ホーム回復のための方法論


防衛機制のパターン 2

否 認  Ver 1.0 1999/06/13

 否認とは、問題の存在そのものを認めないというやり方です。これは、反動形成とペアになることが多いです。たとえば、男の同性愛に過剰とも思えるほどの激しい嫌悪感を示す人などを見ると、いろいろ考えさせられたりします。もしかしたらこの人は、言っていることとは正反対の願望を持っていて、それを自分で認めるのが恐いので、同性愛を過剰なまでに目の敵にしているのではないだろうか。

 あるいは、性的に非常に潔癖な人を見ると、なぜこれほどまでに禁欲的にならなければならないのだろうかと考えてしまいます。もしかしたら、近親相姦願望のような禁じられた欲望が潜んでいるのではなかろうか。そういうものを自分で認めたくないがために、性欲を過剰なまでに抑え込んでいるのではないだろうか、と考えてしまいます。

 不倫相手との情事が終わって家に帰ると、配偶者に気づかれないように普段通りに行動しようと思うのですが、浮気の反動から、妙に相手に優しくなりすぎたりして、逆に疑われてしまうこともあります。自分の本心を否定しようとすると、どうしても反動としてこのような不自然さが出てしまいます。

 さかんに冗談を言ってみんなを笑わせていた人が、トイレに行ったまま、いつまでたっても帰ってこない。どうしたのだろうかと思って行ってみると、トイレで首を吊って死んでいた、などということもあります。なんであの人が……、ということになりますが、これも反動形成でしょう。死にたくなるような気持ちを必死になって否定して、まったく正反対の自分を演じていたのでしょう。

 心の問題にアレルギー反応を示す人もいます。自分の病気はあくまでも身体の病気であって、絶対に精神的な原因ではないと信じています。まあ、こういったことは医師の診断能力の問題も絡んできますが、明らかに精神的な原因であっても、それを認めずに、身体の病気であるという診断してくれる医師を求めて、病院を転々とする人もいるかもしれません。

 人の性格を見るときに、その人の性格の特徴的な面があったら、もしかしたら、それとは正反対の一面を持っているのではないかと考えてみると、その人の意外な一面の発見につながったりします。必ずしすべてがもそうであるとは言えないのですが、こういう物の見方は、結構人を見抜くときに役立ったりします。神経質でいつもピリピリしている人が、時として信じられないくらいずぼらな一面を持っているのを知って驚いたり、臆病で気の小さい人が、時として人を人とも思わないような傲慢不遜な一面を持っているのを発見して、ビックリしたりします。こんなふうに、わざとその人の性格とは正反対の視点からその人を見てみると、まったく意外ともいえる発見がたくさんあって、結構面白いです。(私が体験的に実証済みです)

 自己分析にもこれは生かせます。自分の持っているセルフイメージとは正反対の自分が隠れていないか探ってみるのです。必ずしもうまく行くとは限りませんが、時として意外な自分を発見するかもしれません。落ち込んで悲観的になっている自分の心の中に、それとは正反対の、まったく能天気としか言いようのないような、お気楽な一面が潜んでいるのを見つけて、これは一体何なのだろうかと考え込んだりします。面白い発見に繋がることも多いので、良かったら試してみてください。

 心の中に何かまずい問題があって、その問題の存在を否定し、それを隠すための反動として、いまの精神状態が形成されている……、のかもしれません。



ホーム回復のための方法論|  前へ | 次へ  |