幼少のころにさかのぼって、家族以外の人との関係も洗い出してみましょう。事件と言えるようなものでなくても、だれかからチョットしたことを言われて、そのことがずっと心にこびりついてることもあります。そういったいろいろな出来事を思い出してみましょう。境界例の人は自我の確立が不十分であるために、いじめられた経験を持っている人が多いのではないでしょうか。あるいは自分がいじめた経験もあるはずです。被害者であることは自分を正当化するには都合がいいですが、加害者だったことはあまり認めたくないものです。いつの間にか記憶の中から追い出されて、自分の過去が被害者として美化されてしまうことはよくあることです。苦痛でしょうが、加害者だったことも、振り返ってみましょう。
過去の嫌な出来事は、その嫌な感情が抜き取られてしまい、「そう言えば、そんなことがあったな」という程度の記憶になっていることがあります。しかし、詳細に回想してゆくと、そこに意外な激しい感情があることを発見したりします。
私は、幼いころに、年上の知恵遅れの奴にいじめられていたことがあります。イジメと言っても、それほどひどいものではなくて、主に言葉で私をバカにするようなものでした。私としては、「そう言えば、子供のころにそんなことがあったな」と言う程度のものでした。特にひどく傷ついたということもなかったはずでした。ところが、コイツのことを回想してみると、「そんなことがあったなあ」どころではありませんでした。凄まじい憎しみが噴き出してきて、自分でもびっくりしました。憎しみというよりは、殺意そのものと言った方がいいでしょう。知恵遅れで、知能が低いですから、何を言っても通じません。何を言っても理解しません。道理も理屈も一切通用しないのです。要するに**そのものです。こんな奴にいじめられて、バカにされて、その時の屈辱感は相当なものでした。私がいくら言い返しても、相手は正真正銘の**ですから、まともな反応が返ってきません。もし、いじめられていたとしても、相手がまともなら、こちらも少しは違ったのでしょうが、……、こんなことを書いていると、はらわたが煮えくり返るような激しい憎しみが湧いてきます。ハンマーであいつのまぬけな顔を叩きつぶして血だらけにして、ぐちゃぐちゃのミンチにしてやりたいような衝動に襲われます。
最初にこの感情に気づいたときは、叫び出したいような衝動に駆られ、激しい殺意のやり場がなくて、凄まじい勢いで枕を殴り続けました。いま、私が抱えている問題のひとつに、非常にキレやすいと言うのがありますが、こういう過去の出来事が影響していると思います。さらに精神分析的に言えば、原因は口唇期までさかのぼるようになりますが、こういうことはまた後で書きます。
このように、過去を詳細に回想してゆくと、なんと言うか、まぁ、こういうことがあるんですよね。ふー。
境界例の場合は、思春期になるころにもいろいろなトラブルを経験していることが多いことでしょう。性的な自立や、社会性が求められるに従って、乳幼児期に精神的な分離に失敗した体験が、再び繰り返されることになります。さらに、学校という保護された状態から出て、社会人として自立が求められるときにもいろいろなことがあったはずです。社会的に自立したくないという願望から、いつまでも就職しなかったり、転職を繰り返したり、周囲の人とトラブルを起こしたりと言ったことがあったはずです。そう言ったトラブルもリストアップして、精神的な状態が良い時に、詳細に回想してみましょう。もし、余裕があるなら、そこに防衛機制のパターンが潜んでいないか検討してみましょう。