ホーム回復のための方法論


夢分析1

 夢分析の方法
   Ver 1.0 2000/01/25

 私たちは眠っている間に夢を見ますが、この夢とは何かというと、精神分析では抑圧された願望などが夢という形で表現されるのだというふうに理解します。たとえば、雨が降って遠足が中止になったとき、遠足に行っている夢を見るようなものです。遠足を楽しみにしていたのに、雨が降って中止になってしまったので、実現しなかった遠足を夢の中で体験することで、ある種の欲求不満を解消しているわけです。こういった欲求不満の解消というと、空想の働きと似ているところがあります。好きな人に好きと言えずに、空想の中で何度も愛の告白をしているようなケースです。しかし、夢の世界は空想とは違って、何でもありの世界なのです。たとえば私たちは理性によって反社会的な願望を抑えることで社会生活を営んでいますが、人間としての本能的な欲望は社会的な制限を受けません。つまり、私たちは理性ではとても受け入れられないような危険な願望を抱くことがあるのです。たとえば、実の親と性交したいとか、親しい人を殺してしまいたいとかいう願望は、とても現実の世界では実行できませんし、そういう願望を抱いているということさえも認めることさえできなかったりします。そういった危険な願望は意識から除外されて無意識の世界に追いやられ、深く抑圧されてしまいます。しかし、そうやって抑圧された願望は、遠足に行けなかった子供と同じように、夢という架空の世界で実現しようとします。しかし、危険な願望であるがゆえに、夢の中であっても、それを実現しようとすることから来る恐怖感などに彩られたりすることが多いのです。たとえば必死になって逃げようとするのだけれども足が思うように動かずに、だんだんと追っ手に迫られてしまい、凄まじい恐怖感を味わうというようなケースです。ということは、つまり、このような夢の意味を理解することができれば、自分の隠された願望を知ることができるわけです。これがいわゆる夢分析となるわけです。

 神経科学的にいいますと、レム睡眠の時に夢が出現します。レム睡眠というのは、素早い眼球運動を伴う睡眠状態ことを言います。これを英語で書きますと Rapid Eye Movements になりますので、その頭文字を取って REM 睡眠と呼んでいます。まぶたは閉じたままなのですが、その下で眼球がきょろきょろとせわしなく動き回っていて、そばで見ていると少し不気味な感じがします。この状態の時に無理やり本人を起こしてやると、だいたい80%の人が夢を見ていたことを報告します。眠っているときというのは一種の感覚遮断のような状態にあるために、心の底に埋もれている過去の記憶や未処理のまま残っている感情などが、気持ちの整理をつけようとして次々と想起されたりするのですが、覚醒時と違って論理性や合理性がまったく無くて、思考は非常に原始的な形を取ります。

 そこで、このような夢の意味をどうやって理解したらいいのかといいますと、フロイトは連想という手法を使うことによって夢を解釈しました。たとえば危険な願望などは、そのままの形で現われるのではなくて、いろいろと形を変えて表現されるのですが、それを自由連想を駆使することによって本来の意味を探り出すのです。たとえば性的な夢では、ペニスがそのままの形で現われるのではなくて、蛇であるとか、拳銃であるとかいうふうに、ペニスを象徴するようなものに置き換えられて表現されたりします。女性性器は穴とか窪みとかいうものに置き換えられ、母親的なものは家などに置き換えられたりします。具体例として、私の見た夢を例にとって、その意味を解釈してみましょう。

銃撃戦の夢
「私は地面の細長い楕円形の窪みに身を伏せていた。前方からは機関銃の乱射があり、弾丸が私の頭上をビュンビュン通りすぎていく。通りすぎてゆく弾丸をよく見ると、驚いたことに鮮やかなピンク色をしていた。さらによく見ると、弾丸の胴体にはなにか文字のようなものが書かれていた。弾丸は非常に速い速度で通りすぎていくのだが、私には文字が読めそうな気がした」

 私はよくエディプス・コンプレックス的な夢を見るのですが、この夢もそのひとつです。エディプス・コンプレックスというのは、男性が自分の母親に対して性的な願望を持つと同時に、母親の夫である父親から報復されるのではないかという恐怖に脅える、というものです。この夢は、そういうエディプス・コンプレックスを如実に表わしています。地面の細長い楕円形の窪みとは、もちろん女性の性器を表わしています。私は母親の性器の中に身を隠して、機関銃の乱射から身を守っているのです。では機関銃の乱射とはなにかというと、すぐに想像がつくと思いますが、父親のペニスからの攻撃を意味しています。弾丸がピンク色をしているというのは、ペニスの色だと思うのですが、いま改めて振り返ってみますと、鮮やかなピンク色というのはちょっと不自然な気もします。もしかしたら、なにか他の意味を持っていたのかもしれませんが、なにしろこの夢を見たのはずいぶんと昔のことですので、いまとなっては意味は定かではありません。弾丸の胴体の文字は、ペニスの胴体に浮かび上がった血管のことではないかと思います。つまり、素早いピストン運動をしている父親のペニスを、幼いころに「はっきりと見た」ことがあり、そのペニスから激しい攻撃を受けているのです。そして、なぜ攻撃されるのかというと、母親の性器、つまり地面の窪みに身を伏せているから、つまり母親を性的に独り占めにしているからなのです。つまり、私が近親相姦願望を抱いているから攻撃を受けているのだということになります。

 おそらく、みなさんの中には、このような夢の解釈をグロテスクでおぞましいと感ずる人がいるかもしれません。しかし、人間の本能的な願望というのは何でもありなのです。性欲は対象を選びません。しかし、正常な発達を遂げていれば、一時的には性欲が母親に向かったとしても、やがて母親以外の第三者へと向かい、近親相姦願望は発展的に解消してゆくのですが、両親の性行為の目撃と分離不安が重なったりしますと、正常な発達プロセスが阻害されてしまうことがあります。女性の場合には、母親への分離不安と性欲が一緒になると、母親への同性愛願望となり、レスビアンになったり、あるいは母親を性的に独り占めにするために、母親に対して自分が夫の役割を受け持ちたいという願望から、レスビアンのタチといいますか、男役をするようになることもあります。このような同性愛については、他にもいろいろと複雑な要素がありますので、他のところで書きます。このような両親との性的な三角関係というのは、べつに特殊なことではなくて、神経症の症状の背後に潜んでいることがよくあります。ですから、神経症患者を精神分析していくと、エディプス的なものが明らかになることがよくあるのです。

 さて、夢の象徴性について、もうひとつ私の夢を例に挙げてみましょう。

斧(おの)を使った殺し合いの夢
「私と相手は互いに斧を持って、チャンバラのような切り合いをしていた。二人とも腕前が互角なので、この殺し合いはずっと平衡状態のまま、いつまでも続くように思えた。私はこんな状態から逃げ出したいのだけれども、少しでも隙を見せると、力のバランスが崩れて、相手に殺されてしまう。かといって、相手を殺そうと思っても、たがいに同じ腕前なのでそれもできない。私は、行くことも引くこともできず、恐怖感に耐えながら、殺し合いを続けるしかなかった。やがて私は恐怖感で目が覚めた」

 この夢も、殺し合いをしている相手は誰かというと、恐らくは父親だろうということは容易に推測がつくのですが、斧が何を意味しているのかということがよくわかりませんでした。自由連想をしてみてもうまく行かないので、切り合いをしている場面を絵に描いてみました。すると、斧が互いに柄のところで交差している絵を見て、自分でもびっくりしてしまいました。斧が柄のところで交差している絵というのは、なんと、漢字の「父」という文字の形そのものを象徴していたことが分かったからです。そういえば「斧」という漢字自体も、その文字の構成からいって、上の方は「父」という字ですし、下の方の「斤」という字は「斥ける」という字に似ています。つまり、この夢の意味とは、私は父親を亡き者にして、排斥してしまいたいという願望を表わしているのです。しかし、相手もそれなりの力を持っていますので、願望を実現しようとすると、凄まじい殺し合いになってしまいます。もうこんな恐怖に満ちた状態はいやだと思っても、逃げ出そうにも逃げることもできずに、ただひたすら殺し合いを続けるしかないのです。ということで、この夢もまた、エディプス状態を如実に表わしているのです。

 このように、夢の象徴性を連想によって解き明かしていけば、第三者でも、ある程度はその夢の意味を推測することができます。しかし、象徴性というのはその人の非常に個人的な体験に基づいていることもありますので、類型的な象徴性だけを頼りに分析を進めていくと、本来の夢の意味を理解できなかったりします。その具体例として、私の夢を分析してみましょう。これは、第三者には、絶対に本当の意味を分析できない夢です。

引っ越しの夢
「夢の中で、美人の女性が現われて、『さあ、引っ越しよ』と言う。私は、何が何だかよく分からないままに、あわてて引っ越しの準備を始める」

 ただこれだけの夢なのです。最初は特に気にも留めなかったのですが、同じ夢が三日も連続したとなると、どうやらこの夢はただ事ではないと思い、本格的に分析してみることにしました。そこで、引っ越しとは何を象徴しているのだろうかということになるわけですが、これが私しか知らない個人的な体験に基づいていたのです。その個人的な体験とは何かというと、当時、私が住んでいた長屋風のアパートには、実は日越(ひごし)さんという若い女性が住んでいたのです。さて、このヒントで、みなさん、もうおわかりでしょうか。そうです。ひっこし → ひごし(日越)という、いわばダジャレのようなつながりがあったのです。つまりこの夢は、私が日越さんに、無意識的に好意を抱いるという意味だったのです。あのころの私の精神状態は「暗黒の嵐」状態でしたので、彼女に好意を抱いても、そういう感情を意識レベルでは受け入れられる状態ではなかったのです。ですので、日越さんへの好意の感情は抑圧されてしまい、眠ってい間に夢という形でその願望が出現したのでした。そして、夢分析によって、「ああ、そうだったのか」と気付くことが出来たのです。そして、夢の意味がわかったあとは、もう引っ越しの夢は見なくなりました。このようにして夢分析が成功しますと、無意識とはなにかとかいうことを、実感として理解することができるようになります。

 このような夢分析のやり方について、科学的ではないとして否定する人もいます。たしかに科学的なやり方ではありません。つまり、第三者が検証することもできませんし、同じことを再現してみることもできません。ですから、科学的ではないと言われれば、たしかにその通りですと言うしかないのです。しかし、そもそも、こんな夢を見たと言っても、間違いなくその人がそういう夢を見たのかどうかということは、第三者にはまったく検証不可能なことであります。夢の内容は、あくまでもその人の自己申告によるしかありません。そして、夢の解釈においても、たしかにそういう意味だったのかということについても、その人の自己申告によるしかないのです。ですから、科学的でないと言われてもしょうがないのです。しかし、実際に夢分析を体験してみれば、「引っ越しとは、日越さんの意味だった」ということが、実感として理解することができるのです。もし、これを科学的に立証しようとするならば、脳のシナプスでやりとりされる電気信号を電極などで取り出して、それをコンピューターで解読して、いまこの人はどんな夢を見ているのかとか、その夢は願望が発する信号によって出現したものであるとか、そういうことが科学的に調査できるようになってからでないと、立証できないと思います。

 さて、次に夢分析をする上で、知っておいた方がいいようなことなどを書いてみたいと思います。まず最初に、「夢分析がすべてだ」というふうにならないように注意した方がいいと思います。特にエディプス的な夢になりますと、現実離れしたドロドロとした世界が展開しますので、そういう世界にはまってしまって、現実が見えなくなってしまわないようにすることです。それと、夢の象徴性を図式的に当てはめて、観念的に理解するのも要注意です。あくまでも、自由連想によって、実感に基づいた理解を進めるようにした方がいいと思います。たとえば、蛇の夢であっても、すぐにこれをペニスの象徴であるという風に、図式的に理解するのではなくて、人によっては蛇が、ずるがしこさの象徴だったりすることもありますので、自由連想によって意味を探っていった方がいいでしょう。第三者が象徴性によって、夢の意味を推測することもできますが、あくまでも夢の本当の意味は、その夢を見た本人の心の中にあるのです。

 夢を分析するときは、枕元にメモ用紙などを置いておいて、忘れないうちに書き留めた方がいいでしょう。目が覚めた直後は、はっきりと夢を覚えていることもありますが、ぼんやりとしか思い出せないこともありますし、夢を見たということだけは覚えていても、どんな夢を見たのか、まったく思い出せないこともあります。そんなときには、思い出そうと努力してみることです。関係ありそうないろんなことを手当たり次第に連想してみると、なにかのイメージかきっかけとなって、芋づる式に次々といろんな場面が思い出されることもあります。あるいは、それでもだめであきらめていたのに、トイレに入っているときやテレビを見ているときに、突然思い出すこともあります。このような思い出せない夢というのは、あまりたいした意味のない夢か、あるいは逆に非常に重要な意味を持っている夢です。重要な意味とは、意識レベルでは受け入れ難いような意味のことです。ですから、そういう都合の悪いことを思い出そうとすると、無意識的にブレーキがかかってしまい、思い出しにくくなってしまうのです。もし、夢の内容を思い出せたら、細部まで思い出して、その要点をメモしておいた方がいいでしょう。夢の中には、延々と続く長い夢もありますが、それをすべて分析するのは大変ですので、これはと思う部分に的を絞って、記録しておくのもいいのではないかと思います。

 夢の解釈のやり方ですが、これはなるべくノートなどに書きながらやった方がいいと思います。自由連想というのは、できるようでなかなかできないものです。そこで、夢の中に出てきた物の色や形、人物の特徴、そういったことについて連想されることを、とりとめのないままに書いていって方がいいと思います。紙の上に思いついた言葉が並んでいくことで、さらに連想が広がっていきます。あるいは、文字だけではなくて、夢の場面をスケッチしてみることによって、なにか発見があることもあります。ただ、最初から意味を解釈してやろうという風には考えない方がいいです。最初から意味を理解しようとすると、どうしても現実的で論理的な思考になってしまいますので、自由連想が死んでしまいます。全体がバラバラになってもかまいませんので、とにかく思いつくことを書いていってください。そうすればなにかのきっかけで、意味が理解できるようになったりします。しかし、どの夢もすべて分析できるわけではありません。夢分析を続けていっても、さっぱり意味の分からない夢も結構あるのです。

 夢の中でも重要な夢というのは、感情を伴った夢なのですが、時には何でもないような夢でも、重要な意味を持っていたりします。まあ、ケースバイケースということです。そして、繰り返しますが「夢分析がすべて」みたいにならないようにしてください。あくまでも夢分析は、自分を知るための「補助手段」の一つであると考えた方がいいと思います。夢日記をつけて、毎日夢の分析に明け暮れるというのも、夢分析のトレーニングになっていいかもしれませんが、現実が見えなくならないように注意した方がいいと思います。

 このあと、私の夢分析の例をいくつか書きますので、良かったら参考にしてください。




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