ホーム回復のための方法論


過去を振り返る 6

自分史を作る 
 Ver 1.0 1999/07/25

 一連の自分の過去を振り返る作業を通じて、様々な出来事がリストアップされたと思います。そう言った出来事を、年代順に並べてゆくと、自分史になります。出来事を並べて表にすると、自分の人生を一望するような形になり、いろいろと感慨深い感情がわいてきます。人によっては、一覧表ではなくて、自叙伝みたいな形で文章化したいと思う人もいるでしょう。文章化するとなると、若い人ならともかく、ある程度歳をとってくると、文章の量が大きなものになってきますが、自分を見つめるという意味で、文章化もいいかもしれません。しかし、自分の過去を一望するという意味で、出来事の項目を並べてみるのも意味深いものがあります。いったい自分はどこからやってきて、これからどこへ向かおうとしているのか。そう言った自問自答をせずにはいられないような気持ちになります。

 私は、親の話によると、初孫ということで、赤ん坊のころは祖父母に相当甘やかされていたそうです。父は子育てで主導権を取り戻そうとして、祖父母に向かって「オレの子だ!」と啖呵を切ったのですが、おかげで私の育て方は急に状況が変わることとなったようです。私は疳の虫が強くて、扱いにくい上に、父自身もキレやすい面があったのでしょう、「お前なんかうちの子じゃない」ということで、私を窓から外に投げ捨てたことがありました。おそらく3、4歳ころの出来事ではないかと思うのですが、投げられたとき、突然身体が無重力状態になったことを今でもはっきりとおぼえています。親から見捨てられるどころか、窓から外に捨てられたのです。後年、父は、ボロボロになった私を見て「お前の育て方は失敗だった」と言っていましたが、失敗だったと言われても、私としてはどうしようもありません。精神的な問題を抱えながらでも、失敗作としての人生を生きてゆくしかありません。

 しかし、窓から投げ捨てられたことが、私にとって最悪の出来事ではありませんでした。まぁいろいろあったのですが、それはこっちにおいといて、成長して中学生になったころに、こんなふうな感覚を抱くようになりました。それは、「生きていく上で一番大切なものを与えられていない」、というものです。それが何なのか自分でも理解できなくて、家で暴れたりしました。高校生になるとニーチェの哲学書などを読んだりもしましたし、テストを白紙で出したり、テスト用紙の裏に延々と落書きを書き続けたりしました。たしかに自分でも異常な精神状態であることは自覚していましたが、精神病院に行ってみても、異状なしということでした。

 その後社会に出てから、さらに目茶苦茶な人生を送ることになりました。親に行く先も告げずに蒸発した日のこと、舞台に立って喝采を浴びた日のこと、ゴミで埋もれた部屋の中をネズミが走り回るのをただぼんやりと眺めていた日のこと、汗まみれになって働いた日のこと、人生の行き止まりにぶつかってすべてお手上げになった日のこと、キレて職を転々とした日々の思い出、等々いろいろな出来事がたくさんありますが、そう言った出来事を書き並べて眺めて見ますと、支離滅裂な人生をよくここまで生きてきたものだとわれながら感心します。

 ある人から「お前を見ていると、運命という言葉の意味を考えてしまうよ」と言われたことがありました。たしかに変化の多い人生かもしれませんが、私としては、この世に飛び出した勢いのまま走り続けてきたようなものです。みなさんの中には、私よりももっと波乱万丈の過去を持っている人もいるでしょうし、あるいは逆に、ずっと親の言いなりになっていて、素直な良い子で生きてきたのに、最近になって「何か」に目覚めたという人もいるかもしれません。いずれにせよ過去を書き換えることは出来ませんので、泣いたり叫んだりしながらでも、受け入れていかなければなりませんが、そういう自分の過去を一望してみますと、言葉にはならない感慨がわいて来るのです。

 私の過去はあまり人に見せられるようなものではないので、「犬も食わないような人生」と呼んでいたこともありました。境界例の人は、自分の深刻な問題を人に話したがる人が多いそうなのですが、私も以前はそうでした。犬も食わないような人生でも、それでも誰かに理解してもらいたいという思いがあったのです。しかし、心の底にあるグロテスクなものを人に話したとしても、理解してくれるはずがありませんし、暗い過去などを話しても、「別人みたい」と言われて、遠ざけられてしまうだけです。表面的には「まとも」に見える分だけ、内面的な話をはじめると、その落差に驚かされたのかもしれません。自分のことを話したくなったとしても、自分の周囲にいる人達は、訓練を受けたセラピストではないのだということを、何度かの失敗を重ねて理解するようになりました。自分としてはありのままの自分を理解してもらいたくて話すのですが、結果としては気味悪がられたり、変わった奴と思われるだけで終わってしまうことが多いでしょう。治療場面ならともかく、不用意に自分を語ることで、理解のない人から傷つけられる可能性もあるということを、おぼえておいてください。たしかに自分の体験を語ることで、気持ちの整理がついて楽になることもありますが、自分の体験が社会的に許容される範囲から外れていたり、まともな人の理解を超えたものであるような場合は、語るべき相手について考えた方がいいでしょう。もし、治療を受けていたとしても、セラピストとの関係で治療関係が破綻するケースもありますので、普通の人を相手にする場合は、なおさらでしょう。それに、人に語るにはあまりにも醜悪でみっともないような部分は省略されたり、脚色されたり、あるいは不幸自慢みたいに誇張されたりして、どうしても他人に受け入れられやすい自分を語るようになってしまいます。善悪の価値判断をせずに、なんでもありの、ありのままの自分を見つめるには、やはりプライベートな場面だけにしておいた方がいいのではないか、――と、私は思います。

 人によっては、挫折の多い過去を見つめることで、うつ状態になる人もいると思います。他人と比較したり、自分の将来のことを考えたりすると、暗い気持ちになります。「私の人生はこんなはずじゃなかったのに」と思うと、行き場のない袋小路に入り込んでしまったような気がして、絶望的な気持ちになったりします。私もそういう状態になったこともありました。もし、あなたが死にたくなったり、自殺を考えるようになったときは、治療を受けることをお勧めします。生きることの意味に疑問を持ったとしても、それは脳内物質のアンバランスが作り出した思考でしかないのです。あるいは過去の抑圧された感情が作り出した「絶望」という名の幻影に過ぎないのです。ですから、死を考えるようになった場合は、取り敢えず哲学的な思考はやめて、治療を受けてみてください。人によっては自分が薬に支配されることを嫌う人もいるかもしれませんが、そういう薬を拒絶する気持ちの背後には、見捨てるという脅しによって子供を支配しようとした親への反感や恐れといった感情が潜んでいるのではないかと思います。そういう支配されることへの恐れが、薬への依存を嫌う感情となって現われているのでしょう。たしかに薬は対症療法でしかありませんが、自分が危機的な状況に陥ってしまい、自分で自分が手に負えなくなったような場合には、そこから抜け出すための力強い武器となってくれます。

 私は、これまでの一連の過去を振り返る文章の中で、トラウマ(心的外傷)という言葉を意図的に使わないようにしてきました。なぜなら、この言葉にはいろいろと問題が多いからです。たしかに、過去の出来事をトラウマとして捉えることで雄弁になる人もいます。自分の抱えている問題で、ずっと自分で自分を責め続けてきたような場合、自分が悪いのではなくて、他人から与えられた心の傷が原因なのだと言う視点は、本人にとって発想の転換をもたらすものであり、今まで溜まっていたものを吐き出させる効果を持つことがあります。こういう長所を持っている言葉ではありますが、そこから先へ進もうとするときに、逆に邪魔になったりします。つまり、被害者であることの万能感に浸ってしまい、過去の出来事を、なかなか自分自身の問題として捉えられなくなってしまう危険性があるからです。過去の出来事には、被害者と加害者という二面性だけでは捉えきれない複雑な要素がたくさんありますが、トラウマと言う言葉を使うことで、自己分析の鍵となるような微妙な要素が全部吹き飛んでしまうのです。ですから、過去の出来事はトラウマではなくて、あくまでも「出来事」なのです。

 自分の過去の出来事を把握し直す作業の次に、いきなり精神分析的な夢の分析などに進むのではなくて、その前に自分で出来るいろいろな方法について、次の項目で考えてみたいと思います。




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