ホーム回復のための方法論


過去の受容 1

受け入れ難い過去 
 Ver 1.0 1999/08/05


 思い出したくもない過去のある人は、好むと好まざるとにかかわらず、その過去を背負っていかなければなりません。愛情のない見せかけだけの家族、精神的に、あるいは肉体的に虐待された過去、そういったものを背負っていかなければなりません。忘れようと思っても、過去を書き換えることは出来ません。そして、なにかの時に忌まわしい過去が顔を出したりします。過去に形成された心の歪みが、人生の選択を迫られるような場面で判断を誤らせ、自分自身を苦しめます。

 殺人事件の裁判などで、犯人を憎んでいた遺族が、長い裁判を通じて、最後には犯人を許すようになったというような話を聞いたことがありますが、現実問題として自分に出来るだろうかと考えてみますと、ほとんど不可能に近いのではないかと思えたりします。百回殺しても殺し足りないような人を、なぜ許さなければならないのか。復讐するだけでは問題は解決しないことは、頭ではわかっていも、感情的には復讐せずにはいられません。表面的に、偽善者を演ずることが出来たとしても、腹の底には、肉親に対する激しい憎悪が眠っていて、爆発する機会を待っています。そして、このような過去の未処理の感情が、キレやすいという性格的な問題となって自分を苦しめます。

 このような、過去の未処理の感情が、現在の我々の心に様々な歪みをもたらしています。憎しみが激しくて、相手を抹殺してしまいたいという願望を持っているような場合、その憎しみが行き場がなくて、相手にではなくて自分自身に向けられたような場合、自分自身をこの世から消してしまいたいという歪んだ願望に変わることもあります。相手の息の根を止めてやりたいという願望が、自分自身の息の根を止めることになり、自分自身が精神的に窒息しそうな苦しみを味わったりします。

 境界例の人は、乳幼児期に、親との精神的な分離が達成されていないので、親との一体感から別れなければならないという悲しみが未処理のまま残っています。乳離れや、親離れが不十分なために、一体感を失うことの悲しみが未処理なのです。大人になっても、分離を意味する出来事に直面すると、乳幼児期から抱え続けている、喪失することの悲しみが前面に出てきます。そして、この耐えられないくらいに強い悲しみが、私たちの人生を暗くて悲哀に満ちたものにしたりします。見捨てられた悲しみや悲哀に押しつぶされて、生きることの意味を失って絶望的になたりします。人によっては抑うつ神経症と言われたり、鬱状態と言われたりします。

 心の奥に、過去に植えつけられた恐怖感が潜んでいると、これが回避行動となって表れたり、神経症的な行動となって表れたりします。あるいは、自我が確立されていないと、自分が何者であるのか確信が持てず、自己実現を求めてさまよい続けたりします。性的に自分が何者なのか確信が持てないような場合は、様々な性的に逸脱した行動に走ったりします。

 こういった問題を解決するためには、もつれた糸を、ひとつずつほどいていかなければなりません。もつれた糸にこびりついて固まっている歪んだ感情を、少しでも溶かして、糸がほどけやすいようにしなくてはなりません。しかし、こういうことを言葉で言うのは簡単ですが、実際に自分がどこまでやれるのかというと、非常に厳しいものがあります。しかし、少しでもなんとかなるのもなら、試してみようではありませんか。実際、私は過去に二回、自己分析によって劇的な体験をしているので、これを続けていけば、もっと状態が良くなるはずだという、体験的な確信をもっています。ただあまりにも時間がかかる作業のため、精神的に挫折しそうになることもときどきありますが、もし、みなさんがもっと効率的に問題を解決したいと思うのであれば、ぜひ治療を受けることをお勧めします。しかし、ここでは、自己分析がテーマですので、自分で出来る方法について考えてみましょう。根の深い問題は、精神分析的な技法を使わないと解決が困難な場合もありますが、精神分析の話をする前に、もっと簡単にできる方法などについて、いくつか書いてみます。




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