私の分析体験 1
母親への死の願望
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私は今まで自己分析を通じて、劇的な体験を二回しているのですが、そのひとつがこれです。自分を知るという、ただそれだけのことで、精神的に劇的な変化が起こることがあるのです。これが分析の、ひとつの醍醐味であり、面白いところなのです。しかし、このようなことはめったにあることではありません。それ以前に自分の心の底をほじくり返すという作業を延々と続けてきた結果として、ある日ある時、その劇的な瞬間がやってくるのです。しかし、自分を知るという作業のほとんどは、このような劇的なものではなくて、ゆっくりとやって来るものなのです。たとえば、自分でもその存在を認めたくないような、もう一人の自分の姿が、長い時間をかけてゆっくりと意識の領域に浮かび上がって来るのです。あるいは、未知の自分への小規模な発見がたくさん重なって、時間をかけながら徐々に自分が変化してゆくのです。しかし、時として、これから書くような劇的な出来事が起こることもあります。自分の心を支配している極めて重要な隠された感情が、ある日ある時、突如として意識レベルに登ってくるのです。とは言っても、こういう瞬間というのは、気合いを入れて自分を見つめている時ではなくて、意外とぼんやりといろんなことを考えている時だったりします。 あのころの私は、自分の抱えている問題を解決するためなら、人生を棒に振ってもよいと考えていました。おそらく、それだけ重症だったのかもしれません。ですから、自分を苦しめているものの正体を見極めるためなら、何を犠牲にしてもかまわないと思っていました。実際に、犠牲は大きかったのですが、そうせざるを得ないほどの精神的な苦痛があったのです。このような、いかなる犠牲をもいとわないというような態度は、自分でやる分にはかまわないのですが、あまり皆さんには勧められません。出来るなら、犠牲の少ないやり方でやった方がいいです。精神的に大きな問題を抱えていて、非常に苦しいのならなるべく治療を受けることをお勧めします。 さて、私は物心付いたころから親を非常に憎んでいました。そして、高校生のころには、母親に包丁を突き付けて暴れたりしたこともありました。ですから、自分が親を殺してやりたいくらい激しく憎んでいるということは、分かりすぎるほど分かっているはずでした。そういう憎しみについては、もう百も承知のはずだったのです。あの瞬間が訪れるまでは。 その日は、雨戸を閉じたままの四畳半の部屋で、考えごとをしながら蛍光灯の明りの下をぐるぐると歩いていました。じっとして考えごとをしているよりも、軽く身体を動かしていたほうが、リラックスできていろんな考えが浮かんでくることがあるからです。その時も、特に何かを集中的に分析していたのではなくて、なんとなく母親に関するとりとめもないようなことをぼんやりと考えていたのです。そして、いろんな思いが浮かんでは消えてゆく中で、ある瞬間、自分が母親に対する「殺意」を抱いていることを突然理解したのです。先にも書きましたように、母親を殺してやりたいくらい憎んでいることは、自分では百も承知のことだったのですが、その瞬間、実感として、生々しい殺意そのものを感じ取ることが出来たのです。「ああ、そうだったんだ」と、その時初めて、自分の殺意というものを理解できたのです。その直後のことです。私は凄まじい恐怖感に襲われました。あまりの恐怖感から両手で頭を抱えて、声を上げながらその場にうずくまりました。その恐怖感は、発狂してしまいそうなくらいに激しいものでした。もう一歩先へ踏み出せば、そのまま発狂してしまって、もう二度とこっちの世界にもは戻ってこれないのではないかと思えるほどの激しい恐怖感でした。私はなす術もなく、ただうずくまって荒れ狂う恐怖感を耐えていましたが、この凄まじい恐怖感はそれほどには長く続かず、やがて潮が引くように和らいでいって、自分というものが徐々に戻ってきました。しかし、それでも恐怖感が完全に去ったわけではなかったので、私は脅えながら身体を丸めて布団の上に横になっていました。相当長い時間その状態でいました。やがて、時間の経過とともに恐怖感はゆっくりと治まっていきました。そして、新聞の朝刊が配達されるころには、だいたい普段の自分に戻ったような感じでした。ところが、朝刊を広げて読み始めたときに、なにか奇妙な感覚に襲われました。ある種の不安感が私のまわりを取り囲んでいるのです。新聞を読もうとすると、記事のどこかに私のことが書いてあるような気がして、いろんな記事に目を通したり、広告欄をくまなく読んだりするのですが、どこにも私のことなど書いてあるはずがありません。「分裂病の妄想というのは、こういうことを言うんだな」と思いました。部屋の中にいるのは自分一人なのですが、誰かに監視されているような不安感にとらわれたりするのです。腹が減ってきたので、食料を買いに外に出たのですが、いつもはなんともないのに、何かみんなが私を監視しているような気がしてきます。そして、行き交う人たちの視線や動作が非常に気になりました。私は、得体の知れない不安感に脅えながらオドオドと歩いていたのですが、その一方で、「分裂病の人の精神状態というのはこういう状態を言うんだろうなあ」などと自分を観察しながら、この不安感を非常に興味深く思っていました。 このような不安感も、やがて日がたつにつれて薄れていきました。そして、一週間もしたころには不安感は完全に無くなったのですが、不安感が消えて行くとともに、今度は新しい自分との出会いが待っていました。古い自分が死んで、新しい自分が生まれたような感覚がやってきたのです。心のコブが取れて、何か急に精神的な視界が広がったとでも言いましょうか、見はらしが良くなったような感覚がありました。そして、周りのものが今までとは違ったように見えるのです。これも非常不思議な感覚でした。おそらく自分が急に変わったので、相対的に周囲のものが今までとは違ったように見えてきたのだと思います。たとえば今までボロボロの服を着ていたのが、ある日突然新品のバリバリの服を着たような感じです。非常にさっぱりとした気分なのですが、なにしろ長い間ボロボロの服に慣れていたので、真新しい服に戸惑いを感じるような、ちょうどそんな感覚でした。周囲のものに感じる、晴れ晴れとしたぎこちなさとでも言いましょうか、そんな妙な違和感があったのですが、それも日にちがたつにつれて和らいでいって、新しい自分が、ゆっくりと自分の心になじんでいきました。 精神分析では「自分を知る」ことの重要性を説いていますが、実際に自分で体験してみると、あらためて人間の心の不思議さというものを感じます。 では、なぜあの時、発狂しそうな恐怖感が発生したのかといいますと、自分が母親への殺意を明確に意識することができたことによって、逆に報復されて殺されるのではないかという恐れが生まれ、それがあのような激しい恐怖感となったのです。殺したいという願望は、同時に殺されるのではないかという恐怖感を誘発するのです。しかも、乳幼児期に起源を持つ憎しみの場合は、自分がまだ幼くて無力であるがゆえに、報復されることへの恐怖感も激しいものになるのです。また、自分の面倒を見てくれていて、自分を生かしてくれている、そのかけがえのない存在であるはずの母親を殺すということは、同時に自分自身をも滅ぼしてしまうことになりますので、それだけ強力に抑圧されていたわけです。そして、それがいったん表に出たときには、発狂しそうなくらいに恐ろしい恐怖感となったわけです。ということは、それ以前の母親への憎しみというのは、たとえどんなに激しく憎んでいても、自分自身の死にも繋がるような殺意そのものについては、無意識的に回避されていたことになります。母親を殺したいほど憎んでいても、最後の手段である殺意そのものについては、自分自身の破滅を避けるためにも、意識されずにいたわけです。ですから、それまでの憎しみというのは、いくら殺してやりたいと思っても、それは実際の行動を伴わないような、空想的な殺意にしか過ぎなかったのです。そして、その後に訪れた不安感というのは、このような禁じられた危険な願望を持ってることが発覚することを恐れるため、そのことが逆に周囲の人から監視されるような感覚となって現われるのです。 無意識の世界に眠っていた母親への殺意は、これほどの恐怖感を伴うものであったからこそ、長い間封印されて来たわけです。しかし、殺意というものの存在を、実感として理解したことで、ひとつの山を越えることが出来ましたが、これで親に対する憎しみがすべて解消したわけではありませんでした。親への憎しみは、ずっと私の人生を支配し続けているのです。しかし、この憎しみも、長い年月がかかりましたが、過去にさかのぼって行って、憎しみの源を探ってゆくことで、以前よりは和らいできています。これは本当に長い年月のかかる作業です。
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