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分裂病の母親に育てられた
赤ん坊の研究 Ver 1.0 1999/12/09


 乳幼児精神医学の分野で、非常に興味深いことが報告されています。それは、分裂病の母親によって育てられた赤ん坊の発達障害に関する研究の中で「不思議なこと」として、いくつかの例が報告されているのです。分裂病の母親によって、支離滅裂な育てられ方をされますと、大多数の赤ん坊は何らかの発達障害を見せるのですが、時として、母親の非常に混乱した扱い方にもかかわらず、その影響をまったく受けていないような赤ん坊がいるというのです。悪い影響を受けていないだけではなくて、逆に精神の発達が優秀であったりするのです。

 これらの優秀児に共通してみられることは、生後六ヶ月くらいの間、母親が育児に対して異常なほど没頭するということです。この育児への没頭は並外れたもので、赤ん坊に対して相当な集中力を示すようなのです。では、その様子を引用してみましょう。

「あたかも、赤ん坊に、母性的養育の基本を教えようとするかのように、彼女らは育児の一つ一つのステップをはっきりと注意深く言葉に出して子どもに語る。(「さあ、おむつをかえますよ……さあ安全ピンをはずしますからね……これは気をつけないと……さあお尻をふいてきれいにしましょうね……さあお粉をはたいて気持ちよくしてあげましょう」)。母親はまるでそうやって学んだり、教えたり、伝えたりしているかのようであり、赤ん坊はしばしば並外れた集中力でその様子に聞き入っている。」
 ―― 「乳幼児精神医学」JDコール他 より

 このような母親の育児への没頭は、あまり長期間は続かないようで、生後六ヶ月を過ぎたころから、支離滅裂な育児行動を取ったりするようなのです。しかし、赤ん坊は、この人生初期の母親による異常な没頭によって、その後のストレスに対する抵抗力を持つようになり、ひどい扱いをされたとしても、それらの影響をまったく受けずに、優秀なる精神の成長を見せるのです。

 これはいったい何を意味しているのだろうかと言うことに、非常に興味をそそられます。おそらく生後六ヶ月という期間が、心の基礎を作る上で、たいへん重要な意味を持っているからだと思われます。ということは、この時期さえ育児をきちんとやっておけば、あとは多少の手抜きをしても大丈夫ということになります。とは言っても、このような報告はまだ断片的なものですので、優秀な発達を見せた子供の追跡調査なども含めて、もっと体系的な研究がなされる必要があるでしょう。それに、私たちは「異常」と言われるほどには育児に没頭することができません。おそらく、彼女たちは心の病ゆえに、このような異常な集中力を見せるのでしょう。もしかしたら、自分自身が赤ん坊のころにひどい扱いを受けたので、その失われた赤ん坊時代を取り戻そうとしているのかもしれません。自分が世話をしてもらいたかったのに、してもらえなかったという恨みが、赤ん坊の世話に没頭することで発散されているのかもしれません。そして、この時期の赤ん坊というのは自分では何もできませんので、母親にとっては、自分と他人の区別の無いような一体感を得ることができるのではないでしょうか。しかし、六ヶ月を過ぎて、赤ん坊の自立的な運動が発達してくると、赤ん坊が自分とは違った個人であることが認識されてしまい、それまでの無限の一体感が崩れてしまうのかもしれません。しかし、赤ん坊にとっては、この間に人生にとってかけがえのないものを母親から与えられたことになります。

 普通の人は、育児に没頭しようとしても、日常生活のさまざまな出来事がありますので、そういったことを振り払ってまで没頭することができません。しかし、一部の分裂病の母親が見せる育児への没頭を、多少でも見習って、そのまねごとでもしてみれば、それなりの効果があるかもしれません。赤ちゃんに接するときに、その時の自分の動作や気持ちを、一つ一つ言葉にして、それを噛んで含めるようにして、優しく語りかけてみるのです。育児とはこうやってするものなんだよと教えてあげるかのように、その都度言葉にして語りかけてみるのです。こうやって語りかけることで、母親自身にとっても、赤ちゃんへの愛着を、さらに増幅させるという効果があるでしょう。赤ちゃんの方も、言葉はまだ理解できなくても、母親の発する声や表情などのさまざまな情報から、この世には、自分を生かしてくれる存在があるのだ、自分はこの世に受け入れられているのだ、という確固とした確信を形成することができるのです。

 境界例である私たちは、このような良い母親のイメージを心に植えつけることに失敗しています。精神的な困難に直面しても、心の奥から聞こえてくる、良い母親からの励ましや、慰めの言葉がありません。このような、私たちの心の中に住んでいる見捨てられた赤ん坊に対して、先の分裂病の母親のようにして、自分で自分に語りかけてみるのもいいかもしれません。自分の心の中にいる見捨てられた赤ん坊に対して、自分自身で良い母親役を演じてみるのです。
「さあ、あなたは一人ではないんですよ。本当のお母さんはここにいるんですよ。いつでもここにいるんですよ」
「さあ、心の中で、その小さな手を伸ばしてごらんなさい。本当のお母さんは、いつでもあなたの手の届くところにいるんですよ」



【参考文献】
 「乳幼児精神医学」 J.D.コール他 岩崎学術出版 1988.11.19
    ( 上記収録の「狂った環境下の乳児期」 E.J.Anthony より  )

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