ホーム回復のための方法論


過去の受容2

語りかけの方法
  Ver 1.0 1999/08/07

 私たちは空想の中で、いろいろな人と話をする場面を思い描いたりします。過去の不愉快な場面を再現していくと、空想の中で、だれかに向かって不満をぶつけたりします。「なんでお前は、あの時、私にあんなことをしたんだ」とか、「どうしてあの時、私の気持ち理解をしてくれなかったんだ」とか、様々な思いを相手に向かって叫んだりします。そして、空想の中では、相手の人はその過ちゆえに罰せられるストーリー展開となり、私たちに許しを請うような場面になったり、その罪ゆえに身を滅ぼす場面になったりします。私たちは、こうやって空想の中で、行き場のない憎しみや怒りを解消しようとします。空想ですから、多少つじつまが合わなくてもまったくかまいません。空想の中では、自分に対してひどいことをした人が、周囲の人から非難されて、徹底的な制裁を受けるのです。そして、そういう空想をしている自分自身は、まるで善悪を裁く神のような存在となって、相手の悪行を徹底的に暴き、容赦のない判決を下すのです。

 人間関係でひどいストレスにさらされたようなときには、このような空想を抱いたりする人は多いことでしょう。そうならば、これを意図的にやったらどうでしょうか。過去を振り返る過程で、様々な不愉快な出来事が回想されてくると、溜まった感情を解放したくなります。しかし、過去のあの時の、あの状態の、あの人は、いま、ここには、いません。ですから、意図的に目の前にその人がいると空想して、その目の前の人に向かって、自分の言いたいことを言ってやるのです。目の前にその人が居ると空想することが難しいなら、たとえば椅子や座布団などを二つ用意して、そのひとつに自分が座っていて、もうひとつに憎い相手が座っていると考えれば、少しは相手の姿を描きやすくなるでしょう。あるいは、向かい合っている椅子が空席なのが気になるようなら、枕をそこに立て掛けておいてもいいでしょう。そして、言いたいことを言ってやるのです。もし感情が昂ぶってきて、言葉で相手を罵倒するだけでは気が済まなくなったら、その枕を思いっきり殴ってやればいいのです。枕を相手の顔に見立てて、思いっきりその横っ面を張り倒してやればいいのです。あるいは、不安になったり悲しくなったりしたときは、抱き枕を抱いて、泣きたいだけ泣けばいいのです。

 この架空の相手と対面して会話をしたりするやり方は、自分自身と向き合うときにも使えます。特に治療を受けていない人の場合は、二つの椅子を患者の座る椅子と、セラピストの座る椅子に見立てて、その二つの椅子を一人で行ったり来たりするのです。一人で二役を演ずることで、実に安上がりな?治療を受けることが出来ます。患者用の椅子に座っているときは、目の前にセラピストがいることを想像して、自分の悩みを打ち明けます。ひと通り話し終えたら、今度は、セラピストの椅子に座って、目の前にいる悩める自分に向かって、セラピストとしての冷静な視点からアドバイスを与えるのです。雰囲気を出すために、二つの椅子の間にテーブルを置いたり、ちょっとした花を飾ったり、あるいはもっと凝ってみたい人は、制服を売っている店などで白衣を買ってきて、セラピストを演ずるときにそれを着てみるのもいいでしょう。しかし、あまり凝りすぎると本筋から外れてしまいますので注意しましょう。あまり有能なセラピストではないかもしれませんが、友達から深刻な相談を受けているつもりで、真剣に自分自身の悩みの相談に乗ってみるのです。

 相手に対して何かを語りかけるときに、自分の心の中にある感情が漠然としていて、まだ言葉として表現できるような状態になっていないような場合には、「デタラメ語」を使うという方法もあります。これはアクターズ・スタジオの俳優訓練の方法のひとつなのですが、目の前に誰かを思い浮かべて、その人に向かって「デタラメ語」で自分の感情を吐き出すのです。たとえば「チタイニナタセニイニキ」とか「パピポタ※△%?○♪◇」とかいう言葉で、感情をぶつけるのです。これは、たとえばテレビやラジオの放送などで、特定の周波数の電波に映像や音声の信号を乗せて送信するように、デタラメ語という意味のない言葉の上に自分の感情を乗せて、口から送信するのです。心の中に潜んでいる混沌とした、まだ正体の定かでないような感情を見つめるときに、このやり方が使えます。相手に向かって、何か言ってやりたいのだけれど、何が言いたいのかまだよくわからないような場合です。過去の、あの日、あの時の父や母を思い浮かべて、デタラメ語で話しかけているうちに、やがて自分が何を言いたかったのか、わかるようになるかもしれません。最初はデタラメ語でしか表現できなかったものが、やがて言葉として表現できるようになるかもしれません。このやり方で重要な点は、声を出すということです。声を出すということは、感情を吐き出すことの呼び水になります。そして、デタラメ語という、言葉「らしき」声を発することで、言葉を導き出す呼び水ともなります。ですから、デタラメ語で語りかけるときは、自分の心の底からわき上がってくるものを見つめながら話すようにしなければなりません。ただの子供の遊びではありません。自分を見つめるためのデタラメ語なのです。そして、もし言葉が出るようになったら、デタラメ語をやめて、言葉で語りかけましょう。このやり方で注意しなければならないのは、プライバシーを守るということです。知らない人が聞いたら、頭がおかしくなったのではないかと思いますので、プライバシーの守れる状況でやってみてください。あるいは、理解してくれる同居者がいるなら、事情を話してからやってみてください。どうしても声を出すことにためらいがある場合は、ささやき声でもいいでしょう。

 口で語りかけるだけではなくて、文章で相手に語りかける方法もあります。きちんとした文章でなくてもいいのです。言いたいことをどんどん書き綴っていきましょう。感情が昂ぶってきたら殴り書きでもいいのです。あるいは、いわゆる「配達されない手紙」というやり方もいいでしょう。ノートに書いても、便箋に書いてもいいです。母親に、あるいは父親にあてて、配達されることのない手紙を何通でも、気の済むまで書いてみましょう。本人に読まれてしまうといろいろと問題のあるようなことでも、配達されない手紙なら、安心して書けます。自分の思いを、ありのままに書き綴ってみましょう。

 わだかまっていた感情が開放されるにつれて、受け入れ難かった過去が、少しずつ変化していきます。時間のかかるプロセスではありますが、繰り返し語りかけているうちに、悲惨だった過去が、少しずつ和らいでゆくのです。


【関連ページ】
 「日本一醜い親への手紙」 ( [本の紹介]−[虐待] )
 出版社へのリンクが張ってありますので、この本に出てくるすべての手紙の原文をネット上で読むことが出来ます。これも「配達されない手紙」です。



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