ホーム回復のための方法論


防衛機制のパターン 6

分裂  Ver 1.0 1999/06/19


 こんな夢を見たことがある。目の前に一本のあぜ道が真っ直ぐに延びている。あぜ道の左側の田んぼには稲が実り、稲穂が夕陽に照らされて黄金色に輝いている。右側の田んぼは稲がまるで焦げたように黒ずんでいる。稲穂は無数のスズメが食い荒らし、一面に荒れ果てた光景が拡がっている。

 この夢を対象関係論的な視点から見れば、対象が良いと悪いの二つに分裂している状態を如実に表していると言えるだろう。豊かな実りを得ている田んぼ(良いオッパイ)と、略奪されて荒廃した田んぼ(悪いオッパイ)が、私の心の中で分裂したまま、統合されない状態で残っている。おそらく、赤ん坊のころにいろいろなことがあったのだろう。

 このように対象を分裂させることは、ある意味では良い対象を傷つけずに保存しておくための方法でもある。良いオッパイに噛みついて傷つけてしまうと、自分の中に罪悪感が生まれるし、良いオッパイから嫌われてしまったら、オッパイを飲ませてもらえなくなる。つまり、餓死の恐怖に直面することになる。そんな事態を避けるために、オッパイを二つに分裂させて、良いオッパイとは別に悪いオッパイが存在することにする。そうすれば悪いオッパイに対して、安心して攻撃を仕掛けることができる。悪いオッパイならいくら憎んでも、罪悪感に囚われることは無くなるし、心の中には良いオッパイのイメージを傷つけずに保存することが出来る。しかし、保存された「良い」オッパイのイメージは、悪いオッパイへの反動から、どうしても理想化の色彩を帯びたものとなってしまいう。

 たとえば、私が中学生の時、こんなことを真剣に考えたことがあった。私の母親は本当の母親ではないのではないかという考えが、ふと浮かんできたとき、たちまちそれは確信になった。実の母親であるという証拠は何も無いではないか、とその時は真剣にそう考えた。実際は戸籍謄本などを見ると実の母親であるということがわかるのだが、その時の心理状態が、そのような疑いを抱かせるものだったのだろう。本当の母親はあの人ではなくて、どこか他の所にいるのではないか……、そうであって欲しい、いや、そうに違いない、ということで確信に移行していったものと思われる。良い母親のイメージを、現実の母親の姿の中に見ることが、あまりにも困難なため、母親を分裂させて、良い理想的な母親はどこか遠いところにいることにしてしまったのだ。そうすれば家にいる悪い母親に対して、自分が傷つくことなく憎むことができる。

 このような、対象を二つに分裂させてしまうという防衛機制は、境界例の人によく見られる。良いと悪いが分裂したまま残っているため、人間関係が非常に不安定なものとなる。上司がいい人に見えていたのに、チョットしたことから腹黒い人に見えてしまい、急に上司と反りが合わなくなったりする。態度に表さなくても、人物評価が変化しやすくなったりする。愛し合って結婚したのに、嫌いになるとその人のすべてが大嫌いになったりする。夫の下着に触ることさえ汚らわしく思えて、箸でつまんで洗濯機に入れたりする。

 このような分裂は、職業の選択や、人生の進路を決めるときなどにも影響する。良いと思って選択した職業が、途中で悪いに変わってしまったりして、転職を繰り返したりする。価値観がころころ変わり、自分でもなにを求めているのかわからなくなったりする。

 分裂機制の状態にあるとき、自分でそのことに気付くのは難しい。本人にしてみれば、相手の人が本当に憎らしく思えているのであり、邪悪な人間そのものに見えている。分裂機制によって悪いオッパイが投影されることによって、憎しみや敵意はさらに激しいものになる。しかし、時間が経って、冷静になったとき、落ち着いて自分を振り返ってみれば、そこに分裂機制の存在を見つけ出すことがあるかもしれない。あるいは、自分の過去の出来事を冷静に分析してみれば、そこに分裂機制が働いていたことを理解できるかもしれない。

 では、どうしたら分裂が統合されるのか。分裂させた悪いオッパイの背後にある憎しみを、分析的なプロセスによって直視してゆくしかない。生まれてまもないころから使われてきた防衛機制であるため、根が深く、また、そこまで分析を進めてゆくことも困難を伴う。しかし、治療者との関係を通じて「良い」体験をすることによって、良い対象に対する信頼感を取り戻すことができる。それに伴って、破壊的な面も自分の一部として受け入れられるようになってゆく。自己分析のみで問題を解決しようとする場合は、おそらく困難で時間のかかる作業になると思う。



【関連ページ】
 発達精神医学から見た心の成長過程

【関連文献】
 メラニー・クライン 「羨望と感謝」 より
 羨望に満ちた破壊的な衝動が、強く分裂除外されていればいるほど、この衝動が意識化されたときに、それが危険なものだと感じられる度合いも強いものなのである。患者が自らの自己における分割の存在を洞察することはつらいことなのであり、分析ではなによりもまず私たちは、この洞察に向かって、ゆっくりと徐々に進んでいくべきなのである。すなわち、破壊的な側面は、何度も何度も分裂除外されたり、とりもどされたりしながら、やがてしだいに高度の統合が生じてくることになるのである。その結果、責任感がよりつよいものになってゆき、罪悪感や抑うつ感が、さらに充分に体験されるようになる。こうなってくると自我は強化され、破壊衝動への万能感は羨望とともに減少してゆき、それまで分裂のプロセスによっておさえられていた愛情と感謝への能力がふたたび自由に解放されてくる。そのために、それまで分裂除外されていた面が、徐々により受け入れられやすいものとなり、患者はしだいに、愛する対象への破壊衝動を、自己を分裂させることなしに、抑圧することが可能になってくる。



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