歪んだ育児行動の治療 (1) Ver 1.0 2000/01/09
これから書くことは、母親の歪んだ育児行動から発生する問題とその治療方法についてですが、こういうことを知識として知っておくことで、自分自身の心の深い部分にある問題を理解する上で役に立つのではないかと思います。そして、何よりも自分自身が親になったときに役に立つと思います。実際の治療場面では、うまく行くとまるで魔法でも使っているかのように、悲惨な状態が面白いように次々と解決していったりします。こういう曲芸のような芸当は、あくまでも前回書いたタビストック・クリニックで行なわれているような赤ちゃん観察などによる徹底した訓練を受けた人に出来ることであって、私たちのような素人にはとても真似の出来ることではありません。しかし、こういうやり方があるということを知っていることで、不十分ではあっても、自分が問題に直面したときに、多少は何とかできる部分があるのではないかと思います。
さて、育児場面での母親が抱えているトラブルはさまざまなケースがあります。たとえば十代の若い母親が助けを求めて電話してきたので行ってみると、泣きやまない赤ちゃんを抱えた母親が途方にくれてぼう然としていたりします。冷蔵庫を開けてみると中は空っぽで食べるものが何もない状態です。話を聞いてみると食べ物だけではなくて、手持ちのお金もなくなってしまい、赤ちゃんを育てるどころか、自分自身がこれからどうやって生きていったらいいのかまったく分からないような状態です。彼女はこういう状況で絶望に打ちのめされながらも、必死の思いで福祉関係のところへ電話して、助けを求めてきたのです。こういう悲惨な状態のケースでは、直ちに問題に対応しなければなりません。これは「危機介入」と言われるもので、ソーシャルワーカーが経済的支援の手続きをしてやったり、その他のさまざまな福祉制度を適応したりして、このような母親を支援していきます。そして、このような社会的な支援態勢が整うと、次に必要となるのが母親の心の問題であり、赤ちゃんの精神保健の問題です。ここで乳幼児の精神保健のために考え出された治療技法が使われるのです。
このような危機介入の状況下では、直ちに問題に対応しなければなりませんので、母親の心の問題を解決すると言っても、従来行なわれてきたような精神療法のやり方ではまったく役に立ちません。母親の心の問題を解決するには、従来のやり方では時間がかかりますので、母親が治療を受けている間、赤ちゃんは母子関係がこじれたままの状態で放置されてしまい、長期間ダメージを受け続けることになります。母親の治療を行なっている間にも、赤ちゃんはどんどん成長していくのです。のんびりしていては、赤ちゃんは取り返しのつかない状態になってしまうこともあります。ですから、今すぐに母子関係の修復に取り組まなければなりません。そこで、母親が赤ちゃんに対して抱いている感情に的を絞って、問題がどこにあるのかが探られます。これは精神分析的なやり方を使うのですが、従来の精神分析的なやりかたのような、静かな診察室で患者を寝椅子に横たわらせて話を聞くというような治療方法とは全然違うやり方をします。実際の治療では、赤ちゃんの泣き声と母親の金切り声が交錯する家庭の中に飛び込んでいって、そこで治療が行なわれたり、あるいは病院のプレイルームなどで母親と赤ちゃんを遊ばせながら行なわれたりします。あくまでも母親と赤ちゃんの二人の関係を目の前でとらえながら一緒に治療するのです。
この母親と赤ちゃんとの関係について述べるとき、乳幼児の心を扱った本で、頻繁に引用される非常に有名な言葉があります。「たった一人の赤ちゃんなんていない。赤ちゃんはいつも誰かの一部なんだ」という言葉です。これは小児科医であり精神分析医でもあるウィニコットが言った言葉ですが、赤ちゃんというのは単独で存在するものではなくて、いつもお母さんや、あるいは自分を育ててくれる誰かとペアを組むことで、はじめて赤ちゃんという存在になるのです。ウィニコットのこの有名な言葉は、ウィニコット自身も最初からこういう考えを持っていたわけではなくて、学界の会議で自分が何を言いたいのか考えがまとまらないままに話しているうちに、突然なにかがひらめいて、思わず叫ぶような大声でこの言葉を口にしたのでした。そして、言ったあとで、本人も自分自身の発言に驚いてきょとんとしていたそうです。まあ、こういう裏話はともかくとして、つまり、母親が心の問題を抱えていると、それが赤ちゃんに反映されやすい状態にあるということです。ですので、母親と赤ちゃんのこじれた関係を修復するためには、母親の心に潜んでいる問題点を探し出して、それを解決しなければなりません。
たとえば、ぼんやりと宙を見つめている母親のとなりで、赤ちゃんが火がついたように激しく泣き叫んでいるという場面に出くわすことがあります。母親はまるで赤ちゃんがそこに存在していないかのように、虚空を見つめたままで、赤ちゃんをあやそうともしません。二人の間には関係がまったく途絶えて、それぞれがバラバラの行動を取っているように見えます。赤ちゃんは死に物狂いで助けを求めているのに、この世には誰も自分を助けてくれる人がいないのです。おそらく赤ちゃんは、心の中で地獄を見ていることでしょう。それでも絶望的に泣き叫ぶことで、何とかこの世にいる人とコミュニケーションを取ろうとして、必死に泣き叫んでいるのです。赤ちゃんの泣き声にはそういうメッセージが含まれています。一方の母親は、赤ちゃんに心を閉ざしています。自分自身の心の中の叫び声を遮断するかのように、赤ちゃんの泣き声を遮断し、無視しているのです。そうすることで、自分の心のバランスを取っているのです。これも言ってみれば赤ちゃんに対するコミュニケーションの取り方であるとも言えましょう。たしかに二人はバラバラのように見えますが、よく観察してみれば、それぞれの行動が多くのことを物語っているのが分かります。そして、母親が遮断している自分自身の苦痛に満ちた叫び声が、そのままとなりにいる赤ちゃんの叫び声となって現われて来ているのです。母子関係を修復するためには、このような母親の心の底に抑圧されたままになっている叫び声を探し出して、解放してやらなければなりません。そうすることで、母親は赤ちゃんに対して心を開いて接することが出来るようになるのです。赤ちゃんの方も、発達障害を持っていたにしても、成長の障害となるような母親の問題行動を取り除いてやりさえすれば、自分で勝手に成長をはじめるのです。幼いということはそれだけ回復も早いのです。では母親の問題の解決がどんな風に行なわれるのか、具体的な例を挙げながら見てみましょう。(事例は「乳幼児精神医学」から)
この赤ちゃんは生後4ヵ月のときに、治療を受けるために連れてこられました。母親は、このように訴えていました。「私たちから顔をそむけているんです。私たちを嫌っているように見えるんです」。実際に赤ちゃんは顔をそむけていますし、母親の話によると、何時間も泣き続けるような悲惨な状態にある赤ちゃんであることが分かりました。セラピストは、母親の話を聞きながら勘を働かせて、問題がどこにあるのかを探っていきます。この勘というのは、精神分析の知識と、乳幼児観察などの訓練によってつちかわれたものです。母親の話を聞いていると、数年前に第一子を病気で亡くしていることが分かったのですが、その話し方は超然としていて、子どもを亡くした悲しみを遮断しているようにみえました。そこでセラピストは第一子を亡くしたときの様子を、詳しく母親に語らせます。その時の記憶を手繰り寄せ、死の間際を再現させるのです。そして、愛情対象を失った悲しみを、十分に悲しむ事が出来るように支援してやるのです。未処理のまま残っていた「悲しみの作業」の続きを遂行できるようにしてやるのです。
このケースでは、第一子を亡くしたときの悲しみがあまりにも大きなものであったために、その苦痛を避けようとして、悲しみを無視してきたのでした。そして、自分自身に対して、泣くことさえも許さなかったのです。やがて二番目の子どもが生まれたとき、この子に愛着を抱いてしまうと、もしこの子も死んでしまったらふたたび前回のような苦痛を味わうことになりますので、それを恐れて、無意識的に赤ちゃんとの間に、なるべく愛着を持たないようにと心の壁を作っていたのでした。そして、今まで抑圧してきた子どもを失う悲しみが、そのまま泣きやまない赤ちゃんとなって現われているのです。そこで、泣いてもいいんだという事を理解させて、未処理のまま残っていた悲しみの作業を、遅ればせながらでも実行することで、今まで気づかなかった、愛着を持つことへの恐れや、ふたたび失うことになるのではないかという恐れに、自分で気付くようになるのです。このようにして、悲しみの作業を通して、心のわだかまりを取り除いてやることで、赤ちゃんに対して素直に心を開いて接することが出来るようになるのです。
次のケースは、生後11ヵ月の赤ちゃんです。母親はこの赤ちゃんを「怪物」と呼んでいました。なぜ怪物なのかというと、母親の説明によりますと、赤ちゃんはひどい癇癪を起こしては泣き叫び、夜中に何度も起きては恐がって泣くのだそうです。「彼がうるさくつきまとうんで、おフロにはいることもできないんです。彼は私の持っているものは何でも欲しがるんです。私が食べていたら私の食べているトーストやオレンジを欲しがるんです。彼はいつも自分の思うようにします。彼はわざと私をイライラさせるんです」。そして、プレールームで母親は赤ちゃんとケンカをはじめました。「見ましたか。彼がはじめたんですよ。彼が先だったんですよ」。これは、まあ、なんというか、親子というよりは、二人の赤ちゃんがケンカしているような状態であります。
さて、精神分析では、すべての問題行動には意味があり、原因があるのだというふうに考えます。ですから、こういう子どもじみた行動を取る母親に対して「あなたは大人なんだから、もう少し〜」というふうなアプローチをしても、問題の解決にはなりません。原因を探り出して、それを解決しなければならないのです。そこでまず考えられる可能性として、母親の過去の感情が、現在の赤ちゃんとの関係の中に持ち込まれていないかを探ります。そもそも生後11ヵ月の赤ちゃんが怪物であるはずがありません。それなのに母親が赤ちゃんのことを怪物呼ばわりするのには、そこになんらかの意味があるからなのです。そして、おそらく怪物とは、赤ちゃんの事ではなくて、過去の誰かのことを表わしているのではないかと推測されるからです。すると、彼女が過去を語るにしたがって、本物の怪物が姿を現して来るのです。怪物とは、実は彼女の二つ年上の兄のことだったのです。兄は暴君のように威張りちらすので、彼女はいつも泣かされていたのでした。しかも兄は、彼女の母から可愛がられていたので、母に対する怒りも相当なものがありました。そして、彼女は兄や母に対する鬱積した怒りを、セラピストに向かって何回も爆発させます。やがて、怒りの感情のガス抜きが進んで行って、冷静に自分を振り返ることが出来るようになったころを見計らって、兄に対して抱いている感情と、いま赤ちゃんに対して抱いている感情との関連性を指摘してやります。すると彼女は、この関連性に気付いてびっくりします。兄と赤ちゃんを同一視していることに気付いたのです。このような自己洞察が得られたことによって、赤ちゃんに対して抱いていた怪物であるという見方が薄れていきました。赤ちゃんは虐待する意地悪な兄ではないのです。彼女は赤ちゃんの妹ではないのです。赤ちゃんと同じレベルでケンカする必要はないのです。自分は母親なのです。彼女の目の前から過去の怪物が姿を消して、本来の赤ちゃんが見えるようになって来ると、彼女は赤ちゃんに対して心を開くようになり、共感を持って接することが出来るようになります。そして、母子関係が修復されてくると、やがて赤ちゃんは、自分の気持ちを理解してくれた事への報酬として、母親に対して、育てる事の喜びを与えるようになります。このようにして、母親も救われますし、今までひどい状況に置かれていた赤ちゃんも救われるのです。
このような危機介入時の治療は、一回から数回の面接をメドに短期間に行なわれます。日本における乳幼児精神医学のリーダーでもある渡辺久子が、自分の治療場面をビデオに撮って紹介しているのですが、悲惨な状態にある親子を、たった一回の一時間だけの面接で、あれよあれよという間に問題を解決してしまうというようなこともあるのです。激しく泣き続ける赤ちゃんを抱えて、悲壮な顔つきで治療を受けに来た母親が、帰るときには母親も赤ちゃんも笑顔で帰っていくのです。こういった職人芸的な治療の手際よさというのは、タビストック・クリニックでの訓練によるところが大きいと言えましょう。母親の心の動きを読み取り、赤ちゃんの気持ちを読み取り、母子関係の背後に潜んでいる問題点を、動物的な嗅覚で嗅ぎ出していくのです。そして、自然な会話の流れの中で、母親の心のわだかまりを解いていって、短時間のうちに歪んだ母子関係を修復していくのです。
良好な母子関係を邪魔するような心のわだかまりとして考えられる原因は、ケースによって様々でしょう。たとえば幼いころに自分の下に弟や妹が生まれて、母親の愛情を横取りされた恨みが、そのまま自分の赤ちゃんに向かってしまうとか、いろいろな原因が考えられます。私たちも自分を振り返ってみて、過去の感情が現在の関係の中で再現されていないかチェックしてみると、なにか意外な発見があるかもしれません。
しかし、母親の心のわだかまりを解くだけでは解決しないケースもあります。母親自身が非常に悲惨な状況で育ってきたような場合に、「良い母親」のモデルとなるものがまったく無いために、愛情を持って接するということがどういうことなのか全く理解できない場合があるからです。では、こういうケースでは、どうやって治療するのかを、次に見てみましょう。 【参考文献】 「乳幼児精神医学」 J.D.コール他 岩崎学術出版 1988.11.19 「乳幼児:ダイナミックな世界と発達」 渡辺久子 他 安田生命社会事業団 1995.4.1 |