境界例は治るのか Ver 1.0 1999/10/30 |
境界例の人にとって、果たして自分は治るのだろうかということが心配になってくると思います。境界例の中でも症状の軽い人や、境界例の素質は持っているものの、診断基準を満たすほどではないような人、あるいはそれほど重症ではない人は、年齢を重ねるに従って症状が落ち着いてきたりします。人生経験を積むことが一種の自己分析的な治療となって、自分が抱えている問題点が修正されていったり、あるいは周囲の人とかのかかわり合いの中で見捨てられ感が緩和されたりして、それなりに社会に適応できるようになったりします。たとえば、若いころに暴走族に入って暴れ回ったり、あるいは自殺未遂をしたりしたことがあったとしても、それはひとつの青春の思い出となったりします。精神的な問題はまだ残ってはいるものの、それなりに社会的に落ち着いた生活を送れるようになったりするのです。 しかし、ある程度重症の症状を持った人は、さまざまな不適応症状を示し、どうしようもなくなって病院に来たりします。たとえば、摂食障害、リストカット、うつ状態、薬物依存、家庭内暴力などの、はっきりと心の病が原因と分かるような症状を持っている人たちは、親などに付き添われたりして治療を受けに来ます。そして、その時点で境界例と診断されたりするのです。しかし、明確に病的な症状ではない人は、境界例という診断名がまだ一般的に知られていませんので、自分の抱えている問題が何なのかを知らないまま悩み続けたりすることが多いようです。たとえば一見社会的な適応を示してはいるのですが、分離不安や見捨てられ感を刺激されるような場面に出くわしたりすると突然キレたり、不安感からパニックになったり、泣き叫んだり、周囲の人に悪態をついたりするような人、あるいは職を転々としたり、破滅願望的な行動を取る人などがそうです。こういう人はトラブルメーカーと呼ばれていたり困ったちゃんと呼ばれたりします。周囲の人からは人格に問題があると思われたり、あるいは人格が破綻していると思われたりしますが、まあ、なんと言うか、実際問題として、その通りなのです。若いうちはやり直せることも多いのですが、自分の人生を不利にするような破滅的な行動を繰り返しているうちに、段々と人生が追い詰められたような状況になっていったりします。そして、やがては経済的にも人間関係的にも貧しい状況へと追い詰められていったりするのです。しかし、さまざまな症状を持っている人でも、状況がよければ、中年くらいになると、自然と症状が収まって来ることもあります。 では治療を受けた場合はどうなるかと言いますと、境界例という概念そのものがまだ新しいものですので、追跡調査などの研究はまだほとんど行なわれていません。そんな中でいくつかのデーターはあるのですが、これは境界例の治療のむずかしさと併せて考えてみますと、こういった数字をそのまま受けとっていいのか、という問題があります。治療を左右するものとして、どういう治療を受けていたのかとか、セラピストの能力の問題とかにかかわってくる部分が大きいからです。境界例の治療をすると、セラピストは必ずと言っていいほど精神状態が悪化すると言われるほどに、治療者の人間性にかかわってくる部分が大きいのです。患者は悪態をついたり挑発的な行動を取ったり、治療時間などの約束事を破ろうとしたり、あるいは治療者を性的に誘惑したりして、治療関係を破壊するような行動を次々としかけてきます。これは、境界例のひとつの特徴なのですが、自分に救いの手を差し伸べてくれるその人に対して敵意を剥き出しにしたりするのです。一見おとなしそうな患者でも、治療が進んでいって症状が開花したりしますと、突然治療者に向かって罵詈雑言を浴びせたりすることもあります。未熟な治療者ですと、患者の変化についてゆけず、患者と一緒になってケンカしたり、患者の性的な誘惑に負けてセックスしたりして、治療者としては失格とも言えるような状況が発生することもあります。治療者がこういった失敗をしないように、治療者自身も他の上級の治療者からアドバイスを受けたり、自分自身の心の問題について指摘してもらったりするシステム(スーパービジョン)を取り入れている所もあるのですが、それでも生身の人間のやることですから、いろいろと問題が発生したりするようです。まあ、こういった問題を乗り越えていって、優れた治療者へと成長してゆくわけですので、多少は仕方のない面もあります。 他にも、どのような治療技法を使ったのかという問題もあります。境界例の治療に関しては、精神分析的な治療技法が圧倒的にリードしていますが、他にも認知療法や他の治療技法がいろいろと試されています。そうなると、たとえば本質的な問題は未解決のまま残っていても、表面的に症状が消えればそれで治ったとしていいのかというような、治ったとする基準をどうするのかという問題も出てきます。とにかく、このようなさまざまな問題があることを考えに入れながら、いくつか公表されているデーターを見てみましょう。
MH.Stone による ニューヨーク州立精神病院での調査 (205例 追跡期間:10〜23年) 結婚率−−−−−−−全国平均の半分 子供を持つ率−−−−全国平均の1/4 症状がなくなってそれなりに適応を示した患者 −−−全体の2/3 まだ慢性的な適応障害を残している患者 −−−−−全体の1/3
となっています。社会的な適応を示した人たちの中には「心理学者になった人10名」「弁護士になった人6名」「医師になった人5名」などがいます。適応症状を示した人にみられる傾向としては、このような「高い知能を持った人」「芸術分野で才能を持った人」「女性で魅力的な人」などがあるようです。芸術分野での才能というのは、その人の持っているアブナイ面が才能として評価されて社会的に認められたりしますので、そういう能力を持った人はそれなりに安定した人生を送れるのでしょう。女性も魅力的であれば結婚相手に恵まれたりすることもあるでしょうし、周囲の人から援助されることも多いでしょう。要するに、どちらかといえば経済的にも人間関係的にも支持的な環境を得やすい状況にある人たちではないでしょうか。
一方の慢性的な障害を残している人に見られる傾向としては「親が残虐だった」「父−娘間の性的な虐待があった」「分裂病質人格」などがあるようです。この人たちの経過の中には、「自殺した人18名」「売春婦3名」「殺人犯4名」というようなケースも見られるようです。おそらく根の深い問題を抱えているために、このようなことになったのではないかと思います。そして、セラピストの問題や周囲の人間関係の問題、あるいは経済的な問題なども含めて、患者を支える環境に乏しかったのではないかと思います。 精神医学レビュー NO.20 境界パーソナリティ障害(BPD)掲載 より引用
ガンダーソンによる調査 6ヵ月以上治療を継続した患者−−−−54% 治療終結までいった患者−−−−−−−33% 治療が成功した患者−−−−−−−−−10% 治療中断の発生率 6ヵ月後−−−−−−−−−−−−−−半数 1年後 −−−−−−−−−−−−−−75% 中断せずに最後まで継続した患者−−−10% 町沢静夫による調査 2年以内に治る患者−−−−−−−−−−20% 最終的に治る患者(自然治癒も含む)−−−60% ―― 以上の数字的なデーターは「ボーダーライン」町沢静夫 著 より引用 治療終結までいった患者というのは、治った人と考えていいと思いますが、それにしても途中で中断するケースが非常に多いのが分かります。患者は強い見捨てられ不安を抱いていますので、治療者に対しても、この人は果たして自分を見捨てるだろうかと疑い、いろいろと試したりします。たとえば、治療者を見下して軽蔑したような態度を取ってみたり、悪態をついてみたりといったような行動によって、治療者が自分を見捨てずにどこまで受け入れてくれるのだろうかとテストするのです。そして、不信感が募って来ると、治療者の能力に失望して見限ったりします。あるいは不信感から、治療者が見捨てる前に、自分の方から治療者を見捨てたりするのです。そうすることで自分が見捨てられることを回避するのです。しかし、治療が中断している間にも、患者は冷静になって自分のやったことなどを振り返ったり、今まで受けてきた治療をもとにして、自己分析を進めたりします。そして、悪い人に見えた治療者がふたたび良い人に見えてきて、治療を再開したりします。あるいは、中断している間に症状が悪化したりして、すがるような思いで治療を再開したりします。 このように研究者によって数字がバラバラなのは、患者の重症度や治療技法の問題、セラピストとの相性、どの程度をもって治ったとするかなどの問題によるものではないかと思います。だいたい治療を受けに来る人は、自分で自発的に来るというよりも、はじめに書いたように、リストカットや摂食障害、家庭内暴力、あるいは引きこもりなどの問題を抱えていて、家族の人に付き添われて来る人の方が圧倒的に多いのです。これは境界例というものがあまり知られていないのでこのような形になるのと、患者が見捨てられ不安を抱いているために、治療を受けることに対しても強い不信感を抱いているからではないかと思われます。たまに「私は境界例ですので治療してください」と言って自分から治療を受けに来る患者さんもいるようですが、こういう人の場合はほぼ境界例という診断で間違いないようです。つまり、境界例の人は、人間的に壊れた部分を持っているものの、冷静に自分を見つめることの出来る一面も持っているということです。治療では、この冷静で正常な部分に、いろいろな手段を使って働きかけることで、壊れた部分を修復してゆくのです。 治療期間については、症状によってさまざまですが、だいたい3年から5年くらいがひとつの目安になるのではないかと言われています。境界例などの人格障害は、乳幼児期から始まって、長い年月をかけて刷り込まれてきた心の障害ですので、それを修復するにもそれなりの時間を要するということです。人によっては、10年も20年も治療を受けている人もいるようですが、あまり長くかかるような場合は、治療の停滞といいますか、問題の核心が見えなくなっているのではないかと思います。 境界例については、医師の中にもまだ良く知らない人が多いようで、正しい診断がなされないまま、あまり適切とは言えないような治療をしているケースがたくさんみられます。たとえば、薬物療法しか知らない医師の場合など、不安神経症だとか、抑うつ神経症などという診断を下して、薬だけで症状をコントロールしようとするのですが、境界例などの人格障害は、ある程度は症状を抑えることは出来ますが、薬だけでは治すことは出来ません。しかし、患者が人生経験を重ねることによる自然治癒ということもありますので、その間適当に薬で症状を抑えておくというのも、あまり積極的なやり方ではありませんが、軽症の人の場合は結果オーライということもあるのではないかと思います。 あるいは、精神療法をやっている人の中にもいろいろな考えの人がいて、たとえば、神経症の治療方法のひとつとして森田療法というのがあるのですが、その元祖森田療法として有名な某大学病院で、森田療法をやっている医師のグループとは別に精神分析療法をやっている某教授によりますと、森田療法で入院している人たちの中にも、境界例構造の人が多く見られるようです。これなども、境界例とは診断されていないわけですので、軽症の人は治るかもしれませんが、ある程度の症状の人はなかなか治らないのではないかと思われます。 それに、民間療法として知られているアダルト・チルドレン業界の中にも、おそらく境界例の人がたくさんいるのではないかと思われます。このようなさまざまな療法については、後で書くことにします。 境界例の治療のためには、精神分析療法への理解が必要となってきますが、現状としては分析療法をやっているセラピストの絶対数が不足しています。それに加えて、精神分析療法をやっている人の中には教育分析を受けたことがなくて、独学で精神分析をやっている人も結構います。ここで教育分析というのは、セラピスト自身が患者となって実際に精神分析を受けてみるということです。精神分析というのは理論だけ分かっていてもどうしようもない部分があるからです。つまり分析家になるためには体験を伴った理解が必要となるのです。最近、国際精神分析学界で、学界の会員は教育分析を受けていなければならないということになったようで、日本の精神分析学界では、教育分析を受けていない人がたくさんいるため、これにどう対応したらいいのか悩んでいるようです。 精神分析療法のセラピストを養成しているところとしては、私の知っている範囲内では、医学部系では慶応大学、福岡大学、東海大学などがありますが、他にもおそらくいくつかあるでしょう。心理学部系でも、資格として認められている「臨床心理士」の養成と絡んで、大学院レベルで教育分析を行なっている所があるようですが、この辺の具体的なことについてはよく分かりません。このように、いろいろな所で教育分析を含めた分析家の養成が行なわれていますので、これからは少しずつではありますが、医療における治療状況が良くなってゆくのではないかと思います。 精神分析療法において、境界例というのは一種の花形的な存在となっていますので、特に若いセラピストたちは神経症などよりも、好んで境界例の治療をしたがるようです。これは特に男性のセラピストにその傾向があるようですが、境界例の女性の持っている独特の魅力に引かれてしまうからだと思われます。そして、これが女性の境界例を増やしている一因ともなっているようですので、将来的にはこのような偏りも修正されていかなければなりません。まあ、男性の患者から「殺してやる」などと脅されながら治療をしているよりも、破滅的で誘惑的な女性患者を治療していた方がいいという気持ちもわからないでもないですが……。まあ、そんなこんなで、将来的には理論面でも治療技法の面で少しずつではありますが研究が進んでいって、徐々に治療状況が改善されてゆくのではないかと思われます。 患者についても将来的なことを言いますと、患者はこれから徐々に増えてゆくと思います。特に、学級崩壊やキレる子供の問題、少年犯罪の増加などを考えてみますと、境界例の問題はこれから非常に重要な問題として、社会問題化してゆくのではないかと思います。それに、最近は中高年で境界例を発症するケースが増えているようです。会社人間だった人がリストラや定年退職で会社から見捨てられてしまったことがきっかけとなって、奥さんにまとわりついていくようなケースが増えてきているそうです。奥さんの方が精神的に自立していて、夫のことを、足にまとわりついてくる「濡れ落ち葉」と呼んだりしているようです。境界例という診断名は、最初は青年期に見られる症状として出発したのですが、これからは中高年に関する研究が必要になってくるのではないかと思われます。
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