ホーム回復のための方法論


防衛機制のパターン 8

退行  Ver 1.0 1999/06/26


 成長の過程を後戻りすることです。わかりやすい例として、子供に弟や妹ができたとき、母親にかまってもらいたくて赤ちゃん返りしてしまい、今まで一人でできたことができなくなってしまうような場合です。

 たとえば、赤ん坊のように抱いてもらいたいという願望が、性的な行動となって現れて、行きずりのセックスを繰り返したりすることがあります。しかし、セックスそのものが目的ではないために、いつも満たされない空虚感を抱き続けることになります。第三者的にみると、性的に奔放であるかのように見えたりしますが、本人は性的な満足感や、人間的な親密さというものを少しも得ていなかったりします。

 発達段階のある時点に満たされないものがあり、その時点に戻ろうとすることもあります。発達段階のその時点に「固着」していると言えましょう。たとえば、トイレットトレーニングという発達段階をどのように通過したかによって、その時点への固着が生じたりします。トイレットトレーニングで失敗を重ね、親にしかられて、ひどく恥ずかしい思いをしたりすると、大人になってからSMの世界に入って、羞恥プレイや、浣腸プレイと言ったものに快感を見出すようになるかもしれません。

 思いっきりお漏らしをしてみたいという、幼児期の満たされなかった願望を抱き続け、大人になってからもその願望を満たそうとすることがあります。みんなの見ている前で、思いっきりオシッコやウンコができたら、さぞかし気持ちいいことでしょう。このような願望が抑圧されていると、大人になってから、浪費という形で間接的にこの願望を満たそうとするかもしれません。持っているお金をためらいなく手放してゆく過程は、思いっきり大量のウンコを排泄する快感と重なったりします。お腹の中にあるものを全部出し切って、すっきりしたいのです。

 逆に、トイレットトレーニングを失敗したことに対する処罰が強すぎると、絶対お漏らしをしてはいけないという、排泄への強い抑制が働きます。オシッコやウンコを漏らさずに、できるだけ身体の中にためておこうとします。このような固着がありますと、大人になってから、非常にケチな節約家になったりします。ウンコを漏らしてはいけないという思いと、お金を無駄遣いしてはいけないという思いが重なります。そして、必死にウンコ(お金)を身体の中(ふところ)に貯めようとします。

 排泄に失敗して、パンツを下げられてお尻をぶたれたりすると、羞恥心と性的な快感が結びついたりするかもしれません。大人になってからも、失敗して叱られたいと言う願望を抱き続けるかもしれません。恥ずかしい思いをすることへの願望が、いじめられたいという形になって現われ、マゾヒズム的な性格となるかもしれません。

 こういったことは、必ずしもトイレットトレーニングだけではなく、他の要素も考えなければなりませんが、考えられる可能性の一つとして検討してみる価値があると思います。

 境界例の場合には、安心して甘えることができなかったという思いが強く残っています。成長してから、子供のころに充分に甘えさせてくれなかったという理由で、親を激しく責め続けたりすることがあります。家庭内暴力などで、まるで赤ん坊がダダをこねるように、親に無理な要求をしたりします。おもに生後15〜24ヵ月の練習期という段階に固着があるためです。このころの、乗り越えられなかった分離不安が心にこびりついているために、精神的なストレスに遭遇したりすると、一気にこの段階へと退行してしまいます。大人なのに、まるで二三才の子供そのもののような行動を取ったりします。子供のように、後先のことも考えずに衝動的な行動をとったり、子供のように相手のことも考えずに遠慮のない憎しみの感情をあらわにしたりします。あるいは子供のように自分の面倒をすべてみてもらおうとして、トラブルを起こして周囲の人を操作しようとしたりします。

 重症の人の場合は、このような赤ちゃん返りの退行が、症状そのものとなって現われているので、治療場面では信頼関係を構築した後に、自分の取った行動を直面化させたりします。軽症の人の場合は、心の底に隠されている二三才の赤ん坊を、何とかして引きずり出さなければなりません。一見軽症に見えても、その人の二三才の赤ん坊時代がひどい状態だった場合には、それに相当した状態が再現されるでしょう。

 自分の心に隠されたものを知るために、わざと退行してみるのもいいでしょう。わざと子供っぽくなってみたり、あるいは恥ずかしがらずに、思いっきり赤ちゃん返りをしてみたりすると、意外な発見があるかもしれません。大人の仮面の下に、二三才の子供が潜んでいるのです。このころの未解決の問題が、自分の思考、行動、価値観、人生観を支配しているのです。大人になった今でも、自分の人生を覆いつくしているのです。哲学や思想ではなくて、心に潜んでいる子供のころの卑近な感情が、我々を動かしているのです。

 いい年をして、などと思わずに、思いっきり「ママー」と声を出して叫んでみてください。恥ずかしがらずに感情を込めて、「ママー、恐いよー」、「ママー、寂しいよー」と叫んでみてください。悲しくなったら、赤ん坊のように思い切り泣いてみてください。二三才のころに戻って、思い切り泣き叫んでみてください。あるいは、「やだー、やだー」と赤ん坊のように声をひきつらせながら、激しく抗議してみてください。その時わき上がって来る感情を見つめてください。そして、赤ん坊のころからずっと溜まっていた感情を発散してください。思いっきり泣いて発散した後は、案外けろりとするかもしれませんし、抑うつ的な悲しみに襲われるかもしれません。親への憎しみが前面に出てくるかもしれません。あるいはもしかしたら、何の効果もないかもしれません。どうなるかは人それぞれです。


【注意】
 意図的に赤ん坊返りをするときは、第三者が見たら気が狂ったのではないかと思われますので、プライバシーの安全性を確認してからやってください。
【補遺】
 境界例の固着は練習期の分離不安だけではなく、それ以前の共生段階での愛情の剥奪などについても検討してみる必要があります。
【関連ページ】
発達精神医学から見た心の成長過程


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