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境界例の人との付き合い方 1

まず最初に
「この人を変えよう」と思わないこと

  Ver 1.0 2000/06/08

 境界例の人と接したときに、まず普通の人が思うことは、この人はなんで私の気持ちを理解してくれないんだろうかととか、あるいは、なんでこんな極端な行動ばかりするんだろうかということです。そして、境界例の人からさんざんな目にあわされたりしますと、何とかしてこの人を変えることができないだろうかと考えたりします。境界例の人はさまざまな逸脱した行動をとりますが、かといって決して心神を喪失したような状態ではなくて、ちゃんと言葉も通じますし、一見正常に見えたりもしますので、ひょっとしたら、何とかすれば何とかなるのではないかと思えたりするのです。そして、境界例の人に、その逸脱した行動をやめさせて、なんとかして「普通の」行動パターンや普通の思考パターンをとってくれるようにと期待したり、あるいは無理やりそのようなことを強制しようとしたりするのです。

 境界例の人と接したときに、普通の人が見せるこのような反応は、ある意味では境界例の人が無意識的に仕掛けてくる、非常に巧妙な罠だったりするのですが、普通の人はこの罠に気づかないままに、いつの間にか境界例の人が作り出す渦に飲み込まれてしまい、そこでもがいたり、苦しんだりすることになるです。

 そこでまず最初に、よくあるパターンである、「この人を変えよう」、あるいは「何とかしてこの人を変えられないものか」という思いを抱くことの問題点について考察してみましょう。このような思いを抱くことの最大の問題点はなにかと言いますと、自分と他人の区別が混乱しているということなのです。つまり、あなたは、自分自身なら変えることができますが、他人を変えることはできないという事なのです。このことを、これから順を追って説明していきましょう。まず最初に、この人を変えようと思うことが何を意味しているのかと言いますと、現在のその人のありようを否定して、あなたが「普通だ」、あるいはあなたが自分で「正しい」と思っている価値観を、むりやり相手に押しつけることなのです。これはつまり、あなたの価値観だけが正しくて、他の人もすべてあなたの価値観に従うべきだというメッセージであり、他人の価値観に対する帝国主義的な侵略行為でもあるのです。もしも、あなたが境界例の人から、一方的に特定の価値観や人生観を押しつけられるとしたら、あなたは当然ことながら抵抗するでしょう。あなたには、あなたの価値観があり、あなたの人生観があるわけですから、それらを頭から否定されるようなことを言われたら、当然反論したくなるでしょう。それと同じことが、「この人を変えよう」というあなたの思いの中に含まれているのです。あなたが自分で「普通」だと思っている価値観や人生観を押しつけようとすれば、境界例の人は、あなたと同じように、このような侵略行為に対して拒絶反応を示すことでしょう。これは、人間として正常な反応なのです。そして、あなたが「この人を変えよう」と思えば思うほど、二人の間にはさまざまな争いが発生することとなり、あなたはますます激しい精神的な消耗を味わうことになるのです。

 では、どうしたらいいのかと言いますと、自分と他人の区別をしっかりと付けて、そして、「この人はこういう人なんだ」と割り切ってしまえばいいのです。境界例の人は、あなたの操り人形ではないのです。境界例の人は、あなたとは違ったものを食べて、違うテレビ番組を見て、違う本を読み、違う人たちと話をし、そして、あなたとは違う価値観を持ち、違う人生を生きているのです。ですから、なまじ「この人を変えよう」などと思って、自分の思い通りに操ろうとするからこそ、不要なトラブルが発生して、お互いに消耗することになるのです。ですから、このような状態を回避するためには、この人はこういう人なんだ、この人はもう変わらないんだ、一生このままなんだと割り切ることで、そこから、ではこういう人に対して効果的に対応するにはどうしたらいいのだろうかというさまざまな工夫が生まれてくるのです。これが境界例の人と付き合っていく上での、最初に必要なことであり、これがすべての第一歩となるのです。

 さて、このようなことを書きますと、みなさんの中には、このホームページは「境界例からの回復」を目指しているのに、それにもかかわらず「この人はもう変わらないんだ」と思えと言うのは一体どういうことなんだ、言っていることがまるで矛盾しているではないか、と思う人もいるかと思います。そこで、この点についても、これから順を追って説明していきたいと思います。

 この人はこういう人なんだ、もう変わらないんだ、というふうに割り切るということは、先に書きましたように、この人を変えようとする事からくる無駄なトラブルを回避できるのですが、しかし、それだけではないのです。こういう人なんだと割り切るということは、つまり、その人をありのままに受け入れると言うことでもあるのです。そして、ありのままを受け入れることによって、ではこういう人に対してどう対処したらいいのか工夫してみようではないかという、次のステップへ進むことができるのです。

 そして、こういう人への対処方法を工夫するには、まずその人のことを知らなければなりません。戦略を練るためには、まず敵のことを知らなければ何も始まらないのです。そこで、必要となるのが情報収集です。これはつまりどういうことかと言いますと、聞く耳を持つということなのであります。あなたにとっては、どんなに馬鹿げた考えであっても、まずは相手の人がどういう思考パターンを持っているのか、どういう価値観を持っているのかという、その人の現状をありのままに知る必要があるのです。そのためには、相手の言い分が正しいとか間違っているとかの価値判断をせずに、とりあえず耳を傾けて聞いてみる必要があるのです。おそらく、このとき、境界例の人はあなたのことをぼろくそに言ってくる可能性があります。ここで注意しなければならないことは、境界例の人の言い分というのは、あくまでも本人の主観であって、客観的な事実とは違うのだということです。あなたのことをバカだアホだと、好き勝手なことを言ったとしても、それはあなたが客観的に見てバカであるとか、アホであるとかいうこととは、まったく別の話なのです。たとえば新聞記者のことを考えてみてください。新聞記者は取材のために、さまざまな人に会って話を聞きますが、自分と考え方が違うからと言ってそのたびに「いや、あなたの考えは間違っている」などとやっていたのでは、とても仕事になりません。新聞記者の仕事はまず事実を集めることです。そして、新聞記者の取材における事実とは、その人の考えが正しいかどうかと言うことではなくて、その人が今そういう考えを持っているという、そのことだけなのです。こいう新聞記者のような中立的な態度での話の聞き方は、特に境界例の人の言い分を聞くときに必要となります。そして、もしあなたが境界例の人に反論したくなったときには、後で書きますが、中立的な言い方で自分の思いを主張する事もできるのです。たとえば、「あなたが私のことを、無能だと思っていることはよく分かった。あなたが、そういうふうに私を見ているのだということはよく理解できた。しかし、私は自分のことを、いくつかの欠点は持っているが、決して無能だとは思っていない。私が自分自身のことをこのように思っているのだということを、できたらあなたにも理解してもらいたいと思っている」というように、相手の言い分を否定せずに自分の言いたいことを主張するという、そういう言い方の工夫もできるのです。

 このように、新聞記者のような中立的な態度で相手の言い分を聞いてみることで、ときには境界例の人の言い分に、どこか共感できる部分があることを発見するかもしれません。あるいは今までまったく理解不能だった逸脱した行動も、話を聞いてみることによって、そこからなにか理解できる部分が見えてくるかもしれません。いずれにせよ、このようにして相手のことを知ることで、接し方を工夫をするために必要な、境界例の人の考え方や感じ方に関する情報を集めることができるのです。

 さらに、境界例の人を知るために、観察記録をつけるという方法もあります。境界例の人の行動を記録することで、そこから、どういうときにキレるのかが見えてくるかもしれません。衝動的で、予測不能だった行動も、記録をつけてみることで、なにかのパターンか見えてくることもあるのです。たとえば野球で、相手のピッチャーの投球フォームをビデオに撮って研究してみると、投げるときの癖を見抜くことができたりして、次の球が直球かフォークボールかを早めに予測できたりする事があります。それと同じように、もしキレる前兆の癖のようなものでも発見できたとしたら、それによって、怒りの爆発を事前に回避する工夫もできるわけです。あるいは周期的に破滅的な行動を繰り返すことが分かったら、もうそろそろ危ない時期だなと予測して、事前に大波乱への心構えを持つこともできます。また、恋人同士で、お互いが境界例というものに対する理解を持っているような場合には、気分の変調を、たとえば手首に赤や黄色のリストバンドをする事で、相手に知らせるという工夫もできます。デートのときなどにリストバンドの色を見て、今日は言葉遣いに注意した方が良さそうだということで、無駄な争いを減らすこともできるのです。また、特定の話題になったときにキレやすいということが分かったら、そういう話題を避ければいいわけです。あえて自分から地雷原に飛び込んでいく必要はないのです。

 ここでもう一つ、境界例の人の行動パターンを見るときに、見捨てられ不安という視点から行動をとらえてみることで、そこから更なる工夫が生まれてくることもあります。たとえば、あなたがテレビを見ているときに、境界例の人から「こんなくだらない番組ばっかり見て!」という言いがかりをつけられて、突然、座布団が飛んできたり、食器が飛んできたりして、そこから修羅場が展開するようなことがあるかもしれません。こういうときに、テレビ番組がくだらないかどうかという表面的なことではなくて、その背後にある、見捨てられ不安に思いを巡らせてみるのです。たとえばこのケースでは、番組がくだらないのではなくて、テレビばかり見て私のことをかまってくれないということへの寂しさと憤りがあるのです。こういう見捨てられたような状況に耐えられなくなって、「こんなくだらない番組ばかり見て!」という形で怒りを爆発させているのです。もし、あなたが、こういった背後にある見捨てられ感への洞察ができるのであれば、こういう場合の対応方法も、おのずと違ったものになってくるのです。たとえば今までのように「テメェー、この番組のどこがくだらないってんだー!」などと大声で怒鳴り返して、ついでに食器も投げ返したりするのではなくて、落ち着いてじっと相手の目を見つめながら、優しい声で「寂しかったんだね」とひとこと言うだけで、その後の展開はまったく違ったものになってくるのです。

 いろいろと書いてきましたが、このような工夫は、必ずしもすべてがうまく行くとは限りません。しかし、ひとつのやり方が失敗だったとしても、その時の境界例の人の反応を手がかりにしたり、あるいはお互いに話し合ってみたりして、その次にはまた他のやり方を試してみればいいのです。特に境界例の人と一緒に生活している人のような場合には、失敗を繰り返したとしても、何度でも新しい工夫を試してみることができるのです。境界例の人は、人それぞれが変化に富んでいますし、あなた自身もいろいろな性格を持った生身の人間ですので、あなたのケースに合ったやり方を、「現場」での実践を通して見つけて行くしかないのです。

 さて、ここで最初のところに書いた内容に戻ってみましょう。つまり、境界例の人と接したときに、この人を変えようと思うのではなくて、あなた自身が変わればいいというのは、あなた自身がこういう工夫をすればいいということなのです。あなたが他人を変えようとするから、いろいろな争いが発生して、お互いに消耗したりするのです。他人というのはあなたの操り人形ではないのです。あなたの思い通りに動いてくれるはずがないのです。私の気持ちを理解してくれないとか、あれをしてくれない、これをしてくれないと嘆いたり、腹を立てたりしても、境界例の人が「×××をしてくれない」のは当然のことなので。それは、他人だからなのです。あなたの延長のような存在ではなくて、あなたとは別個の存在だからなのです。ですから、こういう人に対応するには、こういう人なんだと割り切って、じゃこういう人に対してどう対応したらいいのだろうかと工夫をしてみればいいのです。つまり、他人を変えるのではなくて、あなた自身が態度を変えるのです。そうすることで、状況が変わってくるのです。たとえば、赤ちゃんだったら、柱に頭をぶっつけたときに、柱がどいてくれないと言って泣きだすかもしれません。しかし、赤ちゃんはすぐに、自分が柱をよければいいんだということを学習するのです。私たちは、普段そうやって生活しているのです。目の前に柱があるのが分かっているのに、その柱に向かって頭からぶつかっていくようなことは、普通はしません。当たり前のことですが、目の前に柱があったら普通はよけて通ります。もしも、柱に遭遇するたびに、その柱を撤去しようとしていたら、それこそ大変な労力を必要とします。境界例の人と接するときも同じことなのです。柱をどけようとするのではなくて、つまり境界例の人を変えようとするのではなくて、自分が柱をよければいい、つまり自分が境界例の人に対する接し方を変えればいいのです。そして、この人はこういう人なんだ、この人は変わらないんだと割り切って、そして、接し方をいろいろと工夫すればいいのです。こうやってあなたが接し方を変えることによって、ここで初めて、境界例の人が態度を変えてくる可能性が生まれてくるのです。つまり、あなたが変わることで、境界例の人の方も、態度を変えたあなたに合わせて、あなたへの接し方を変えてくる可能性が出てくるのです。前の方で、私の言っていることが矛盾していると書きましたが、それはこういうことなのです。あなたが、「この人は変わらないんだ」と割り切ることで、逆に変わってくれる可能性が生まれてくるのです。しかし、このようなことは最初から期待してはいけません。変な期待を抱いていると、すぐに見透かされてしまい、揚げ足を取られかねません。ですので、あなたは、ただあなたのやるべきことをやっていればいいのです。そうすると、おそらく境界例の人は、あなたの変化を素早く感じ取って、最初はとまどうかもしれません。そして、その次には、あなたを試してみようとするかもしれません。あるいは、わざと挑発的なことを仕掛けてくる可能性もあります。しかし、やがてあなたの態度の変化が本物だと知ったとき、あなたへの対応の仕方を、自分の方から変えてくるかもしれないのです。しかし、これはあくまでも本人があなたの様子を見て、自分で判断して決めることであって、決してあなたが強制するようなことではないのです。あなたは、自分と他人の区別をしっかりと持たなければなりません。そして、たとえば自殺のような非常事態を除いては、決して侵略的にはならないようにして、自分のやるべきことをやっていればいいのです。そして、もし、境界例の人があなたに助けを求めてきたら、後で詳しく書きますが、境界の設定や、限界の設定に注意しながら、その場に応じて救いの手をさしのべてあげればいいのです。そして、もしもあなたが、境界例の恋人や配偶者、あるいは境界例の子供を、これからもずっとサポートしていこうと心に決めたなのら、これから順次書いていくような諸問題に注意しながらも、ずっと支え続けてあげてください。境界例の人が回復していくためには、あなたからの、支持的なサポートが非常に重要な意味を持ってくるのです。境界例の人を支え続けると言うことは、おそらく波乱に満ちたドラマの連続となることでしょう。しかし、考えようによっては、このような変化に富んだ体験は、ちょっと他では体験できないような、たいへん貴重な人生経験となるのではないでしょうか。ですので、あなたの事情が許すなら、可能な限り支え続けてあげてください。お願いします。m(_ _)m

 これで、「境界例の人との付き合い方」シリーズの、第一回目を終わりますが、ここで、今回書いたことの内容を少し整理してみましょう。

★ この人を変えようと思うのではなくて、こういう人なんだと割り切ること。
★ 相手を変えるのではなくて、自分が変わること。
★ 自分と他人の区別を付けること
★ 聞く耳を持ち、その人をありのままに理解してみること。
★ 境界例の人の言い分と、客観的な事実との区別を付けること。
★ 集めた情報を元にして、接し方を工夫してみること。
★ 結果的に相手の人が態度を変えるかもしれないが、期待してはいけない。

 だいたいこんなところでしょうか。この中の、自分と他人の区別については、後で何回も登場することになると思います。これからはこんな感じで、いろいろな事態への対処方法や工夫の仕方、あるいは注意すべき点などについて少しずつ書いて行きたいと思います。

 次回は、境界例の人と接したときによく見られるパターンのひとつである救済者幻想を取りあげて、これと支持的なサポートとの違いについて書いてみたいと思います。


【参考文献】
「 Stop Walking on Eggshells : Taking Your Life Back When Someone You Care About Has Borderline Personality Disorder 」
   Paul T.Mason, M.S. Randi Kreger 1998 New Harbinger Publications,Inc. $14.95
「 The Emotionally Abused Woman : Overcoming Destructive Patterns and Reclaiming Yourself 」
   Beverly Engel 1992 Fawcett Books $10.00


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