ホーム回復のための方法論


過去の受容3

感情を開放する方法
  Ver 1.0 1999/08/12

 これもアクターズ・スタジオで行なわれている俳優訓練の方法のひとつです。俳優が優れた演技をするために必要な能力は何かというと、集中力です。集中力を得るために必要なことは何かというと、リラックスの能力です。そこで、このリラックスを獲得するための訓練方法が考え出されました。これは、アクターズスタジオの、「ザ・メソッド」(方法)と呼ばれる俳優訓練法の基礎となっている部分です。アクターズ・スタジオでは、こういった訓練方法によって、いわゆる「映画スター」と呼ばれるような、世界的に有名な俳優を大量に輩出してきました。マーロン・ブランドやジェームス・ディーンをはじめとして有名な俳優がたくさんいます。あのマリリン・モンローも自殺した当時、演技の勉強をやり直そうとしてアクターズ・スタジオに籍を置いていたことは有名な話です。ここを卒業した俳優の名前を挙げれば、きりがないくらいで、言わば、アメリカにおける俳優養成所の名門中の名門といったところでしょう。この俳優養成所で行なわれている訓練方法のうち、自己分析に使えそうな「感情の記憶」や「デタラメ語」といったやり方を、以前紹介してきましたが、ここでは感情の開放について紹介してみたいと思います。

 さて、リラックスと集中力についてですが、私たちが本当に何かに集中しているときというのは、みなさんも体験からわかると思いますが、余分な緊張がなくなって、思考がそれひとつに集中して行きます。いわゆるリラックスした状態です。たとえば、舞台の上に誰かを立たせたとします。ただそこに立っているだけでいいのですが、舞台経験のない人にとっては、ただ立っているだけのことが非常に難しいのです。日常生活では、駅のホームや、交差点などで、ただ立っているだけという状態を経験しているはずなのですが、舞台の上に立って数百人の観客の視線を浴びながら、なにもせずに立っていようとしても、これがなかなか出来ないのです。まず、たいていの人は、手のやり場に困ってしまいます。ただ、だらりと手を下げていればいいのですが、何か不自然な気がして、落ち着かない。見られているという緊張感から、自然な仕草とはどういうものだったのか、さっぱりわからなくなってきます。腕を組んだり、腰に手を当てたりして、なかなか落ち着きません。自然に振る舞おうとすればするほど緊張してしまい、ぎこちなくなります。これでは俳優失格です。ではどうしたらいいのかと言うと、手っ取り早い方法として、何かをやらせる方法があります。たとえばかなり難しい暗算などをやらせたとします。すると思考がそっちの方に集中することによって、自然な手の動き、自然な身振りが、いとも簡単に出て来るのです。舞台で何かに集中させればさせるほど、見られているという意識や緊張感はなくなっていきます。たとえば、全裸で舞台に上げられても、何かに深く集中していれば、見られている恥ずかしさや緊張感は消えてしまいます。自分の部屋で裸になって下着を着替えているのと同じように、数百人の観客が見つめている舞台の上でも、普段通りに自然な着替えの場面を演ずることが出来るのです。そして、こういったことをどれだけ深いレベルで実行できるかということが、その人の俳優としての能力の問題となってくるのです。このような深い集中状態にあるときには、自分を人前にさらけ出しても、身体がリラックスしていて、無駄な緊張がありません。こういうことは、たとえば、新人の俳優を何人も舞台に上げて、一列に並べてみると、一目でわかることもあります。優れた素質のある人というのは、なぜか目立つのです。みんなと同じように並んでいるだけなのに、なぜかその人だけ存在感があるのです。つまり、自分をさらけ出すことに対する不安や緊張感が他の人よりずっとずっと少ないからなのです。

 前置きが長くなりましたが、このように、リラックスと深い集中は密接な関係にあります。で、このリラックスや深い集中の邪魔をするものは何かと言いますと、自分をさらけ出すことへの不安や恐怖感なのです。この不安はどこから来るのかといいますと、心の奥底に潜んでいる葛藤や未解決のまま抑圧されている過去の出来事なのです。そういった、心の奥にあるものを引っ張り出すやり方を、これから書いてみます。これは、分析的なやり方から比べると、かなり乱暴なやり方かもしれませんが、ひとつの方法として試してみる価値があると思います。

 このやり方を実際にやってみますと、突然悲しくなって泣き出したり、パニック発作に襲われたりすることもあります。あるいは、少ないケースかもしれませんが、急に笑いはじめて、その笑いが止まらなくなって苦しくて周囲の人に助けを求めたりする人もいます。そして、やっとのことで笑いが止まったかと思ったら、今度は大声で泣き出したりします。しかし、自己分析という、インストラクターのいない状態では、はたしてどこまで感情が引き出せるのかわかりませんが、人によっては、ある程度のところまで行けるのではないかと思います。ただ、うつ状態の人がこういった感情の開放をやっても大丈夫なのかという疑問もあります。推測ですが、うつ状態にある人にとっては、もしかしたら危険かもしれません。もしやるなら、自分の責任でやってください。

 まずはじめに、椅子に腰掛けて、身体中の力を抜きます。軽く手や足を動かしながら、余分な力が入っていないかチェックしながら力を抜いていきます。インストラクターがいる場合は本当に力が抜けているか、チェックが入ります。たとえば、その人の手をつかんで持ち上げてから、パッと手を放します。完全に力が抜けていれば、手は落下するように下に落ちていきますが、余分な力が入っていると、面白いことに途中で手が止まったり、ゆっくりと下がっていったりします。完全に力を抜くというのはなかなか難しいものです。手や足だけでなくて、肩や腰の力も抜きます。そして、顔面の筋肉の力も抜きます。私たちは人と接しているときなどに、無意識的に顔を作ってしまうのですが、顔から余分な力が抜けると、言わば真顔になるとでもいいますか、顔つきが変わって見えます。そして、この手足を動かしながら力を抜いてゆく過程で「あー」という声を出します。唇を動かして、口のまわりの緊張も取るようにして、心の底から声を出します。そして、声を出しながら力を抜いていきますと、心の中に何かがつっかえっているような場合には、それが声とともに出てきます。それを「あー」と声とともに吐き出します。ここで、人によっては、急に悲しい気持ちになって、喉や胸に、締めつけられるような筋肉の緊張が現われたりします。さらに声を出し続けていると、悲しみがだんだん強くなって、もはやリラックスのどころではなくなってきます。そして、大声を上げて子供のように泣きじゃくったりします。椅子に座っていることさえも出来なくなって、床をのたうち回るようにして泣き叫んだりすることもあります。こういう強い感情が出てきたら、その感情をすべて吐き出すようにしましょう。吐き出してしまえば、一種のカタルシスといいますか、あとである種のすっきりした気持ちになれます。あるいは逆に、人によっては、今まで気付かなかった激しい感情が眠っていることを知って、精神的に苦しくなる場合もあります。

 このような訓練を集団で行ないますと、泣き叫んでいる人がいたり、笑っている人がいたりで、会場はまさに「異常」な状態になります。

 もちろん、人間には様々な防衛機制がありますから、人によっては何の感情も出てこないこともあります。そういう人の場合は、このやり方よりは、分析的なやり方の方がいいのかもしれません。

 この「あー」という声を出すことを発展させたのが、先に書いた「デタラメ語」で語りかけるというやり方です。他にも、歌を歌うと言う方法もあります。私の場合は、「春の小川」という童謡を歌おうとしたのですが、なぜか歌えないのです。この歌を歌いはじめると突然悲しくなってきて、涙が出てきて、もう歌どころではなくなってボロボロになってしまいます。こういった声を出すやり方の場合には、デタラメ語のところにも書きましたように、心の底からわき上がってくるものに注意を集中しながらやった方がいいと思います。

 正式なやり方は、上に書いたようなものなのですが、別に布団の上で横になってやってもいいですし、声を出すのがまずいような状況では、かすれ声といいますか、そんな「音」を出すのでもいいと思います。自己分析に使うときの目的は、感情を吐き出すことにありますので、自分なりの、感情の出やすい方法を工夫してみるのもいいかもしれません。


【感情の記憶の方法】
 「記憶の引き出しを開ける」 ([回復のための方法論]−[過去を振り返る])



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