ホーム回復のための方法論



過去の受容 11-2

悲しみの作業 (2)
  Ver 1.0 1999/10/25


 では、もし悲しみの作業が妨げられたらどうなるでしょうか。悲しいのに、悲しむことが出来なかったり、泣きたい気持ちなのに、泣くことが出来なかったら……。日常レベルの悲しみであれば、悲しむことが出来なかったからといって、それほど問題になることはないでしょう。しかし、レイプなどの周囲の人から理解されにくい感情などは、理解されにくい分だけ発散されずに、心の底に淀んだまま残ってしまいます。あるいは、自分自身でも、悲惨な体験は忘れてしまおうと、感情を抑え込んだりします。その体験が悲惨であればあるほど、周囲の人も、自分自身も、どうしていいのか分からずに、さまざまな感情が未処理のまま残りやすくなります。悲しみだけではなくて、恐れや不安、怒りなどの感情が出口を失ったまま、心の底に鬱積するのです。

 もし、火山が噴火しようとしているときに、その火口に巨大な指を突っ込んで、噴火できなくしたらどうなるでしょうか。抑え込まれたマグマは出口を求めて、岩盤の弱いところから噴き出したりします。あるいは、内部の圧力によって山体が崩壊してしまうことさえもあります。悲しみの感情についても同じことが言えます。当たり前のことですが、悲しいときには悲しむのが普通なのです。もし、愛する人の葬式が終わったばかりだというのに、笑顔ではしゃぎまわっていたとしたら、その方がよっぽど異常なのです。しかし、私たちの抱えている問題は、葬式の時の悲しみのように、分かりやすいものではないのです。幼いころからのさまざまな悲しみが、心の底に複雑にからまったまま堆積しているのです。

 おそらく、私たち境界例にとって、未処理のまま残っている最大の悲しみとは、乳離れの悲しみではないでしょうか。赤ん坊が、この世というところはどんなところなのかまだ分からない状態のときに、この世には自分が生きてゆくために必要なすべてのものを与えてくれる存在があるんだということを認識します。赤ん坊にとっては、何が何だかよくわからないけれども、泣けば苦しみから解放されるし、泣けば自分を気持ち良くしてくれるような、何かそういうことをしてくれる存在が外部にあるようだということを理解します。自分が生きてゆく上で必要なすべての面倒を見てくれる存在、自分を生かしてくれる存在というか、何かそういう力がこの世には存在するのだという確信を抱きます。しかし、授乳状態が赤ん坊にとってひどいものであったとき、そのような自分を生かしてくれる存在を充分に確信できないまま乳離れの時期を迎えることになります。このような、母親との不充分な関係しか持てないような状態での乳離れは、オッパイとの「別れの悲しみ」どころではありません。授乳関係を断たれるということは、死の恐怖を感じさせるものとなってしまいます。正常な精神の発達を遂げるのであれば、授乳関係を卒業しなければならないという悲しみをうまく乗り越えて、母乳に変わる存在である離乳食を精神的に受け入れていったりして、少しずつ自分の力で生きてゆくことを学んでゆきます。しかし、授乳関係が非常に不安定なものであったりすると、精神的に乳離れをすることが出来ません。とても耐えられないような恐怖感や不安感が先に出てきてしまいます。悲しみの感情とは、かけがえのないものとの別れを受け入れる過程で発生するものなのですが、不安や恐怖感が強すぎたりしますと、そのような愛情対象を喪失したんだという、そのこと自体を否定してしまいます。離乳という現実を否定し、精神的には、いつまでもオッパイを飲み続けているという妄想にしがみつくようになります。このようにして、現実に目をつぶることで危機を回避しようとするのです。これは分離の拒絶であり、精神的な乳離れの拒絶であり、いつまでも母乳を飲んでいたいという退行願望であり、現実からの逃避そのものです。そして、現実には乳離れしているにもかかわらず、妄想の世界では架空のオッパイを飲み続けているのです。そういう空想に浸ることで、パニックを回避するのです。このような喪失に対する対処の仕方は、その後の人生のあらゆる場面で再現されることになります。成長に伴って、精神的に大人にならなければならないようなあらゆる場面で成長を拒否し、母親の乳房との一体感を意味するような妄想を総動員して、危機を回避しようとするのです。たとえば、乳離れに続いてやってくる、見捨てられ不安が出現する時期においても、乳離れの時と同じように、分離の不安に耐えることが出来ずに、乳離れの時と同じように、精神的な分離を否定することで危機を回避しようとするのです。そうすると回避されるのは分離の不安だけではなくて、分離に伴う悲しみの作業そのものも無くなってしまいます。そして、この悲しみを作業を省略したツケは大人になってから回ってくるのです。

 自立しなければならないのだという現実を否定したり、赤ん坊のような母子関係の妄想にしがみつくというやり方は、いつまでも通用するものではありません。成長に伴って、現実の荒波が妄想の防波堤を少しずつ侵食してゆきます。やがて、妄想の防波堤が決壊したとき、今まで回避してきた諸々の感情が、津波のように一気に押し寄せてくるのです。乳離れをしなければならないときに感じた、この世のすべてから見捨てられるのではないかと思われるような不安と恐怖、自分に必要なもののすべてを与えてくれるような母親はいないんだという現実、愛情対象を喪失したんだという圧倒的な悲しみ、そういったいろいろな感情が津波のように押し寄せて来るのです。今まで妄想という防波堤で守られていた壊れやすい自我は、凄まじい津波の力で簡単に打ち砕かれてしまいます。とてもじゃないですが「悲しみを悲しむ」どころではありません。しかし、本人はこのような精神状態を回避するために、更に現実を否定し続けようとしますので、自分に何が起こったのか理解することが出来ません。というよりも、あまりにも巨大な感情が押し寄せてきて、それに圧倒されてしまって、理解しようにも理解できないという状態なのかもしれません。いったい自分に何が起こったのか。なぜこんなにも心がふさぎ込んでしまうのか。なぜこんなにも憂鬱な気分に支配されてしまうのか。なぜ精神的に窒息しそうになるのか。なぜこの世から消えてしまいたいと思うのか。なぜ生きる意味がわからなくなってしまうのか。そういった、諸々の感情がなぜ発生するのかということが理解できません。そして、自分で自分をコントロールできなくなってしまいます。

 私も、この文章を書きながら「あの日」のことを思い出してしまいます。なぜか日に日に精神的に息苦しくなってきて、やがてある日、見るもの、聞こえるもの、すべてが悲しみの一色に塗りつぶされてしまいました。歩道の街路樹が、今までとは違って悲しみに泣き叫んでいるように見えます。木の枝も、あまりの悲しみに悶えながら苦しんでいるように見えます。歩いている人たちも、みんな悲しみに押しつぶされているように見えます。明るい太陽の陽射しさえも、あまりにも悲しそうに輝いて見えます。まわりから聞こえてくる物音も、私に激しい悲しみを訴えかけているように聞こえて来ます。世界のすべてが悲しみに塗りつぶされてしまって、自分でも自分をどうすることも出来なくなってしまいました。突然あらゆるものが激しい悲しみに染まって見えてきたので、私は悲しみに圧倒されながらも、自分の精神状態の異常性に気づき、助けを求めてオロオロと病院まで歩いてゆきました。

 その後、薬の力で、こんなひどい状態からは抜け出すことが出来たのですが、鬱の精神状態はしばらくつづきました。死にたいというよりも、この世から消えてしまいたいような、そんな気持ちでした。しかし、死ぬ気力さえもないような、情けない状態でした。心の底に眠っている未解決の問題が今の症状を引き起こしているのだということは理解していましたが、当時はそれがなんなのかは分かりませんでした。しかし、今ならそれがなんなのか分かります。自分をうつ状態に陥れたものの正体を描くことが出来ます。つまり、それは今まで述べてきたような、対象喪失の苦しみだったのです。あの時、生きてゆくために必要なもののすべてを与えてくれるような、そんな存在はもういないんだという事実に直面して、今まで避けて通ってきたさまざまな感情に圧倒されてしまったのです。もう、おんぶに抱っこで自分を支えてくれるような存在はないのだという現実をやっと理解できるようになってはじめて喪失の苦しみに襲われたのです。自分の力では自分の人生を支えることが出来ないという絶望感。生きてゆく希望も力もないような精神状態。なぜ生きなければならないのか分からなくなってしまうような状態、そんな状態になってしまったのです。それまでは、まったく根拠がなくても「何とかなるさ」という妄想が防波堤となっていたのですが、どうにもならないような状況に追い詰められて、その時になって初めて、現実というものを思い知らされたのです。出来事が自分に都合のいいように回転しなくなったとき、泣けば自分を救ってくれるオッパイがが登場するはずだという妄想が崩れたのです。しかし、実際には泣いても叫んでも誰も助けてくれなかったのです。泣いても叫んでも何も変わらなかったのです。

 どんなにばかばかしい妄想であっても、何とかなるさという漠然とした確信が防波堤になっていたのです。しかし、どうにもならなくなったとき、妄想が崩れ、離乳の時の未処理のまま残っていた感情が一気に噴き出してきたのです。そして、オッパイという、かけがえのない愛情対象を失ったのだという事実を受け入れざるを得なくなって、うつ状態になったのです。こんなふうに、圧倒的な感情に押しつぶされて自分でもどうすることも出来なくなってしまった時は、薬の力を借りてでも、押し寄せてくる悲しみの感情を抑えなければなりません。しかし、押し寄せてくるのは悲しみだけではありません。今まで愛情対象に加えてきた攻撃に対する償いの気持ちとかもあります。たとえば、オッパイを与えられずに放置されたことへの怒りなど、さまざまな感情が関係してくるのですが、この辺のことは話が長くなるので別なところで書こうと思います。そういった悲しみだけではなくて、いろいろと複雑な感情があるために、薬だけではコントロールしきれない部分も出てきます。しかし、大切なことは、薬の力を借りるにしても、押し寄せてくる感情の源を分析しようとする態度ではないかと思います。何が憂鬱なのか。何が悲しいのか。何に絶望しているのか。そういったものの正体を見極めようとする姿勢が必要だと思うのです。これは、当然のことながら、すぐにできることではありません。非常に時間のかかる作業です。そして、時間のかかる作業ではあっても、これをやっていかないことには、いつまでたっても抑うつ感から抜け出せません。あるいは、人によってはもう一度妄想にしがみつくことで抑うつ感を回避しようとするかもしれませんが、そういった妄想や回避行動を分析しないことには、ふたたび妄想の防波堤が決壊するような状態に直面するかもしれません。しかし、妄想がある程度現実と辻褄の合うものであれば、敢えて心の底を引っ掻き回すようなことをすべきなのかどうかという問題が出てきます。要するに寝た子を起こすなというわけです。まぁ、この辺の判断は人それぞれということになりますが、もし本質的な解決を望むのであれば、心の底に眠っている未処理の感情を探し出してみた方がいいのではないかと思います。

 自分が喪失したものはなんなのか、未処理のまま残っている感情とはなんなのか、そういったものを探し出す作業は、考古学者が土に埋もれた遺跡を発掘する作業に似ています。私たちの場合も、時間という砂に埋もれた「過去の体験」という遺跡を、少しずつ発掘していかなければなりません。そして、砂の中から姿を現した土器の破片や、いろいろな破片をつなぎ合わせて、それがどういう形をしたものであったのかを復元しなければならないのです。そして、人骨の破片などが出てきたときには、それらを人間の形につなぎ合わせて、弔ってやらなければなりません。未処理のまま過去の砂に埋もれていた喪失の悲しみも、ひとつずつ掘り起こして、悲しみの作業を施してやらなければなりません。葬式の儀式に見られるような、初七日とか四十九日とかいう、家族を失った事実を受け入れるための儀式と同じようなことを、分析を通じて行なうのです。そして、残された遺族が悲しみを悲しむことで、亡くした人の面影を心の中に定着させてゆくように、時間のかかる作業ではありますが、私たちも、失った愛情対象を、悲しみの作業を通じて、少しずつ定着させてゆかなければなりません。

 何度も書きますが、時間のかかる作業です。発掘もそんなに簡単にできるようなものではありません。考古学者がさまざまな知識を動員して砂に埋もれた遺跡の位置を推測するように、時間の砂に埋もれた遺跡を発掘するには、精神分析的な知識が必要となります。しかし、時には専門知識のないままやみくもに掘り進んでいったら、突然たいへんなものが出て来るということもあります。まぐれ当たりみたいなものです。突然悲しみの大鉱脈に突き当たり、悲しみが油田を掘り宛てた時のように猛烈に噴き出してきたりします。私も何度か経験があるのですが、突然泣きたいような気持ちになって、一人で部屋の中で狂ったように泣いたりします。こういう状態というのは、あまりにも激しく泣くので、こんなに大量に涙や鼻水が出たら脱水症状になるのではないかと思えるほどです。しかし、目や鼻からオシッコが出ていると思えばいいではないか、などと変なことを考えたこともありました。何度も鼻をかむので、ティシュが大量に消費されて、ゴミ箱がすぐに満杯となり、鼻の頭もヒリヒリしてきます。それでも水分を補給しながら頑張って泣き続けていると、そのうち顔の筋肉が疲れてきたり、ノドや胸の筋肉が疲れて痛くなってきます。本当に泣き疲れてへとへとになって、そのまま眠ったりします。そして、これだけ泣いたんだから、もう問題は解決しただろうなどと思うのですが、実際には全然解決していなかったりします。根の深い問題を抱えていればいるほど、こういった悲しみの作業を、何度も何度も繰り返していかなければならないと思います。あるいは、このような派手な悲しみ方ではなくて、しんみりとした静かな悲しみもあります。深夜に雪が音もなく降り積もるように、悲しみが静かに心に降り積もってゆきます。水溶液の浮遊物がゆっくりと容器の底に沈殿してゆくように、悲しみがゆっくりと心の底に沈んでゆくのです。このようにして、悲しみの作業が静かに進行してゆくのです。そして、失ったものの面影が、時間をかけながら自分の心に定着してゆくのです。私もまだ悲しみの作業を終えたわけではありません。時間をかけながら、今でも続いています。




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