自己分析を続けてゆくと、たとえば感情の開放などをやっているときに、パニック発作に見舞われることがあります。パニック発作とは、急に心臓がドキドキしてきたり、呼吸が苦しくなって手足が痺れてきたりする症状のことを言います。こういう症状に関する知識を持っていない人の場合、もしかしたらこのまま死んでしまうのではないかという恐怖感に襲われます。しかし、そのような心配はまったくありません。詳しいことは「境界例の周辺症状」の「パニック障害」のところに書いてありますので、そちらの方を読んでください。私の体験談や相談を受けて治したケースなども書かれています。
なぜこんな症状が出るのかと言いますと、心の底に埋もれている激しい分離不安などに直面したときに、その極度の不安感に身体が反応して起こるものであると思われます。ですから、どんなに激しいパニック発作であっても、この発作で死ぬことはありません。「まあ、人生、いろんなことがあるさ」という程度に思っていればいいのです。しかし、神経症的な傾向の強い人は、この症状に執着してしまうんですね。なんとか「克服」しようとしたり、周囲の人に自分の症状を「理解」してもらおうとしたりします。そして、パニック発作は「誰にでも起こる」病気なんだと一般化しようとする傾向があります。しかし、精神分析的に考えるなら、パニック発作も、その他の神経症の症状も、決して誰にでも起こるものではありません。ある種の素因を持った人に発生する症状なのです。その素因とは、分離不安であったり、未処理のまま残っている過去の葛藤であったりします。ですから、本質的な解決のためには、心の底に眠っている問題点を捜し出さなければなりません。
考えようによっては、パニック発作の症状は、自己分析を進めてゆく上で、たいへんありがたい存在であったりします。なぜかといいますと、何かの問題について分析しているときにこの発作が起こったなら、「ここ掘れワンワン」という、ひとつのサインになるからです。この付近に重大な「葛藤」の鉱脈が眠っていることを、パニック発作が教えてくれるのです。人間の心には、自分で自分を防衛するメカニズムがあるので、これが自己分析の際には妨げになるのですが、パニック発作は、そういう防衛機制を乗り越えて、この付近に重大な心の問題が潜んでいるぞという、非常に明確なサインを発してくれるのです。ですから、パニック発作の症状というのは、問題点を探すための優れたセンサーとして使うことができるのです。
ですから、自己分析を進めてゆく途中でこのような症状が発生したとしても、それは心の底に眠っている葛藤や分離不安が原因で起こったのだと思えばいいのです。ただそれだけのことなので、あまり症状を気にする必要もないのですが、もし気になるようでしたら、病院に行って安定剤などの薬をもらうのもいいかもしれません。しかし、分離不安を抱えている人の場合は、薬にしがみついてしまうかもしれません。もしそうなったら、薬に対するしがみつきの心理や、薬を手放そうとするときに発生する不安感を分析する絶好の機会であると考えればいいのです。しがみつきと分離不安が、このように生々しい形で表面化することはあまりないので、自己分析をするには最高の状況が出現したと考えればいいのです。
周囲の人の理解を求めようとする心理も、一種のしがみつきであると解釈することも出来ます。ですから、良き理解者が表れることによって症状が消えることもありますし、あるいは逆に理解者にしがみつき続けようとする心理が働いて、症状が固定してしまい、いつまでたっても治らないという事態も考えられます。これはこれで、理解者へのしがみつきや依存心に焦点を当てて自己分析すればいいのです。
パニック発作の他に、自己分析を進めてゆくと遭遇するかも知れない症状に、抑うつ感があります。あるいは、すでに最初からこういう状態の人もいるかもしれません。悲しいような悲哀に満ちた気分になったり、何をやっても楽しむことが出来ず、非常に憂鬱な気分になったりします。これは、悲しみを悲しむことによって乗り越えようとする心の作業が行なわれているために発生するものと考えられます。フロイトが「悲哀の作業」と呼んだ、心のメカニズムです。このメカニズムについては他のところに書きます。
しかし、この悲哀があまりにも強すぎたり、罪悪感や自己処罰から鬱状態になって、自殺について考えるようになった場合は、一人で問題を抱えているのは非常に危険です。自己分析を中断して、治療を受けてください。他のところにも書きましたが、薬で状態を改善することが出来ます。