自分の赤ちゃんの画像を見て感動して、産むことに同意したのです。母親のほうは、産んでもいいことになったので、感激して泣いて喜びました。するとどうでしょう、画面に映し出された赤ちゃんが、それまでは死んだようにじっとしていたのに、産んでもいいことになった途端に、突然活発に動き始めたのです。まるで、母親と一緒になって喜んでいるようにも見えます。母親の気持ちがなんらかの形で赤ちゃんに伝わったからなのでしょうか。これも、まだよくわからない現象です。

 これとは正反対に、不幸な出産をしたケースを人から聞いたことがあります。ある女性が、好きになった男と駆け落ちして、二人だけで暮らしているうちに妊娠したのですが、妊娠中に二人の関係がぎくしゃくしてきました。そして、彼女が出産のために産院に入院している最中に、男が別れを告げに来ました。そして、彼女は失意のどん底で、たった一人で出産したのです。その後、親との関係も断たれたまま、一人で子供を育てていたのですが、子どもが二三才になったころ、女性はある男性と付き合い始めました。子どもはその男性に親しみを覚えて、よくなついたのですが、その男性が自宅に帰ろうとすると、子どもはパニックになって必死にしがみついてきて、気が狂ったように凄まじく泣き叫ぶとのことでした。詳しいことは分かりませんが、子どもは、まるで共生精神病を思わせるような状態のようです。出産時のあまりにも悲しくて孤独な状況。さらに、その後の孤独な育児の状態などが影響しているのではないかと思われます。

 このような出産前の胎児と母親の関係、あるいは出産後の赤ちゃんへの影響などについては、さかんにいろいろな研究がされていますので、やがて少しずつ母子関係の形成と、子どもの発達障害の関係、そして大人になったときの心の問題との関係などが検証されてゆくと思います。また、精神分析の理論も、いままでは「本当に患者の言うような出来事があったのかどうか検証できない」という理由から、非科学的であるとされることも多かったのですが、乳幼児精神医学の分野では、その精神分析の理論が「実証」されようとしているのです。乳幼児精神医学は、国際学界ができてからまだ二十年足らずの新しい分野ですので、今後のさらなる発展が期待されるところです。

 いま、核家族化が進んで、出産前に赤ちゃんと接する機会が減ったせいか、赤ちゃんの抱き方が分からないとか、赤ちゃんをどう扱ったらいいのか分からないとか、あるいは、赤ちゃんの取扱説明書が欲しいとか言う人が増えているようです。出産時の愛着がうまく形成されて、その後の母子関係がうまく行っていれば、何も難しいことなどないのです。赤ちゃんの視点に立って、赤ちゃんが何を望んでいるのかを理解することができればいいのです。たとえば、内田春菊という漫画家がいますが、彼女が育児に目覚めた時のシーンがたいへん興味深いので、参考までにその場面を引用してみます。彼女は最初、赤ちゃんの扱い方が分からずに、泣き続ける赤ちゃんによって精神的にどんどん追い詰められていきます。そして、「やめて! 気が狂いそうだよ!」と叫んだその時、彼女はあることに気づいたのです。
(マンガのコマの文章ですので、句読点や改行などは、適当にアレンジしました)


「あっ」
 ここまで追いつめられて、やっと気づいた。
 息子がなぜこんなに泣いているのか。なぜ散歩すると泣きやんで眠るのか。なぜ車に乗せ、走り回ると眠るのか。なぜ明りを見せたり、立ったり歩いたりして揺すると眠るのか。そして、なぜ座っていてはだめなのか。BFがテレビを見ながらうとうとしたり、眠りについたりしたいのと同じで、この子も眠る前にいろいろ見て楽しみたいのだ。私が「あー、ねむ」とか言いながら、寝るぎりぎりまで本を読みたいのと同じだったのだ。そして、それは、大人になって忘れていた、意識が遠ざかっていくおそろしさ、死んでいくことを連想させる眠りの前の寂しさをいやすためのいろいろだったはずだ。
「そうだったのか…。人間ってこんなに小さくても、死ぬのがこわい生きものなんだなあ」
 どおりで、ほとんど眠りそうなときほど持ち直してはひどく泣くわけだ。
 そういえば子供のころ、寝る前になると寂しい気持ちになって、いつかは死ぬんだ、どうしよう、とか思って泣いたりしたっけなあ。
 それに気づいてから、突然育児が楽になった。
「フェッ、フェッ」
「おー、きたきた。最近なかったからなー。今日は思いっきりつきあってやるぞ。よーしよしよし」
 だんだんコツもつかめてきた。
 ―― 中略 ――
 不思議な生きもののような気がしていた赤んぼが、急に身近に思えてきた。
「同じ人間なんだもんねえ」
 ―― 「私たちは繁殖している」 内田春菊 より

 赤ちゃんは、生きることのすべてを他人に依存していますので、大人である私たち以上に、死の恐怖に敏感です。そういう赤ちゃんの気持ちを理解して、人間としてつきあっていけばいいのです。ところが、これがうまく行かないと、赤ちゃんの心にさまざまな歪みを残してしまい、それが心の障害となっていきます。乳幼児精神医学の研究では、このような赤ちゃんの心に障害が作られてゆくプロセスが分かってきました。家庭という育児の現場で、心の病が作られてゆくのです。分裂病やうつ病は、乳幼児期の育児過程で形成されるのだということが、解明されつつあるのです。


【参考文献】
 「乳幼児精神医学」 J.D.コール他 岩崎学術出版 1988.11.19
 「乳幼児:ダイナミックな世界と発達」 渡辺久子 他 安田生命社会事業団 1995.4.1
 「私たちは繁殖している」 内田春菊 ぶんか社 1994.6.25 \951


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