ホーム境界例の周辺


パニック障害、過換気性症候群
   Ver 1.0 1999/06/02
   Ver 1.1 1999/07/06


症状
 何の前触れもなく突然襲ってくる呼吸困難、動悸、手足の痺れなどで、このまま死んでしまうのではないかという恐怖感に囚われたりします。救急車で運ばれたりすることもありますが、検査の結果どこも異常なし。強いて言えば血液中の二酸化炭素の濃度がやや低いくらい。そこで「パニック・ディスオーダー(障害)」だろうという診断がおります。症状は何もしないで放っておいても数分から数十分で収まります。何回かこういう症状を経験すると、その後、予期不安と言って、いつ発作が起こるか不安になって外出できなくなることがあります。
 パニック障害の身体症状としては、息切れ、息苦しさ、めまい、ふらつき、失神、動悸、頻脈、発汗、吐き気、腹部の不快感、しびれ、体の感覚がいつもと違う、顔がほてる、寒気、胸の痛みや不快感などがあります。
 注意を要するのは、よく似た症状を示す他の病気です。類似のものとして心血管系疾患、甲状腺機能障害、てんかん、低血糖症、前庭障害(平衡感覚の異常)などがあります。自分で判断せずに、医師の診断を受けておいた方がいいでしょう。
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一般的原因論
 精神医学的にはストレスや不安などが原因とされます。しかし、それだけでは説明できず、内科的には過換気性症候群と呼ばれ、過剰に呼吸をすることによって、血液中の二酸化炭素が排出され過ぎて少なくなり、血液がアルカリ化するためにさまざまな身体症状が起こるとされています。これが一般的に言われているメカニズムなのですが、これとは逆に二酸化炭素を吸入することによっても発症するという報告もあります。他には、運動すると不安や恐怖の症状を示すことから、血液中の乳酸が原因ではないかとする乳酸ソーダ説、コーヒーを飲むとパニックを起こしやすいことからカフェン説などがあります。
 過換気の症状が出たときの対応としては、ビニール袋などを口に当て、吐いた空気を再び吸うことによって、血液中の二酸化炭素を減らさないようにする方法が知られています。
 薬物療法としては抗不安剤、抗鬱剤などを投与します。
 精神療法としてはパニック障害を不安神経症とみて、カウンセリング的な治療を行なったり、恐怖感を和らげるリハビリ訓練(行動療法)をしたりします。
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  参考図書 「名医が書いた病気の本 心の病 パニック・ディスオーダー」
          福西勇夫 保坂隆 新星出版社 \1300 1995.9.15



私の体験的原因論
 私の激しいパニック体験は二回あります。一回目は、歩いている途中で急に呼吸困難と手足のしびれに襲われました。ヤバイと思い、近くの総合病院までなんとか歩いていったのですが、玄関までたどりついたところで身体中が麻痺してしまい、動けなくなってしまいました。奥から医者が血相を変えて走ってきて、私の襟首をつかむとそのまま私を引きずって廊下を走り出しました。診察室に入ると襟首をつかんだまま、えいっとばかりにベッドに放り上げ、看護婦も交えて急いで心電図の検査が行なわれました。しばらくの静寂の後、「なんだぁ、過換気だ。寝てれば治るよ」とのこと。

 二度目は感情開放訓練をしているときに、これで倒れてしまいました。この時は身体中の筋肉が強く硬直したので筋肉痛がありました。筋肉の硬直に伴って身体が丸まり、手が変なふうによじれ、呼吸はほとんど不可能。声を出そうにも喉や口が硬直して動きません。一時間くらい横になっていたのですが、症状が治まって立ち上がると、周囲の人が私の方を驚きの目でみています。口々に「顔が変わった」とか「顔が開いた」??とか、「輝いて見える」「別人のようだ」とか言ってました。自分の感覚としては、激しい硬直から解放されて、なんとなく自由になったような感じでした。そして、周囲の人が自分の世界に閉じこもっているように見えました。もっとみんな自由に振る舞えばいいのに、とその時感じました。周りの人から「スゴイ!」と言われても、自分の感覚としては、この程度のものなのでどこが凄いのかよくわかりません。しかし、この感覚は時間とともに失われてゆき、数時間後には普段の自分に戻ってしまったのでした。

 激しい発作はこの二回で、後は小規模なのがたびたびあります。今も二週間前から始まった手足の痺れと呼吸困難の状態がずっと継続しています。この症状に付随するものとして、歯を食いしばるためにひどいときは顎の筋肉が痛くなったり、顎(がく)関節症と言って、あごの関節がおかしくなって、口を大きく開ける時に「ガキッ」という関節の鳴る音がします。

 パニック障害の原因を、私はすべて精神分析的に理解しています。つまり無意識レベルの感情が関係していると思っています。私の発作に共通しているのは、すべて私の心の底に眠っている「憤り」のマグマが地表に近付いたときに起こっているのです。この憤りはあまりにも激しいものなのです。ですから、なにかのきっかけで憤りが無意識の世界から上昇してきて、意識できるレベルまで近付いてくると激しい恐怖感に襲われます。私の憤りは憎しみと結びついた感情なので、この憎しみを表現することは、すなわち相手から報復されるという恐怖感と連動します。そして、パニックの発作が起こるというわけです。感情開放訓練で解放しようとしたのは、他でもない、この憎しみの感情だったのです。

 では私は何を憎んでいるのか。子供のころ、窓から外に投げ捨てられた時のことなのか。包丁を突き付けられて頭の中が真っ白になった時のことなのか。そういった見捨てられて孤立無縁になったときの恐怖感と、なぜこんな理不尽な扱いを受けなければならないのかと言う激しい怒りが混ざっているのか。あるいはエディプス状況がだぶっているのか、あるいはもっと早期の口唇サディズムに由来するものなのか……。パニック障害以外の問題では、精神分析によって劇的な解決を見たことがあるのですが、この件はずっと未解決のままです。

 それなのに、他人からこの障害の相談を持ちかけられたとき、その人をその場で治してしまったのです。治したというよりも、きっかけを与えたら勝手に治ったと言った方がいいかもしれません。
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相談を持ちかけられて治したケース
 十数年前の話です。私が精神分析の知識を持っているということを聞いて、初老の女性が私に相談にのってもらいたいとのことで、会うことになりました。女性の症状は、電車に乗っていると突然動悸やめまいがして立っていられなくなったり、道を歩いていても急に何が何だかわからなくなって恐くなってしゃがみ込んでしまう、発作のことを思うと恐くて外出できない、と言うものでした。医者を転々として、原因不明とか不定愁訴だとか言われていました。

 私は家族構成を聞いた後で、適当に見当をつけて、弟さんはどんな人ですか、と聞きました。彼女は最初ぽつりぽつりと話し始めたのですが、すぐに、埋もれていた弟に関する記憶が、噴水のように噴き出してきました。そう言えばこんなことがあった、あんなこともあった、すっかり忘れていたことなのに、私どうかしちゃったんだろうか、と彼女は次々と思い出されてくる「過去」に少しパニックになりました。私も、本で読んで知識は持っていたのですが、その通りのことが実際に起こり始めたので驚きました。

 やがて「過去」の記憶の噴出が納まると、甦った記憶の意味を、彼女は自分自身の力で理解したのでした。

 彼女の弟は病弱だったので、家族の者や近所の人はみんな弟ばかりを心配して、誰も自分を振り向いてくれなかった。振り向いてもらえたのは自分が弟思いのしっかりしたお姉さんを演じているときだけだった。弟が川に落ちておぼれそうになったときは、自分の危険も省みずに川に飛び込んで助けてやった。弟がいじめられていたときは、体を張って守ってやった。そうやって弟を守って来た。そうやって弟思いのしっかりしたお姉さんを演じることでしか、みんなから振り向いてもらえなかった。

 このしっかりしたお姉さんを演じなければならないという思いは、結婚相手を選ぶときにも影響していた。彼女は可哀想な人と結婚しなくてはとの思いから障害者の人と結婚した。そして、いま、夫以外のある人と不倫関係に陥ってしまった。これは、本当の自分に目覚めようとしていることを意味していた。子供のころに刷り込まれた、しっかりしたお姉さん役を演じなくてもいい人を好きになり、本当の自分の人生を歩みだそうとしていた。そして、彼女は弟思いの自分が、実は嘘の自分だったということを、今はじめて理解できた。本当の彼女は、弟が羨ましくて仕方がなかった。そして、激しい嫉妬の感情を抱いていたのだと言うことを理解した。いま、しっかりしたお姉さん役に終わりを告げて、不倫相手の人と新しい人生を歩もうとしたとき、幼かったころの抑圧されていた感情が甦ってきて、様々な身体症状となって現れたのだった。

 私は何をしたのかと言えば、ただ話を聞いていただけだったのである。問題がひとりでに解決してゆくのを驚きながら眺めていただけなのである。実際の精神分析では、こんなにあっという間に問題が解決することはまずありえない。これは非常にまれなケースだと思う。彼女自身の持っていた洞察力による成果である。数日後、彼女から電話があって、外出してもなんともなくなったとのことだった。
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広場恐怖
 一度パニック発作を体験すると、人によっては発作が学習されて、広場恐怖という形で現われることもあります。解放された空間の中で一人になったときや、逆に狭いところに閉じ込められたような場合にパニックの発作を起こします。広場恐怖と閉所恐怖は本質的には同じようなものです。広場型では広い道路や橋の上を一人で歩くような場合に発作が起き、閉所型では車の中やエレベーターの中などで発作が起きたりします。必ずしも一人でいるときでなくても、人混みの中にいるときにも発作が起きたりします。

 強い分離不安が背景にあることが原因であると言われています。広い空間や狭い空間、あるいは人混みの中で、たった一人で取り残されて孤立してしまったというような状況が、本人の心の底に眠っている見捨てられ感や、分離不安を刺激して、突然パニック発作を引き起こしたりします。

 広場恐怖といえば、ある日、歩道上で「イナイ、イナイ、バー」遊びをしていた親子のことを思い出します。母親は建物の影から楽しそうにニコニコしながら子供の様子を見ているのですが、子供の方は母親が消えてしまったことで、強い恐怖感に襲われてパニック状態になっていました。もう遊びの範囲を超えているのは明らかなのですが、母親は子供が脅えてオドオドしながら、ヨチヨチ歩きで母親を探しているのを見て楽しんでいるようでした。子供の泣き出しそうな様子を見ては一人で微笑んでいます。私はどうなることかとしばらく眺めていたのですが、母親はいつまでたっても姿を現そうとしません。それどころか脅えながら歩道を行ったり来たりしている子供を見てクスクス笑っていました。

 いわゆる境界例を作り出す母親像そのものと言った感じです。このような度を越した、虐待とも言えるようなイナイ、イナイ、バー遊びは、あの子の心の中に広場恐怖として焼きつくことになるのかもしれません。将来、歩道を歩いているときに、突然心の支えとなるものが失われてしまうような恐怖感に襲われて、パニック状態になるかもしれません。あるいは、自立を迫られ、分離不安と直面しなければならなくなったときに、幼いころ歩道上に置き去りにされた時の恐怖感が突然甦ってきて、パニック発作を起こしたりするかもしれません。

 そういえば、先ほどの女性のケースでも、歩道橋から降りようとしたときに突然めまいがしてきて、立っていられなくなったこともあったと言っていました。歩道橋から降りるときには、急に目の前に空間が広がりますので、これが空間の中に一人で置き去りにされたような感覚となり、分離不安を刺激したのかもしれません。不倫という状況に陥ったことで、精神的な自立を迫られて、埋もれていた分離不安が表に出てきたのでしょう。しっかりしたお姉さん役、つまり障害者の夫の面倒を見るしっかりした妻という偽りの仮面を捨てて、本当の自分の人生を歩こうとしたときに、埋もれていた分離不安に直面することとなり、このような症状が出てきたものと思われます。
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境界例の場合
 境界例との関係で言えば、精神的に「個」を確立し自立しようとするときに、それに伴って発生する分離の不安と見捨てられる恐怖感に直面しなければなりませんが、このときにパニック発作を引き起こすことがあります。重症の人はパニック障害を越えた、解離や多重人格と言った症状を呈することもあります。
 パニック障害に対しては、分離不安を直面化させたり、患者の自立しようとする態度を支援してやったりして、分離不安を乗り越えることを助けてやります。
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【診断基準について】
 パニック障害の診断基準には、広場恐怖の伴うものと、広場恐怖を伴わないものとの二つの基準があります。広場恐怖の診断基準も、パニック障害の既往歴のあるものとないものを区別しています。

【関連ページ】
 [回復のための方法論]−[自己分析時のパニック発作と抑うつ感]




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