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歪んだ育児行動の治療  (2)
  Ver 1.0 2000/01/19


 この母親は4ヵ月の赤ちゃんを連れて治療を受けにやってきました。育児関係のこじれから、赤ちゃんは母親と目を合わせようとしませんし、母親を避けています。母親の方も、同じように赤ちゃんに近づくのを恐れているようです。赤ちゃんに触れることを避け、赤ちゃんを抱こうともしません。赤ちゃんの世話を夫にまかせています。お互いが相手を避けようとしていますので、これでは二人の関係がうまくいくはずがありません。母親に話を聞いてみますと、自分が赤ちゃんを殺してしまうのではないかと恐れていることが分かりました。どうやら、赤ちゃんに対して破壊的な感情を持っていて、その感情が赤ちゃんに向かってしまうことを恐れているようです。ですから、赤ちゃんを避けることで、赤ちゃんを自分の破壊的な衝動から守ろうとしていたのでした。実際に、彼女は治療場面でも激しい怒りを爆発させたりすることがありました。その怒りは治療者だけではなくて、すべての人に無差別に向けられていて、それが激しくなると、時には赤ちゃんに危害を及ぼすこともあったのです。

 では、なぜこのような破壊的な感情を持つようになったのでしょうか。そこで、今まで紹介したケースのように、母親に過去を語ってもらいます。しかし、彼女はなかなか幼いころのことを思い出せません。彼女はただ家族の厄介者としての自分を思い出すだけでした。そこで、セラピストはひとつの仮説を立てました。その仮説とは、もし彼女が幼いころの恐怖感や無力感を思い出すことができたら、自分自身の無力な赤ちゃんに対しても思いやりのある接し方ができるのではないか、というものです。そこで治療場面では不安や恐怖を思い出しても大丈夫なように彼女の安全を保証し、幼いころの苦痛に満ちた出来事を回想すことを助けてやります。すると、彼女の過去が徐々に明らかになってきます。それは、親からの残虐な虐待に満ちたものでした。そして、親に関する思い出のほとんどが、サディズムと遺棄の繰り返しで成り立っていました。つまり、今現在彼女のそばで、母親に見捨てられて泣き続けている赤ちゃんは、ほかでもない彼女自身の幼いころの姿そのものだったのです。そこで、彼女が自分の過去を語りながら、幼いころの苦痛と恐怖を再体験するときに、セラピストが保護者的な愛情を持って接してやるのです。そうすることで、彼女は赤ちゃんへの接し方を見つけることができるのです。つまり、自分の幼いころの不安や恐怖をセラピストが受け入れてくれたことで、彼女自身も、セラピストが自分にしてくれたのと同じようにして、赤ちゃんの不安や恐怖感に対して共感を持って接することが出来るようになるのです。いままで虐待的な接し方しか知らなかった彼女が、生まれてはじめて愛情のある接し方をしてもらえたことで、赤ちゃんに対しても愛情を持って接することが出来るようになるのです。ですから、このようなひどい環境で育ってきた母親に向かって、「もっと愛情を持って接しなさい」と説教するだけではダメなのです。愛情のある接し方を、まったく体験していないのですから、そうしろと言われても、どうやっていいのかまるで分かりません。そこで、セラピストが母親代わりになって、彼女が幼いころの出来事を再体験しているときに、母親のように優しく接してやるのです。そうすることで、愛情のある接し方とか、共感的な態度とかを体験的に学習させてあげるのです。

 このケースでは、母親の心の問題の他に、学習という要素が入っています。赤ちゃんへの接し方が分からないようなケースでは、治療の過程で教えてやらなければなりません。虐待的な環境で育ってきた母親は、母ちゃんへの接し方を知らなかったり、育児に関して歪んだ認識を持っていたりするのです。たとえば、プレールームで「さあ、赤ちゃんを可愛がってください」と言われた母親が、赤ちゃんに向かって「かわいい」と言ってキスするのですが、普段やったことのないようなことをするもので、動作がぎこちなくて、赤ちゃんの方はキスで口をふさがれて窒息しそうになったりします。そして、赤ちゃんと遊ぶときもなんとなく不自然です。たとえば、おしゃぶりを口に近付けて、赤ちゃんが吸い付こうとするとパッと離してじらしたりします。これをはたから見ていると、ただ単にいじめているだけように見えるのですが、母親としては、精いっぱい可愛がっている「つもり」なのです。この母親は、人が見ている場所でこの程度の愛情表現ですから、誰も見ていないところでは、おそらくかなりひどいことをやっているのではないかと思われます。こういう母親は、おそらく虐待的な家庭で育ってきたために、このような接し方しか知らないのです。こういう母親に対して、愛情を持って接しなさいと言っても、それは無理というものです。自分自身が歪んだ育てられ方をしてきたために、歪んだ育てかたしか知らないのです。

 人によっては、自分は親のようになりたくないとか、子どもには自分のような辛い思いをさせたくないとか思ったりすることもあります。しかし、「親のようにはなりたくない」とは思っても、悪い親の見本は鮮明に心に焼きついているのですが、じゃ具体的にどうやって赤ちゃんに接すればいいのかというと、手本となるものがないために、どうしていいのかさっぱり分からないということが多いのです。そして、実際に赤ちゃんに接するときになると、どうしても鮮明に焼きついている悪い親の見本のように行動してしまうのです。では、どうしたらいいのかといいますと、先程書きましたように、教えればいいのです。赤ちゃんへの接し方、あるいは赤ちゃんとはどういうものなのかとか、赤ちゃんは何を感じているのか、この月齢の赤ちゃんはどの程度の能力があるのかとか、そういうことを治療しながら教えてやるのです。これが、母親への精神療法と並んで、もうひとつの重要な治療技法である「発達ガイダンス」と呼ばれているものです。実際問題として、歪んだ育児行動の修復には、母親への精神療法だけでは対応できないケースもいろいろあるのです。前回紹介したように、母親の心にわだかまりがあることが分かれば、それを精神分析の手法を使って解決することも出来ますが、たとえば母親が分裂病であるとか、うつ病や境界例のような人格障害をもっている場合には、そう簡単に母親の心の問題を解決することは出来ません。そこでこの発達ガイダンスによって、歪んだ育児行動や育児に対する間違った考え方を修正してやるのです。発達ガイダンスは、母親の心の問題を解決するものではありませんが、間違った接し方が修正されることで、母子関係が良好なものになり、その結果として、赤ちゃんの発達障害がずっと低減されますし、母親にとっても、赤ちゃんの存在が心の問題を緩和してくれます。ですから、心の問題を抱えているからと言って赤ちゃんを産んではいけないなどということはないのです。適切な指導をしてやれば、良好な母子関係を持つことが出来るのです。

 この発達ガイダンスは、精神療法と平行して使うことで、前回紹介したような短期間での治療を可能にしています。母親が自分の心の問題にとらわれていますと、赤ちゃんに心を開くことが出来ないので、育児に関して間違った認識を持ちやすくなります。そんなときに、発達ガイダンスの一つのやり方として、赤ちゃんの置かれている精神状態を説明してやるのです。たとえば、セラピストが赤ちゃんの気持ちを母親に通訳してあげるのです。「ママは私にとって世界で一番大切な人なんだよ」というふうにして、まだ言葉を話せない赤ちゃんの気持ちを、母親に伝えてあげるのです。そうすると母親によっては、このような赤ちゃんの気持ちを知ることで、驚いたようにして、「私は、人から大切な人だなんて言われたのは、生まれて初めてです」という人もいます。この母親は、このような赤ちゃんの気持ちを「知る」ことで、赤ちゃんに対する接し方が変わってきます。この世に何十億の人間がいようとも、赤ちゃんにとっては、お母さんというのは、この世でたった一人のかけがえのない人なのです。大切な大切な存在なのです。こういう赤ちゃんの気持ちを理解することで、母親にとっても、赤ちゃんがかけがえのない存在へと変化してゆくのです。

 赤ちゃん気持ちを通訳すると同時に、状況に応じて赤ちゃんの発達段階についても説明していきます。たとえば、母親がちょっと部屋を出ようとしたときに、赤ちゃんがすぐに泣き出したりしますと、母親は赤ちゃんが甘えていると感じたりします。こういうときに、セラピストは二人の間に入って、赤ちゃんに対しては「お母さんはすぐ帰ってくるんだよ」と優しく語りかけて安心させ、お母さんに対しては「もしあなたに、とても愛している人がいるとしたら、その人が去ってゆくのを見るのは辛いでしょう」というふうに、母親が赤ちゃんの気持ちを理解できるように助言してやります。そして、赤ちゃんの分離不安についての説明や、この年齢の赤ちゃんには、母親が目の前から消えてしまっても、まだ近くにいるのだということが理解できないことなどを説明し、赤ちゃんと離れるときにはどうしたら赤ちゃんが不安を抱かずにすむのかを母親に考えさせます。発達ガイダンスは、決して説教的であってはなりません。非指示的なやり方で、ヒントを与えながら母親の自発的な思考を促すのです。では、こういう場合、母親は赤ちゃんに対して、どのようにしたらいいのでしょうか。

 赤ちゃんにとって、母親は特別な恋人のような存在です。目の前から消えてしまうと、まるで二度と戻ってこないのではないかというような不安に駆られます。これは恋人同士が、逢引の時間が過ぎて、別れなければならない時間になっときの状況に似ています。ロミオが、夜中にジュリエットの屋敷に忍び込んで、有名なバルコニーのシーンを演じたあとで、去らなければならなくなっても、なかなか去ることが出来ずに、お互いにそこでぐすぐすします。ロミオが去ろうとすると、ジュリエットがすぐに「待って、ロミオ!」と呼び止め、ロミオの方も去り難い気持ちからそこで立ち止まって、「オレの魂がオレの名を呼んでいる、〜」などと格好いいことを言ったりして、お互いに何度も愛を確認し合いながら別れます。ところが、もし、ジュリエットが虐待的な母親のようにして、「また後で会えるんだから、甘えるんじゃないの!」と言って、ロミオをひっぱたいたりしたら、ふたりの愛はたちまち壊れてしまいます。あるいは、ロミオがはじめてジュリエットに出会ったときに、「ともし火はあの娘に輝く術を教わるがいい」とかなんとか言って、一目ぼれしてしまった男の弱みから、ジュリエットに突き放されてしまったりすると、ますますジュリエットにまとわりついていって、そのうちストーカーみたいになってしまうかもしれません。分離不安の強い赤ちゃんは、母親が目の前から去ろうとするたびに、心の中でロミオとジュリエットのようなドラマが展開されていることでしょう。そのように考えてみれば、ちょっと台所に立ったときに、赤ちゃんがクズついて泣き出したりしても、その時の赤ちゃんの気持ちを容易に理解することが出来るでしょう。「お母さんの魂が、お母さんの名を呼んで」泣いているのです。決して甘えて泣いているのではありません。

 母親が、赤ちゃんの発達段階というものを理解していなかったり、無視したりするケースでは、虐待が発生しやすくなります。このような母親は、赤ちゃんの能力が未発達であるのに、その未熟さを無視して、まるで大人と同じようなつもりで扱うのです。その結果、言うことを聞かない赤ちゃんが、甘えているように見えたり、あるいはわがままで自分勝手なことばかりしているように見えたりします。そして、聞き分けのない赤ちゃんに、「分からせる」ために、怒鳴ったり叩いたりして虐待におよぶのです。たとえば、オムツを交換しているときに、動かないでじっとしているように言っても、まだ言葉の分からない赤ちゃんは、その意味を理解することが出来ません。これは発達段階から言って当然のことなのです。しかし、虐待的な母親は、赤ちゃんの未熟さを無視して、オムツ交換の邪魔をしようとしているのだというふうに受けとったりするのです。そして、赤ちゃんが動くたびに叩いたりします。母親としては、痛い目にあわせることで、オムツ交換の時にじっとしているように「しつけ」をしているつもりなのでしょうが、まだ未熟な赤ちゃんはに意味がわからないままに混乱を招いてしまいます。つまり、母親にとっての「しつけ」が、赤ちゃんにとっては発達段階を無視した虐待となるのです。このような歪んだ考え方を持っている母親に対しては、赤ちゃんの未熟さや発達段階に関する知識を与えなければなりません。発達段階に対する歪んだ考え方といえば、「赤ちゃんに抱き癖がつく」などと分け知り顔で言う人がいますが、これは間違いです。特に生後6ヵ月間の心の基礎が作られる時期は大切です。赤ちゃんに対する愛着行動として、抱きたいだけ抱いてください。このような母親の揺るぎない愛着行動が、赤ちゃんの心の基礎を築いていくのです。

 ここまで母親のことを中心に書いてきましたが、母親だけではなくて、家族の理解も大切です。特に扱いの難しい赤ちゃんを抱えて悩んでいる母親に対して、育児の苦悩を理解し、共感を持って接してあげることで、母親もずいぶんと救われるのです。たとえば、泣きやまない赤ちゃんを抱えてノイローゼのようになっている母親に、「扱いにくい赤ちゃんを抱えて、大変だったね。一人で悩んで、辛かったろうね」」と、その苦しみに共感してあげることで、その苦しみが緩和されるのです。そして、自分の苦悩に共感してくれる人がいることで、ではこのような扱いにくい赤ちゃんにどうやって接したらいいのだろうかと考える心の余裕が生まれてくるのです。問題を抱えた母親に対して「赤ちゃんに優しくしろ」というだけではだめなのです。「なぜ」この母親はこのような接し方しか出来ないのだろうかと考えてみるのです。母親の問題行動にはそれぞれ意味があり、原因があるのです。ですから、意味を探り、原因を探ることで解決への道が見えてくるのです。そして、ここに書いたような治療技法を使って、母親の心の中に、赤ちゃんに対する明るいイメージが形成されるようにしてあげるのです。

 赤ちゃんへの接し方で大切なのは、赤ちゃんが自分の力でなにかをやろうとしている、その主体性を受け止めてあげることです。なにかをやろうとしている赤ちゃんの気持ちを読み取って理解し、赤ちゃんの主体性を妨げないことです。たとえば赤ちゃんがオモチャを持ち上げようとしているのですが、うまくつかめずに苦労しているとします。母親が見かねてオモチャを取ってやるのも一つの愛情かもしれません。たしかに、母親がオモチャ取ってやれば喜ぶでしょうが、しかし、赤ちゃんにしてみれば、「出来ることなら自分の力で取りたかった」という気持ちが残ります。母親にしてみればオモチャを取ってやるという自分の愛情行為にケチをつけられるのは面白くないかもしれませんが、こういう主体性を無視した愛情というのは、積み重なっていくと、赤ちゃんの心に様々な問題を発生させます。赤ちゃんは、まだ運動能力が未熟ではありますが、それでも何度もトライして自分の能力を成長させようとしているのです。もし、赤ちゃんが困難を感じているようでしたら、オモチャのつかみ方を母親がやってみせて、つかみ方のヒントを与えてやるのです。そうやって、赤ちゃんが自分の力でオモチャをつかむのを支援してやるのです。そして、自分の力でつかむのを見守ってあげて、つかめたときには一緒に喜んであげるのです。このような、赤ちゃんの主体性や自発性を尊重した接し方というのは、赤ちゃんにとっては、自分が自分であるという感覚を育てるために重要な意味を持っているのです。そしてこれは、母親から精神的に分離して、個人としての自分を確立することにも繋がっていきます。しかし、母親が分離不安にとらわれている場合には、赤ちゃんの自立心を認めるということは、母親自身が赤ちゃんから見捨てられてしまうのではないかという不安を掻き立てます。そして、母親自身の寂しさから、赤ちゃんの主体性の芽を摘み取っていくのです。境界例的な母親は、特にこういう点を注意しなければなりません。

 さて、乳幼児の精神保健について書いてきましたが、赤ちゃんの段階でさまざまなトラブルを解決しておくということは、これは大人の精神保健にもつながります。もし、乳幼児期の母子関係の歪みが修復されないままに赤ちゃんが成長していくと、大人になってからそれが心の問題となって現われてくるからです。ですから、乳幼児の治療活動を広めるということは、すなわち、この世の不幸を減らすことにもなります。このことは同時に、大幅な医療費の削減にも繋がります。乳幼児のころに治療しておけば、大人になってから治療するよりは、はるかに安上がりで済むからです。ですから、ここに書いたような治療技法がどんどん普及していってもらいたのですが、なにしろタビストック・クリニックでの訓練を受けた人というのは、日本ではごく限られた人しかいません。しかし、慶応大学の乳幼児精神医学研究グループなどで、向こうで訓練を受けてきた渡辺久子らによって、タビストックと同じような、家庭の中に入り込んで行なわれる乳幼児観察訓練が行なわれるようになって、日本でも、少人数ではありますがセラピストの養成が軌道に乗ってきたようです。理論と技能を身に付けたセラピストの養成には非常に時間がかかりますが、このように地道な活動によって、将来的には人間の不幸が徐々に減っていくことを願っています。

 渡辺久子という人は、子どものころに心のトラブルを抱えて、いろいろと精神的に辛い思いをしてきたようです。自分自身が心の問題で苦しんできたので、治療にあたっては、体当たりでぶつかっていくようなところがあるようです。こういう根性のあるセラピストが増えてもらいたいものだと思います。その渡辺久子が、たった一回だけの治療で、歪んだ母子関係をみごとに治療していく状況はビデオに録画されていて、本人が講演会などで紹介しているようですが、本でも読むことが出来ます。「乳幼児:このダイナミックな世界と発達」という本に書かれています。実際の治療がどのようにして行なわれるのかということが、患者とのやりとりなども含めてよくわかりますので、母子関係の治療に興味のある人はぜひ読んでみてください。


【参考文献】
 「乳幼児精神医学」 J.D.コール他 岩崎学術出版 1988.11.19
 「乳幼児:ダイナミックな世界と発達」 渡辺久子 他 安田生命社会事業団 1995.4.1
  文中の事例などは上記の2冊にあるものを使わせていただきました。

渡辺久子について
  慶応義塾大学病院小児科専任講師
  世界乳幼児精神保健学界副会長(アジア地域担当)
  北米周産期心理学界顧問
  英国児童青年心理学界ジャーナル編集顧問

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