ホーム回復のための方法論


防衛機制のパターン 5

理想化  Ver 1.0 1999/06/18


 世の中にはやたらに向上心の強い人がいます。どこか健全な向上心とは違い、なにか間違った方向に向かおうとしているかのように見えることもあります。自分を高めることに熱心なのはいいのですが、何のための向上心なのかを考えてみると、なにか見えざるものに対して優越感を獲得しようとしているように見えることもあります。そして、やたらと高いところに登って旗を振りたがっているようにも見えたりもします。

 おそらく本人は、自分の思い描いた理想に向かって進んでいるのでしょう。しかし、その理想とする目標が現実的な側面を失って、根なし草のような夢物語的な面を持つようになると、その背後には何かが隠れているのかもしれません。その何かを隠すために、現実離れした理想を描くようになったのかもしれません。

 本人の心の中にエディプス・コンプレックスから来る去勢不安のようなものがあるとしたら、去勢される不安から、やたらと力を誇示しようとするでしょう。去勢される不安を打ち消し、去勢される不安のない状態を理想として描き、その現実離れした架空の理想に向かって進んで行くことでしょう。

 自分の無力感や惨めな精神状態を打ち消すために、乳幼児期を理想化してしまうこともあります。家族の注目を一身に浴びて浴びて、自分を中心に世界が動いていたと思っていたころの事を理想化するのです。そして、現在もあきらめきれずに、万能感に満ちた赤ん坊時代を、現実のこの世界でもう一度再現しようとするかもしれません。あるいは子宮の中にいたころの、限りなく満ち足りた世界を理想化するかもしれません。自分が完全に守られている世界、なにもしなくても生きていられる世界、そういう世界を理想化し、大人になった今でも、現実の中にそういうものを探し続けるかも知れません。

 これは人生を逆向きに進むことになります。前向きに成長するのではなくて、後ろの方向に進んで行く退行現象です。しかし、本人はそのことに気づいていなかったりします。本人にとっては、あくまでも理想の自画像に向かって進んでいるだけなのです。そして、理想とする人間関係を求めているだけなのです。それらは他人から見ると、現実性の乏しい夢物語のように見えます。しかし、本人は現実検討能力が低下しているために、理想化されたものを実現可能なものとして受け止めています。

 もし、本人に才能があれば、現実離れした夢を追い続けていても、なんとか社会的に適応することもできるでしょうが、そういうケースは非常に少ないでしょう。ほとんどの人は、自分の才能を現実的に評価せざるを得ない状況に直面します。誰もがアインシュタインのような才能を持っているわけではありません。誰もがシェークスピアになれるわけではありません。

 たとえば、高校野球で甲子園を目指している人はたくさんいますが、甲子園に行けるのは、ほんの一握りの人達です。ほとんどの人は甲子園に行けません。それどころか、選手にさえも選ばれず、応援席で声援を送っているだけの野球部員もたくさんいます。理想は理想として心に抱いていても、現実というものを受け入れていかなければなりません。甲子園に行けなかったからと言って、人生がそこで終わってしまうわけではありません。理想を目指して自分なりに頑張ったことを自分なりに評価することができれば、それを誇りとして胸に刻みつけ、現実の世界に適応してゆくことができます。

 しかし、現実検討能力が低下していると、なかなかそうはなりません。理想化が進むと妄想化と言ってもいいような状態になります。何の裏付けも実績もないのに自分の才能を信じ、その才能を前提に人生を考えたりします。何の努力もしないくせに、勝利を手にした時の姿ばかりを思い描いたりします。ひどく惨めな境遇に陥ったりしても、一発逆転の夢を抱き続けたりします。小説を書いて一夜にして有名人になって大金を手にするとか、白馬の王子様のような人が出現して結婚するとか、現実離れした夢を追い続けたりします。こういう妄想は、人格の崩壊を食い止める働きもしますが、その代わり妄想のカゴの中から抜け出せなくなってしまいます。

 人によっては、自分の思い描いた理想を邪魔しようとする人に対して、攻撃的になったりするかもしれません。ろくでもない論文を書いて、自分は天才だと思い込み、学会誌に掲載を断られたりすると、自分を貶めようとする陰謀が張り巡らされているのではないかと疑ったりします。あるいは、自分より評価されている人を激しく嫉妬して、足を引っ張るような行動に出たりするかもしれません。

 このような間違った理想や妄想から抜け出すには、自分の足元を見つめなければなりません。自分の理想や夢が、現実に照らし合わせて妥当なものであるか、じっくりと検討してみる必要があります。乳幼児期のパラダイスを、いま、現実の世界で再現しようとしていないか。世界を独り占めにしようとしていないか。胎内にいるような一体感を恋人に求めていないか。幼稚な万能感によって人生を描いていないか。自分の能力を過大評価していないか。自分より優れた人を過小評価していないか。そう言ったことを点検してみるのもいいかもしれません。

 もしかして、今まで思い描いていた夢や理想が間違っていたことを理解することができたとしたら、その時は、とても悲しい気持ちになるでしょう。そして、人生観や価値観を修正しなければならなくなるでしょう。これは非常に辛い作業です。人によっては深い失望から、鬱状態になったりするかもしれません。間違った理想ではあっても、今まで自分の精神的な支えとなっていたものです。それを失うことは大変なことです。自分で自分が手に負えなくなるかも知れません。そう言うときは病院に行くしかありません。薬の力で、ある程度は症状を緩和できますので、生活へのダメージを和らげることができるでしょう。
 私の体験 :
  ほんとうに精神的にボロボロになっちゃうんですよね。でも、まだまだ問題が残ってる。


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