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[ 転職を繰り返す 1 ]
私の転職体験
2002年07月25日  ver1.0

 境界例の人たちが抱える大きな問題のひとつに、人間関係をうまく処理できないために、集団の中ではトラブルメーカー的な存在になってしまうという問題がありますが、このような特徴が職場で発揮されますと、仕事を続けることが困難になってしまい、その結果、転職を繰り返すことになってしまいます。今回は、このような転職を繰り返す問題について、全体を三部構成にして、まず最初に私自身の転職体験を書いて、その次に、転職行動の背後にある、転移と行動化の分析をして、最後に、転職を繰り返した体験から得た知恵といいますか、そんなことを少し書いてみたいと思います。

 私が、工業高校の三年生になったとき、就職先をどこにするかという話が出るようになりました。そのころの私は、社会に出るということは人生の終わりだと思っていました。人生に何の展望もなくて、ただ精神的な苦しさを抱えながら、さまよっているような状態だったのです。成績もひどいものでして、卒業するときには、てっきりクラスで最下位だと思っていたのですが、成績表を見たら、私の下に、さらにもう一人いることが分かって、最低を極めるというのも難しいものだなと思いました。

 就職先としては、とにかくどこでもいいから親から離れたところに行きたいという気持ちだけで、遠いところにある某製造メーカーに就職しました。その会社は株式を上場している大きな会社でした。入社したときに、新入社員にオリエンテーションが行われたのですが、その中でも印象に残っているのが、自分の人生設計を書けという課題でした。何歳ころに結婚して、子供を何人産んで、というようなことを書かせる課題だったのですが、人生になんの希望も持っていなかった私にとっては、ヘドが出るくらい愚劣な課題でした。そして、最初に配属された職場というのが、そこの係長に言わせると、「若い人には、ここの職場はすすめられないな」とような部署でして、一日中立ちっぱなしで金属部品の加工をするのですが、機械の騒音がものすごくて、人と話をするときにも、互いに顔を近付けて怒鳴り合わないと聞こえないような状態でした。休憩時間になっても頭の中がジンジンしてました。こういう部署に配属されたということは、私はそういう評価しかされないような人間だったのでしょう。一日に二千個くらいの部品を加工するのですが、ほとんどロボットのような単純作業で、まったく人間性を疎外されたような労働でした。思考力も少しずつ低下していったのですが、就職して数ヶ月たって職場にも慣れてきたころ、係長から夜勤をやるように言われました。この部署の機械は二十四時間稼働していますので、ほかの社員たちはみんな交代で夜勤をやっていたのです。しかし、私はこの時、このままでは自分がダメになってしまうという危機感を抱いたのです。係長に、夜勤はやりたくないと言ったのですが、みんながやっているからと言って強要してくるので、私は結局会社を辞めることにしたのです。わずか数ヶ月いただけの会社ではありましたが、ここからが私の転職人生の始まりでした。

 そんなわけで、最初の会社を辞めてからちょっとブラブラして、その後、百科事典のセールスを少しやって、それから小さな鉄工所に就職して鉄板を切断したり溶接したりしてました。それから、小さな業界紙の記者をやって、東京に出てきて新聞配達をやって、それから牛乳配達をやりながら某劇団の演劇学校に入って、才能がなくて、それからインチキ商品の詐欺セールスをやって、その次に繁華街で氷配達の仕事をやったときには汗だくになって走り回って、それからトラックの運転手をやったときには残業時間が月に百時間以上の日が続いて、その次に営業事務の仕事を少しやって、それから書店の店員をやって……と、まあ何の脈絡もないままに、さまざまな仕事を転々としたのです。そして、ここでついに精神的に破綻をきたしてしまい、うつ状態に陥ったのです。

 うつ状態になる前と後では、会社を辞めるパターンに違いがありますので、これまでのパターンを少しまとめておきますと、それぞれの仕事ごとに、思い出せばたくさんのエピソードがあるのですが、だいたい最初のころは、私の人生はこんなはずじゃないんだと言う、自己実現願望と言いますか、本当の自分になりたいとか、人間になりたいとか、そういう願望に動かされていたように思います。そして、もっとほかの生き方があるはずだとかいう思いから、仕事を転々としていたのです。とは言っても、自分とは何かと言うことが分からないままに、今から思えば非常に混沌とした精神状態のまま、なにかを探し求めていたのです。

 途中で一回だけ、経営者と対立したことがありまして、小さな会社だったのですが、私がほかの社員たちを扇動した結果、半分くらいの社員が私と一緒に集団で会社を辞めたということがありました。しかし、こういうことは例外でして、辞める理由としては「肉体的な疲労感」というのが前面に出てくるようになったのです。最初のうちは、何の苦もなく働いているのですが、どういうわけか途中から徐々に肉体的な疲労感を覚えるようになってきて、やがてその疲労感に堪えられなくなってきて、最後には会社を辞めるのです。おそらく、この疲労感というのは、「あっという間に治った慢性疲労病」のところにも書いたような、なんらかの心理的な要因が背後にあったのではないかと思います。

 こんな風に転職を繰り返していたのですが、次の仕事を見つけるまでは、その都度ブラブラしている時間があったのですが、こういった失業中の時間というのは、自分を見つめたり、自分をわざと精神的に追いつめたりしていました。そして、もしも本当の自分に出会えるなら、人生を棒に振ってもかまわないとさえ考えていたのです。ですから、私の人生の目的は、本当の自分を探すことであり、心の苦しさを解決することだったのです。つまり、私にとって仕事をするということは、二次的なものでしかなかったのです。しかし、こんな風にして自分を追いつめていった結果、最後にはうつ状態になってしまって、自分でも自分が手に負えなくなってしまったのです。

 あれは、大学病院で精神科の診察を終えて、門を出たときでした。ふと、病院の建物を振り返ってみたのです。病院の上空には真っ青な青空が広がっていて、白い雲がいくつか浮かんでいました。そのときの私の財布の中には、全財産の三万円くらいしか残っていませんでした。人生の何もかもが行き詰まってしまって、生活も破綻してしまって、このままアパートに帰っても、もうどうしようもありませんでした。私は空に浮かんでいる白い雲を見上げながら、「これから、どこへ行こうか」とつぶやいてみたのです。すると、もう行くところは、親のところしかなかったのです。東京に出てくるときには、親に黙って出て来ましたので、住所も何も教えていませんでした。ですから、ずっと長い間、消息不明の状態が続いていたのです。しかし、私にはもう帰るところがなくなってしまって、情けないことに、憎んでいたはずの親のところへと向かったのです。

 長い時間電車に揺られて、病院帰りのサンダル履きのまま手ぶらで、実家の玄関の前に立ちました。ガラガラと、玄関のガラス戸を開けて、まるで他人の家に入るようにして「ごめんください」と言うと、奥の方から母の「はーい」という声が聞こえました。母は玄関に出て来ると、そこに突っ立っている私の姿を見て、急に腰が抜けたようにヘナヘナとしゃがみ込んでしまいました。そして、私にしがみつきながら、腹の底から絞り出すような異様な声で「うーっ」という声を上げたのです。長い時間そうやって呻き続けているので、私も嫌気がさしてきたころに、やっとの事で手を離してくれて、今度は泣きながら「よく帰ってきた、よく帰ってきた」と言うのでした。

 あとで弟が家に呼ばれて、久しぶりに家族が集まって、私は当面の生活費を親からもらいました。そして、私があまりにも貧相な格好をしていたので、弟の古着のレインコートなどをもらったりして、数日後に東京に戻ってきたのです。情けないことなのですが、憎んでいる親から距離を置いて、離れて生活していながら、いざとなると、その憎んでいるはずの親に頼ってしまうという、精神的にも経済的にも自立できない私だったのです。

 この、実家に帰っていたときのことでした。新聞の折り込み広告の裏に、マジックで、なにげなくヴェルレーヌの詩を書いたことがあありました。それを母に見せると、母は突然声を上げて泣き始めました。その詩というのは、以前からときどき暗唱していた詩でした。

秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し

鐘の音に
胸ふたぎ
色変え
涙ぐむ
過ぎし日の
思い出や

げに我は
うらぶれて
ここかしこ
定めなく
飛び散らう
落ち葉かな

 この詩の、特に最後の部分が、そのときの自分にぴったりのような気がしたのです。私は枯れ葉のように落ちぶれてしまって、冷たい秋風に吹かれるがままに、この世をさまよっていたのです。

 東京に戻ってくると、私の心は罪悪感でいっぱいになっていました。今までの根無し草のような生き方をさかんに後悔して、自分を責めて泣き続けました。後悔と自責の念とで、押しつぶされそうになっていたのです。そして、これからは、もうキリギリスのような生活はやめて、アリのように真面目に働いて、カタギの生活をしなければいけないと思うようになったのです。以前の私は、転職を繰り返したとしても、「人生を微分したときの値が大きくなるからいいのだ」などと、訳の分からないことを言っていたのですが、これ以降は、うつ状態の影響もあってか、あるいは、過去に対する罪悪感の影響か、真面目で平凡な生き方を目指すようになったのです。

 しかし、私の決意とは裏腹に、転職は止まらなかったのです。そして、ここからは、キレて会社を辞めるようになったのです。こうして、キレて辞めるという行動を繰り返しているうちに、就職してから辞めるまでの行動に、なんとなくある種の共通のパターンがあることが分かってきたのです。

 うつ状態が、薬によってゆっくりとではありますが、改善してきたころ、再び就職活動を始めました。そして、ありがたいことに、私が抗うつ剤を服用していることを承知の上で採用してくれる会社があったのです。そして、やがてうつ状態もだいぶ良くなったころに、ほかのところにも少し書きましたが、無差別殺人の願望が出てきたり、子宮の中に帰りたいと思ったりという、さまざまな症状が出てきたのですが、仕事の面では、小さな会社での事務系の仕事だったのですが、私は真面目におとなしく働いていたのです。これは、辞めるまでの行動パターンに共通しているのですが、最初のうちは目立たないようにしているのです。そのうちに、仕事を覚えてくると、どうしたら仕事を確実に効率的に進めることができるかという、システム的な面に関心を持つようになるのです。そして、業務マニュアルのようなものを一生懸命に作ったりして、社内の業務を効率的に機能させようとするのです。しかし、ここいらへんから少し調子が狂ってくるのです。そして、なんとなく精神的な息苦しさを覚えるようになってくるのです。このころになると、経営者の能力や考え方、同僚たちの性格、社内の歪んだ人間関係などといったことが、だいたい分かってくるのです。そうなると、もう先が見えてしまって、出口のない狭い空間に閉じこめられたような閉塞感を感じるようになるのです。社内のことをひととおり把握してしまいますと、もう新鮮なものがなくなってしまって、精神的な不毛感が徐々に心を覆うようになってくるのです。そして、この会社でこれから何年間も、ずっと同じ人たちと毎日顔を合わせて、ずっと同じ人たちと毎日毎日一緒に仕事を続けていかなければならないのだと思うと、精神的に窒息しそうな感じになっていくのです。それと同時に、いろいろな面で意識の変化が現れてきます。まず、仕事の上で、私の主体性が奪われているような感覚が出て来るのです。主体的に働いているのではなくて、強制的に働かされているというような感覚を意識するようになるのです。やがてその感覚は、私が会社から一方的に利用されているとか、あるいは会社から搾取されているとか、そういった被害者意識へと変化していくのです。会社のために一生懸命働いているのに、不当な評価をされていると感じたり、こんなに大変な仕事をしているのに、誰も私のことを気にかけてくれない、誰も私の仕事のことを理解してくれないといった不満が、心の中に少しずつ積もっていくのです。そうなると、いままではなんとも思わなかったような他人の言動も、いちいち引っかかってくるのです。そして、やたらと正義感が強くなっていって、上司や同僚たちの自分勝手ないい加減さや、人間的な卑劣さを糾弾せずにはいられなくなってくるのです。こういった悪の存在を、ぜったいに許せなくなってくるのです。そして、あらゆる他人の欠点が、とても許し難いものになっていくのです。

 こうやってストレスが溜まって来て、精神的に不安定な状態になってくると、あとはちょっとしたきっかけさえあれば、すぐにキレてしまうのです。だいたいのきっかけとしては、私の仕事ぶりを批判されたりしたときです。私がこんなに一生懸命仕事をしているのに、なんでそんな的外れな批判をされなけなければならないのかとか、こんなバカな奴に批判される覚えはないとか、そういう感情からキレてしまうのです。頭の中が、パァ〜ンとなってしまって、仕事をすべて放り出してしまうのです。いゆる、職場放棄というやつです。会社に対して一言だけ「辞めます」と言って、あとは自宅の電話のモジュラー・ジャックを引き抜いて、ホテルに行くことが多いですね。そして、ホテルでのんびりと風呂に入って、翌日は温水プールに行って、「いまごろは、会社じゃ大騒ぎになっているだろうな」なんて思いながら、子供たちの歓声がこだまする中で、のんびりと泳いでいると、なんとも言えないような、無上の開放感に浸ることが出来るのです。もともと、会社から搾取されていたとか、利用されていたとかいった被害者意識が強い状態ですから、会社に対する迷惑だとか、同僚に対する迷惑だとか、そういう気持ちはまったくなくて、それまでの葛藤から解き放されて、実にさっぱりとした気分になるのです。そういえば、デパートの屋上で横になって、一日中のんびりと日向ぼっこをしていたこともありました。

 しかし、このような開放感も長くは続かないのです。二三日もすると開放感もしぼんでいって、「ああ、またやってしまった」という後悔の念におそわれるのです。たしかに、私のやっていることは、子供じみた行動なのかもしれません。そして、仕事を投げ出してしまうのですから、自分勝手で脳天気な奴だと思われるかもしれません。しかし、辞めるときの精神状態というのは、そういう行動しか取れないような精神状態になっているのです。私はただ、残された最後の選択肢を選んだにすぎないのです。

 しかし、このような行動を繰り返すことが、自分にとって利益になるのかというと、たしかに精神的なストレスからは解放されますが、経済的な面から言えば、実に多大な不利益を招いていると言えるでしょう。後先のことも考えずに、そのときの抑えがたい衝動に駆られて行動してしまうのですから、人生の設計もなにもあったものではありません。そこで私は、このような問題行動をなんとか出来ないものかと思って、その原因について、精神分析的に考えてみたこともあったのですが、この時は「なぜか」よく分からなかったのです。

 こんな形で会社を辞めて、しばらくの間ブラブラしてから、職安に行って、失業保険をもらう手続きをするのですが、ここでも「ああ、また職安に来てしまった」という思いに駆られるのです。そして、今度こそは定年まで働けるような、安定した仕事を探そうと心に誓うのです。しかし、面接を受けるときになって再び落ち込むのです。それは、履歴書を書かなければならないからです。私の本当の経歴を書いたら、とても履歴書の用紙には書ききれませんし、だいいちこんなに転職を繰り返している人を採用する会社もありません。そこで、まあ、なんというか、履歴書の書き方を、ちょっとばかり工夫するわけですね。

 しかし、こうやって工夫をしながら履歴書を書いていると、私の過去というのは、本当に犬も食わないような、ろくでもない過去なんだなと、つくづく思い知らされるのです。そして、その工夫をして書いた履歴書を持って、何カ所か面接を受けているうちに、それでもなんとか私を採用してくれる会社が現れてくれるのです。そして、今度こそは定年までこの職場で働くぞと、その時はそう思うのです。しかし、どういうわけか、同じようなパターンをたどって、最後にはキレて辞めてしまうのです。

 あるとき、なんでこんなバカな行動を繰り返すのかと自問していると、ふと、明快な答えがひらめいたのです。それは、「もともと私は、こういう人間なんだ」「私は、こういう生き方しかできない人間なんだ」ということだったのです。普通の人のように定年まで真面目に働こうなどと考えること自体が、私にとっては最初から無理なことだったのです。私はもともと転職を繰り返す人間だったのです。ですから、私は転職を繰り返すような生き方をしていけばいいのです。私は、このように考えることが出来たとき、はじめて精神的に楽になることが出来たのです。転職を繰り返すことに罪悪感を感ずるのではなくて、私は元来こういう人間なんだから、私にはこういう生き方しか出来ないんだと開き直って、自分を堂々とありのままに肯定してしまえば良かったのです。

 その後は、今のところ転職せずに現在に至っているのですが、ある時、ふと、……、まあ、何かに気付いたりするときというのは、だいたいふと気付いたりすることが多いのですが、そのときも、ふと気付いたのですが、やっとのことで、転職行動の背後に潜んでいるものの正体が見えてきたのです。

 次回は、私の転職行動を、背後から操っていたものの正体について書きますが、これは転職行動以外の、その他の境界例的な症状にも共通する部分がありますので、もしかしたらこの文章を読むことで、あなたの精神的なバランスが崩れてしまうかもしれません。ですので、いま精神的に不安定な状態の人は、次回の内容は読まない方がいいかもしれません。

つづく

ホーム思考と行動の問題点転職を繰り返す > 私の転職体験
【 境界例と自己愛の障害からの回復 】