ホーム回復のための方法論


書くこと Ver 1.0 1999/06/12

 書くことの利点は、思考の泡を固定することが出来る点にあります。思考というのは泡のようなもので、無意識という沼の底から、たえずブクブクといろいろな考えを、意識の水面に浮かべてきます。それらは断片的なもので繋がりがなかったり、繋がりがあっても、他のことを考えていると忘れてしまったりします。書くことによって、思考の泡を紙の上に固定することが出来れば、ただ漫然と物事を考えているよりは、より系統立てて物事を考えることが出来ます。また、書き留められた考えと向かい合い、自問自答することで、多少は客観的に自分を見つめることが出来るので、自己分析が進んで行きます。そして、問題の回避をわずかながらでも食い止めることも出来ます。

 書くと言っても、きれいな字で書く必要はありませんし、整った文章で書く必要もありません。書くことの目的は、自己分析です。自分を知ることを目的として書くのです。この意味で、日記とは少し主旨が違います。かといって、日記がいけないというわけではありません。たとえば「回復日誌」というノートを用意して、自分が遭遇した日々の出来事を書き、その時々の自分の心理を分析するための専用の日記としてもいいでしょう。

 書く内容は、特に何も決めずに思いつくままでもいいでしょうし、テーマを決めて書いていってもいいでしょう。過去の出来事を分析する目的で書いてもいいですし、自分の親宛てに配達されることのない手紙を書いてもいいでしょう。書くことによって、思考が整理され、そこから自己洞察が得られるかもしれません。書くことの最終的な目標は、この「自己洞察」を得ることなのです。

 陥りやすい問題点として、ただ単に自分のスネの傷をなめ続けることに終始したりすることです。少女趣味的な感傷や、自分の不幸を嘆くだけでは分析にはなりませんし、自己洞察も得られません。親から刷り込まれた間違った考えに沿って、自分で自分を見捨てるようなことばかり書き綴っても、何の進歩にもなりません。必要なのは「分析的な態度」です。極端な言い方をすれば、麻酔無しで自分の身体を自分で手術するような覚悟が必要です。自分の身体にメスを入れる、その痛みに耐える覚悟が必要なのです。

 とは言っても、防衛機制というメカニズムが働いて、なかなか自分にメスを入れるようなことは出来るものではありません。メスを入れているつもりでも、単に自虐的でマゾヒズム的な快感に取りつかれているだけで、何の分析にもなっていなかったりします。自分の力で問題を解決しようとすることは、どうしてもこのような堂々巡りがついて回ります。ある程度は仕方のないことかもしれませんが、できるだけ分析的な態度を保ち続けることが必要であると思います。そして、背後に隠れている願望を洞察しようとする態度を持ち続けることで、少しずつではあっても、問題の解決へと進むことが出来るでしょう。そして、もしかしたら「パニック障害〜」のページで紹介した女性のケースのように、自分の力で問題を解決することができるかもしれません。



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