ホーム回復のための方法論


夢分析2

なつかしいところに帰ろうとする夢
   Ver 1.0 2000/01/30


 この夢は三、四ヶ月前に見た夢です。私の退行願望がよく現われている夢です。

夢の内容
「ゆるやかな起伏のある丘陵地帯の向こうに森が見えた。あの森の中に、かつて何回か訪れたことのある懐かしい場所がある。しかし、具体的にどこにあるのかという記憶があいまいなので、地図の上ではどこになるのか、その正確な位置を確定しようと思った。確かな位置を調べておけば、あとで気の向いたときに、地図を頼りに、いつでもその場所に行くことができるからだ。そこで私は地図を持って丘陵地帯にある細い道を歩いて行った。その道は、白っぽい色をした細い道で、道の両側はギザギザになっていた。道をたどっていくと、途中で直角に曲がっているところがあったり、十文字に交差しているところがあったりした。私は懐かしい場所を探して、その道をあちこち歩き回るのだが、どうしてもその場所を見付けることができない。私は失望した」

 以前、「自立への拒絶と絶望」のところで書きましたように、かつては子宮の中に戻りたいと真剣に考えたことがあります。ですからこの夢は、まだそういう願望が残っているのではないかと思わせるような内容です。しかし、退行願望を表わしている夢であることには間違いないにしても、ではこの夢が具体的にどういう意味を持っているのかということについては、分析してみないことにはよく分かりません。そこで、「夢分析の方法」に書いたような自由連想を使いながら、この夢の意味を解釈していきます。みなさんにも、夢分析のやり方が理解しやすいように、私の連想が展開していったプロセスに沿って書いてみようと思います。

 まず、ゆるやかな起伏のある丘陵地帯と、その向こうに見える森についてですが、私はすぐにこのような連想が浮かびました。つまり、お腹のゆるやかな起伏の向こうに見える陰毛の森というイメージです。ゆるやかな起伏とはお腹のでこぼこしたカーブであり、森の茂みとはお腹の下にある陰毛の茂みのことなのです。つまりお腹と陰毛の作り出す光景が、そのまま丘陵地帯の風景に置きかわっているのです。その陰毛の森の中に、かつて何度か訪れたことのある懐かしい場所があるのです。つまり、懐かしい場所とは、陰毛の森の中に潜んでいる母親の性器であり、その性器の奥にある子宮です。そして、そこに戻りたいと思っている私は、地図上での位置を確定したいと思っています。地図とは、現実の世界のことです。つまりこの世の現実の世界で、私は懐かしい胎内への入り口を探し求めているのです。

 しかし、夢の中で私が歩き回っていたのは、陰毛の森の中ではなくて、その手前に広がっている丘陵地帯にある道です。これはどういうことなのでしょうか。そういえば、道の形が気になります。白っぽい色をした細い道で、しかも両側がギザギザになっています。さて、これはなんだろうかと思いを巡らせてみますと、皮膚にできた傷痕を連想しました。白っぽい色とは、傷痕のケロイドであり、道の両側のギザギザとはケロイドの両側のギザギザのことです。では、この連想された傷痕とは何のことだろうかと、さらに思いを巡らせてみますと、そういえば私のお腹には盲腸の手術の痕があるのです。わずか二、三センチの傷痕ですが、たしかに夢で言えば、ゆるやかな丘陵地帯として表現されているお腹の上に傷痕があるのです。つまり、丘陵地帯にある道を歩きながらということは、すなわち盲腸の手術の傷痕の上を歩きながら懐かしい場所を探しているということになります。そして、それはまるで手術の時の思い出をたどるようにして歩き回っているようにも思えます。

 そのように考えてみますと、盲腸の手術で入院したときのことがいろいろと思い出されてきます。あれは小学校に入学する少し前のことでした。入院したことによって、看病してくれた母親との間で、二人だけの親密な時間を持つことができたのです。手術室に運び込まれるときに、母親が本当に私のことを心配してくれて、暖かい眼差しで私を見送っていました。腸を切ると、その後で異常なくらいの喉の渇きを訴えるのですが、この時に絶対に水を飲ませてはいけないことになっています。私も手術のあとで、深夜に激しい渇きを訴えて、ベッドで暴れて手のつけられないような状態になりました。そして、母や駆けつけた当直の看護婦さんによって、ベッドにはがい締めにされました。私は、この時の出来事のことを、頭では医学的に仕方のないことだと分かってはいても、母親に裏切られてひどい目にあわされたというふうに思っていました。しかし、改めて回想してみますと、今まで忘れていたことですが、暴れ回る私を見かねた母は、看護婦さんに、なんとか少しだけでも水を飲ませてやれないかと訴えてくれていました。今までは母にはがい締めにされたという被害者的な記憶しかなかったのですが、そういえば、母は必死になって私の苦痛をなんとかしようとしてくれていたのでした。大声を上げて暴れる私を押さえつけながら、母も叫ぶようにして看護婦さんになんとかならないかと訴えていたのでした。そして、看護婦さんとの交渉の結果、濡らして絞ったタオルを口に含ませてもいいということになり、私の渇きも少しばかりは緩和されたのでした。やがて夜が明けて、医師の巡回があり、包帯を交換したときに、私が暴れたせいで手術の糸が一本切れているのが分かりました。その後の入院生活で、母からリンゴをすり下ろしてもらって食べたりして、乳幼児期に戻ったような、母との一体感を味わうことができたのです。家では三、四年前に弟が生まれて、私はずっと疎外感を抱き続けていたのですが、短い入院期間ではありましたが、私は「良い母親」を取り戻して、それを独り占めにすることができたのでした。

 こういう埋もれていた記憶を回想してみますと、手術の傷痕の道を歩きながら懐かしい場所を探すということは、つまり入院していたころの母との懐かしい一体感を探し求めているということになります。このようにして連想を進めて来ますと、夢に出てくる道の形が少し気になってきます。これはなんだろうかと考えてみますと、道の全体の形が、なんとなく漢字の「女」という字、あるいは「母」という字の形をしているように思えてきました。そういえば夢に出てきた道が直角に折れ曲がっている所があったり、十文字に交差している所があったりするするというのもうなずけます。ということは、私は手術の傷痕を意味する白っぽい道を歩きながら、同時に女や母という文字の線の上を歩いていたのです。つまり、女性的なものや母親的なものを探し求めていたのです。しかし、それはどこを探しても見つからないのです。地図を広げて探すということは、つまり、いま住んでいる現実の世界の中で、いまだにあきらめきれずに過去の幻影を探し求めているのです。しかし、失われた過去の時間はもう戻って来ません。切り取ってしまった盲腸のように、通り過ぎてしまった時間は、もう二度と取り戻すことはできないのです。それでも私は過去への未練を断ち切ることができずに、時間を後戻りさせようとするかのように、失ってしまった懐かしい場所を求めて、あてもなくこの世をさまよい続けているのです。ふと、こんな言葉が浮かんできました。

 思い出は狩りの角笛、音は風の中に死に逝く。
    ―― サローヤン

 角笛の音が風の中に消えていくように、過去の懐かしい思い出も、時間の彼方へと掻き消されていくのです。そして、角笛のあとに聞こえてくるのは、木々の梢を渡る、虚しい風の音だけなのです。

 分析がうまくいくと、このようにして埋もれていた感情を掘り起こすことができます。しかし、連想というのはなかなかうまく展開してくれません。今回の分析例も一回ですべてを分析できたのではなくて、時間を置いて反すうすることで、上記のような展開を得ることができたのです。実際の夢分析では、連想がうまく展開しないままに通りすぎてしまう夢の方が多いのではないかと思います。それでも、部分的にでも理解できれば、そういうことが積み重なっていくことで、漠然とではあっても、自分の心に眠っているものがどんなものであるかという、知識レベルでの感触をつかむことができます。感情を掘り起こすところまでいかなくても、知識レベルでの理解を得ることができれば、その後の夢分析に役立てることができます。

 境界例の人は、この夢に出てくるような、根強い退行願望を抱いていたりします。そして、失われてしまった懐かしい過去が、抑うつ感や空虚感の原因の一つとなったりするのです。そして、夢によって表現されたものを分析によって一つずつ発掘し、それらに悲しみの作業や怒りの作業を施してやることで、ゆっくりではありますが、少しずつ過去への囚われから解放されていくのです。



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