虚偽性障害 Ver 1.0 1999/11/27
病気をねつ造する人たちの心理と手口
世の中には、病気になりたがる人たちがいます。境界例の人は、こういう気持ちを理解できる人が多いのではないかと思います。なぜなら、病気になれば周囲の人が心配してくれて、身の回りの世話をしてくれるからです。そうすれば、分離不安や見捨てられ感が癒されるからです。たとえ、誰からも相手にされないような孤独な人であっても、入院さえすれば治療のためにいろいろな人が話しかけてくれますし、面倒を見てくれます。しかし、体がどこも悪くないようなときどうするか。こういうとき、世の中には、孤独感や寂しさを癒すために、嘘をついて病気のふりをする人がいるのです。これが虚偽性障害と言われている人たちです。要するに仮病なのですが、虚偽性障害と言われるものになりますと、単なる仮病とはレベルが全然違うのです。「お前、そこまでやるのか」というような凄いことを、平気でやってのけるのです。そして、彼等が嘘の病気を演ずるがゆえに、騙す者と騙される者との間で、非常に面白いというか、あるいは、あまりにも哀しいというか、そういう虚々実々の駆け引きが展開するのです。面白いとは言っても、これは傍観者の視点であって、医療スタッフにしてみればたまったものではありません。騙されていたとわかったときの失望感と怒りは相当なものでしょう。しかし、騙す方にしても、本人は必死の思いなのです。嘘をつくという反社会的な面はあるにしても、心の空洞を埋めるために、やむにやまれず嘘をつくのです。これは実に哀しい嘘です。しかし、こういう世話をしてもらいたいという心理は、私たち境界例と共通するものがあります。実際に、虚偽性障害とされる人たちのほとんどが境界例なのです。
病院の入院患者の中に、どれくらい虚偽性障害の患者がいるのかという事については、研究者によって数字にばらつきがありますが、ある人の研究では、全入院患者の3%、別の研究では9%が虚偽性障害だったそうです。また、ある精神病院の調査では、相談連絡課に回されてきた患者1288人のうち、10人が虚偽性障害だったそうです。
さて、病気を装うとはいっても、いろいろな種類があるのですが、これを順を追って見てみましょう。
まず最初に普通の仮病があります。学校へ行きたくないときの口実として、お腹が痛いとかいうような、ちょっとした嘘をつくことで、嫌なことを回避しようとする場合です。これは、嘘ではあっても、精神的に病的なものではありませんので、もちろん虚偽性障害には該当しません。
次に、詐病(さびょう)と言われるものがあります。これは経済的な利益を得るために嘘をついて病気になる場合です。たとえば生活保護を受けるためとか、保険金をだまし取るためとかいうケースがあります。あるいは経済的な理由以外にも、警察から逃げるためとか、裁判で心神喪失状態にしてもらうためとかで、病気を装うケースもあります。こういった、本人にとって実利的な目的のために病気になるケースは詐病として扱い、虚偽性障害とは区別されます。しかし、嘘をつくという点から言って、人格障害の可能性が視野に入ってきます。
そして、虚偽性障害ですが、これは世話をしてもらいたいという精神的な欲求から嘘をついたり、あるいは自分を傷付けたりして症状をねつ造して病気を装うことを言います。中でも重症なケースを、ミュンヒハウゼン症候群と呼ぶこともあります。特徴としては、奇想天外な経歴をまことしやかに語り、入院するためにわざと症状を作りだし、バレるとすぐに逃げ出し、病院を次々と渡り歩いたりします。この病名は、病名の元となったミュンヒハウゼン男爵の風変わりな生き方に似ていることから命名されました。男爵の正式な名前は実に長ったらしいのですが、カール・フリードリッヒ・ヒエロニムス・フォン・ミュンヒハウゼン(1720-1791)といい、別名ほら吹き男爵とも呼ばれました。戦争での手柄話や自慢話をしながら国中を旅して歩いたのですが、これがちょうど嘘をつきながら病院を渡り歩く重症の虚偽性障害の人とよく似ていることから、1951年にイギリスのリチャード・アッシャー博士が命名しました。ところが男爵は、実際にはそれほどホラを吹いていたわけではないらしいのです。もしそうであるならば、自分の名前を勝手に病名に使われて、いい迷惑です。しかし、おかげで後世に名前が残り、いまこうやって日本人の私がインターネットで男爵のことを書いているわけです。
では、こういう虚偽性障害の人たちはどんな手口を使って医者を騙すのかということについて書いてみましょう。まず騙しの手口として一番ポピュラーなのが、発熱です。検温の前に、熱い飲み物を大量に飲んで体温を上げておくのです。そうすれば実際に熱があるわけですから、騙すのは簡単です。他にも、体温計をこすって摩擦熱で温度を上げるという手口もよく使われるようです。看護婦さんの目を盗んで服やシーツで一生懸命シコシコとやるんでしょうね。あるいは、冬であれば暖房器具などを使って温度を上げる人もいます。しかし、医学知識がないと温度を上げすぎてしまい、50度とか60度とかいう、とんでもない体温が出現して、失笑をかうケースもあるようです。もし体温が60度もあったらどうなるでしょうか。自分の体温で自分が火傷してしまいますし、自分の目玉が目玉焼きになってしまい、なんにも見えなくなってしまいます。ですから、こんなへまをやってボロを出さないようにするために、ある程度の医学の知識が必要となります。実際、虚偽性障害の人たちは、元看護婦さんとか、身近に病気の人がいて、その病気について良く知っているとかいう人が多いのです。
他にはどんな手口があるのかと言いますと、尿検査の時に尿の中に砂糖を入れて糖尿病になる。あるいは尿に卵白を混ぜて腎臓病になるという方法があります。医療に詳しい人ですと、カテーテルを使って卵白を膀胱に注入するという、手の込んだことをやる人もいるようです。さらに、大便を注射器で自分の血管に注入する。インシュリンを注射して低血糖症を装う。抗凝血剤を使って出血しやすくする。血を抜いてひどい貧血になる。抜いた血をカテーテルで膀胱に入れて血尿を装う。金具などを肛門から入れ、腸の内部を傷付けて出血させる。下剤を使って慢性的な下痢になるなど、入院するためなら何でもやります。自分の身を危険にさらしてでも病気になろうとするのです。こういうことを平気でやるのが虚偽性障害なのです。しかし、平気で、とは言っても、本人は心の寂しさを埋めるために必死なのです。誰かにかまってもらいたい。誰かから世話をしてもらいたい。そういう痛々しいほどの寂しさや孤独感からこういうことをするのです。看護婦さんの目を盗んで、ウンコを自分に注射している姿などを想像しますと、あまりにも愚かで浅ましく、また哀れな姿であります。しかし、彼等はそうせざるを得ないのです。他には誰も彼らをかまってくれる人がいないのです。誰も彼等を本気で心配してくれる人がいないのです。彼等にとっては病院の人たちだけが頼りなのです。そして、病気になりさえすれば、医者や看護婦さんが自分の世話をしてくれるのです。優しい声をかけてくれたりもするのです。彼等の日常生活では起こり得ないようなことが、病気になりさえすれば、あっと言う間に実現するのです。これは幼児期に得られなかった愛情を、病気になることで取り戻そうとしているようにも見えます。そして、入院さえすれば、赤ん坊に戻ったかのような世界が実現するのです。赤ん坊のような、自分を中心とした世界を実現することが出来るのです。ですから、彼らがいったん入院すると、世話を焼いてもらいたいという気持ちから、非常に要求がましい態度を取ったりして、扱いにくい患者になります。
さらに彼等はもっと凄いこともやるのです。手術マニアとでもいったような人たちです。自分が手術される事に対する嗜癖と言いますか、精神的な依存が形成されている人たちです。こういう人たちは頻回手術者と言われる一群の人たちともだぶってきます。ただ、嗜癖があるとは言っても、自分で自分を手術することは出来ませんので、紛らわしい症状を訴えながら、言葉巧みに医者を誘導して、手術をする方向へと持っていくのです。普通の人は、検査のための開腹手術など嫌がるものですが、彼等は積極的にそれを望みます。臓器の一部摘出など大歓迎と言ったところです。その結果、身体のあちこちに手術の痕が残ることになります。これは患者のマゾヒズム性をも表わしています。無意識的な深いレベルでの罪悪感があり、手術を受けることで、自分で自分を処罰しようとしているのです。そして、手術を受けることで、医療スタッフから自分の面倒を見てもらい、幼いころに剥奪された愛情を、なんとか取り戻そうとしているのです。その結果、必要のない手術を繰り返すこととなり、自らの寿命を縮めてしまいます。しかし、それでも彼等はかまってもらいたいのです。それほどまでに孤独であり、見捨てられ感が強いのです。自分の命を削ってでも、必死になって医療スタッフに、しがみつこうとするのです。
しかし、いくら嘘をつくのがうまいと言っても、所詮は嘘です。元々が本当の病気ではありませんので、検査や治療を続けるうちに、どうしても不自然な事や、矛盾した検査結果が出て来るのです。そして、医師も次第に疑いの目で患者を見るようになっていきます。そこで、患者を問いただしたりするのですが、患者は逆に医師の無能さをなじったりします。しかし、病院側の方でもスタッフを集めたりして、患者の症状の出方をチェックしてみますと、どういうわけかスタッフが目を離している間に急に発熱したり、血圧が異常に低下したり、あるいは突然血糖値が下がったりしていることが明らかになっていきます。もうこうなると、患者が嘘をついているとしか考えられません。そこで、検査をするからという口実を作って、患者をベッドから離し、その間にベッドの周囲を捜索してみます。するとベッドの下から注射器やら薬品やらといった、おぞましい品物がゾロゾロと出て来るのです。医者にとっては、ついに正体を暴いてやったという気持ちよりも、今まで患者を救おうとして努力してきたことがすべて踏みにじられてしまったということへの、やるせない気持ちで一杯になります。そして、患者に事実を突き付ける時がやってきます。患者は、騙していたことを認める人もいれば、それでも否定し続ける人もいます。否定し続ける人でも、嘘がバレたあとは症状が出なくなります。いずれにしても、嘘が通用しなくなると患者はすぐに他の病院に行きます。そして、同じことを繰り返すのです。このようにして病院を渡り歩く患者の行動が、そのまま、ホラ吹き男爵とも呼ばれたミュンヒハウゼン男爵とよく似ていることから、ミュンヒハウゼン症候群とも呼ばれるのです。患者にとっては、病気のふりをする事が生活そのものになっているのです。つまり、別な言い方をすれば、病人を演ずることで、かろうじて精神的なバランスを保っているとも言えます。ですから、嘘だとわかったときに患者を激しく責めたりしますと、それが引き金になって心のバランスが崩れ、精神病を発病するケースもあるようです。ですから、このような虚偽性障害の人たちへの対応は、精神科医との連携が必要となってきます。
それにしても、これは膨大な浪費です。医療費の浪費であり、スタッフたちの努力や情熱の浪費であります。それだけではなくて、患者本人の寿命さえも縮めてしまいます。そして、これらのすべてが、無駄に費やされてしまうのです。排水口に流れ込む水が渦を作るように、虚偽性障害の人が作り出す嘘によって、周囲の人が渦の中に巻き込まれ、吸い込まれてゆくのです。この嘘は、あまりにも浅ましく、また、あまりにも卑劣なものであります。本人の見捨てられ感などに焦点を当てて見れば、たしかに非常に可哀想な人たちではありますが、人を平気で騙してしまうという反社会性に対しては、実に腹立たしい思いがします。おそらく、本人はちょっとした嘘をついたときや、病気のまねごとをしたとき、周囲の人たちがそれに敏感に反応することから、いつの間にか病みつきになっていくのでしょう。
このような虚偽の病気は、精神科でも発生します。うつ病や分裂病を装うのです。このような場合は、自分に関心を持ってもらうために、誇張された経歴が披露されることもあります。たとえば、次に引用したのは、自殺未遂のまねごとのようなことをして入院した患者の過去です。
彼の父親は有名な外科医で、一人の女性を手術で死なせてしまい、その後その女性の夫に殺されてしまった。それから患者は父を殺した相手を秘かに追跡しアメリカ中を何千マイルも歩いた。相手を見つけて殺そうとしたときに、彼はその男の94歳の祖父に妨げられてしまった……
こういう、とりとめもないような話は、どこまでが本当なのかわからなくなってきます。いわゆる空想虚言というやつで、話を聞いてくれる人がいると、どんどん内容がエスカレートしていって、誇大なものになっていきます。しかも、話をしているうちに自分も嘘の世界にのめり込んでしまって、どこまでが嘘なのか分からなくなってしまいます。
さらに精神医学の知識があると、声が聞こえるとか、だれかに操られているとか、もっともらしいような症状を訴えたりします。しかし、異常がないのに異常を訴えていると、ついついボロが出たりします。たとえば、物忘れがひどくて何も覚えていないはずの患者が、「昨日も申し上げましたように、私は何も覚えていないのです」などと、ついつい言ってしまうのです。医者の方でも患者の不自然さから、虚偽性障害の疑いが出てきたときには、いろいろなトリックを使ったりして、本当の病気かどうか試したりするようです。
しかし、患者の中には最初は嘘のつもりだったのに、嘘を演じているうちに、自分が本当の病気になってしまったというケースもあるようです。たとえば、周囲の人の関心を集めるために、わざと拒食症を演じていたのに、途中から自分をコントロールできなくなってしまい、本当の拒食症になってしまったというようなこともあるようです。ミイラ取りがミイラになったようなものです。意識的にやり始めたことが、その人の無意識レベルに潜んでいた引き金を引いてしまい、自分でもどうしようもなくなったのでしょう。
虚偽性障害の人の騙しは、何も医療関係者だけを対象とするのではなくて、その人の人間関係の中でも発生します。たとえば職場などで、自分がガンにかかっていることが分かった、などというような事を告白するのです。すると、その瞬間から人間関係がガラリと変わります。今まで冷たかった人も、急に優しい声をかけてくれたりします。仕事の面でも、周囲の人が何かと気を遣って、優しく扱ってくれます。しかし、一度ガンであると嘘をついてしまうと、その後もずっとガン患者を演じ続けなければなりません。そこで、鏡を見ながら自分で髪の毛を抜いたりして、抗ガン剤の副作用が出ているかのような演出をしたりします。このように目に見える形で症状が出てくれば、周囲の同情も、いやが上にも高まっていきます。そして、本人はますます調子に乗って演技に熱が入っていきます。やがてガンが進行して、仕事が続けられなくなり、みんなから暖かい同情と励ましの言葉を受けながら職場を去ります。その後は近所の人たちなどから、暖かい慰めの言葉を得るために、積極的に地域の集まりなどに出たりします。そして、もっとたくさんの励ましの言葉を得るために、ガンと闘う気丈な患者を演じます。すると、そのうわさが広がっていって、地元の新聞社が取材に来たり、テレビ局が取材に来たりします。あるいは、福祉関係の大学から講演の依頼が来たりします。そして、講演で聴衆の涙を誘いながら「私の最後の願いは熱気球に乗ることです」などと言おうものなら、たちまちのうちにカンパが集まり、熱気球に乗る夢が実現して、患者にとっては、まさにしてやったりと言った状況が出現します。しかし、患者は自分の嘘の行き着く果てがどうなるかについて、おそらく予想は出来ているのでしょう。しかし、予想は出来ても、そのことには目をつぶって、バレる日が来るまで演技を続けているのでしょう。そして、バレる時がやってくるのです。ガンの演技が世間の注目を集めるようになれば、当然治療している医者は誰なのかとかいったことにも関心が集まりますし、患者の経歴とか家族のこととかも、みんなの興味を引くようになります。患者はなんとか今の状態を少しでも長く続けようとして、嘘を付き続けるのですが、もうここまで来ると限界です。不信感を抱いた人たちが調べてみると、患者を治療しているはずの医者が、実際には患者のことをまったく知らなかったり、あるいは患者を尾行してみたら、なんと、自殺したはずの母親が生きていることが分かったりします。こうなると、もう逃げ出すしかありません。あとは野となれ山となれでトンズラして、また他の街に行って同じようなことを始めるのです。こうやって他人の善意を食い物にしながら生きてゆくのです。
今まで書いてきたような、自分が病人を演ずるというパターンの他に、自分ではなくて赤ん坊などの他人を病人に仕立てることで、間接的に周囲の人の関心を集めようとする人がいます。これはまだ正式な診断基準にはなっていないのですが、「代理人による虚偽性障害」という、研究用の基準案が提示されています。ここでも、自分で病気を作り出すのと同じような手口が使われます。たとえば、赤ん坊の尿に砂糖を混ぜて糖尿病を装ったり、母親が自分の生理の血を混ぜて血尿に見せかけたり、大便を赤ん坊に注射したり、下剤を飲ませ続けたりするのです。そして、もし普通の母親であれば検査のための手術などは嫌がるものですが、こういう母親は手術する事には積極的です。しかし、この場合も、赤ん坊の症状が不自然なことから、やがて疑いの目で見られるようになります。さまざまな症状で苦しんでいる赤ん坊が、母親から離すと、どういうわけか回復するのです。そこで隠しカメラなどを設置しておくと、母親が赤ん坊に注射する場面が映っていたりするのです。これは幼児虐待でもあります。もし、医師などが母親の嘘を見抜けなかったような場合には、時には赤ん坊が母親の手で死に追いやられてしまうこともあります。こういう母親にとって、赤ん坊の存在とは、嘘をつくための道具にしか過ぎないのです。つまり、自分さえ良ければいいのです。
このような虚偽性障害の人には、境界性人格障害という診断の他にも、病的に嘘をつき続けるという点から、反社会性人格障害が併せて存在します。また、症状を演ずるという点から演技性人格障害も考えられますが、必ずしも派手な演技をするわけではなくて、引きこもりがちの、おとなしいようなタイプの人も多いようです。虚偽性障害の人たちの症状の経過については、バレるとすぐに他の病院に行ったりしますので、その実態もつかみにくいものになっています。おそらく、不必要な投薬や手術を繰り返して死んでゆくケースもあるのではないかと思われますが、こういうことに関しては、まだ数字的な資料はありません。
ここで注意しなければならないのは、身体表現性障害との区別です。虚偽性障害の人たちは、意図的に嘘をついて症状を演じたり症状をねつ造したりしているのですが、この一連のプロセスが無意識レベルで行なわれると、身体表現性障害などの症状となります。これは意図的にやっているわけではないので、自分で自分の症状をコントロールできませんし、なぜそういう症状が出るのかも分かりません。たとえば疼痛性障害というのがありますが、患者は痛みがあるふりをしているのではなくて、本当に激しい痛みを感じているのです。そして、そういう激痛に本当に苦しんでいるのですが、不思議なことに、どんなに強い鎮痛剤を投与しても、まったく効果がありません。なぜなら心理的に作り出された痛みだからです。そして、本人は、演技ではなくて本当に痛がっているのです。たとえば、夏樹静子という推理小説の作家がいますが、彼女が苦しんだ原因不明の腰痛も、治療を進めてゆくに従って、実は「もう書きたくない」という無意識的な願望が原因であることが明らかになりました。また、私が体験した慢性疲労症候群のような症状も、「私の分析体験」に書きましたように、心の底に埋もれていた感情が原因でした。このような無意識レベルの葛藤が症状を形成している場合は、疾病利得と言って、病気になることで、何らかの問題を回避できるという利得があるわけです。これを一次利得と言います。さらに、病気になることで周囲の人間関係を操作するようになると、これを二次利得と言います。二次利得になりますと、虚偽性障害のように、周囲の人から世話を焼いてもらいたいという願望などが出てくるのですが、このプロセスが無意識レベルで行なわれるため、本人は自分の意志では症状をどうすることも出来ません。また、周囲の人から心理的なことが原因だと言われたりすると、深く傷ついたりします。診断上は、患者が意識的にやっているわけではないので、身体表現性障害となり、虚偽性障害とは区別されなければなりません。しかし、このように意図的なものと無意識的なものとが、すべて明確に区別できるかというと、患者によっては、意識的な症状と無意識的な症状が連続したような状態の人もいるようです。
この文章を読んで、もし、みなさんが虚偽性障害に興味を持たれたましたら、面白い(?)症例をたくさん集めた本がありますので、読んでみてください。下の参考文献の所に書きました「病気志願者」と言う本です。私も、この本から、いつくかの話をここで使わせてもらいましたが、この本にはもっと凄い話が紹介されています。
追記:
ミュンヒハウゼン症候群は、英語読みにするとマンチョウゼン症候群になります。この症候群の他の呼び方としては「病院嗜癖者」「病院放浪者」「さまよえるユダヤ人症候群」「職業的患者症候群」などがあります。
【関連ページ】
■虚偽性障害の診断基準 DSM-IV
■特定不能の虚偽性障害の診断基準 DSM-IV
■代理人による虚偽性障害の研究用基準案
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