ホーム回復のための方法論


過去を振り返る 4

性的な記憶 
 Ver 1.0 1999/07/19

 人間の性的な成長過程と、各段階で受ける様々な影響について考えてみましょう。

 初めて赤ん坊を育てるときに、父親が面白がって赤ん坊に自分の乳首を吸わせてみるというのは、いわばちょっとしたお遊びとして、やったことのある人は多いのではないかと思います。境界例の素質を持った親は、このお遊びがエスカレートしてしまいます。自分と他人の境界があいまいなため、赤ん坊を自分とは別の人格としてとらえることができず、自分の延長のような存在、あるいは生きたオモチャとしてとらえ、性的ないたずらをすることがあります。赤ん坊だからどうせ覚えていないだろうということで、やたらと性器をいたずらしたりする父親がいます。母親も、赤ん坊のオチンチンをくわえると泣きやむのを面白がったりして、フェラチオのまねごとをしたりすることがあります。あるいは、面白がって赤ん坊の見ている前でセックスしたりする人もいるようです。このように、産まれて間もないうちから、性的にオモチャ扱いされ続けてきた赤ん坊が、その後どういう影響を受けるかはよくわかりませんが、おそらくその後の性行動になんらかの影響を及ぼすのではないかと思います。このような性的ないたずらをする親からは、崩壊した乱れた家庭を思い浮かべるかもしれませんが、そんなことはまったくありません。近親相姦の事例などを見ますと、社会的な地位などとは無関係に発生しているようです。

 赤ん坊が成長してきて、外界を理解するようになると、認識能力がある分だけ、大きな影響を受けます。性行為を目撃したりすると、外界の認識が歪んだものとなり、ペニスを持った乳房、あるいは、ペニスを持った母親といった空想を抱くようになることがあります。性行為を目撃することによって、自分だけ除け者にされ、見捨てられたという絶望感、敵意、嫉妬、自分も仲間に入れて欲しいという絶望的な叫び、見捨てられて死んでしまうのではないかという死の恐怖、……、精神的に未熟な自我では処理しきれない、激しい感情に襲われ、その後の精神の発達に重篤な影響を及ぼします。赤ん坊は、母親を独占しようとする気持ちが強いのですが、生きることのすべてを他人に頼っている以上、母親を失うことは、死の恐怖に繋がります。そんなときに、セックスを見せつけられたりすると、パニックになるだろうことは、容易に想像できると思います。このような早い段階での認識の混乱は、その後の精神的の発達に、重篤な影響を与えます。

 3〜4歳ころになると、性の区別に目覚めるようになります。フロイトの有名なエディプス・コンプレックスの登場です。父親を殺して、母親を性的に独占しようとする願望のことを言います。この願望は同時に、父親から復讐されるのではないかという不安を招き、自分のペニスを父親に切り取られるという恐怖に脅えたりします。女性の場合は逆で、エレクトラ・コンプレックスと言って、父親に執着して、母親を憎むようになります。このエディプス期は6歳ころまで続き、この間に性的な自立が達成されます。しかし、この時期をうまくクリアできないと、同性愛傾向を持ったり、エディプス的な葛藤が神経症の原因を形成したりします。両親の性行為を直接目撃しなくても、家庭内の性的な気配を嗅ぎ取り、両親が仲良くすることを妨害しようとしたり、性的な関係に嫌悪感を抱いたりすることもあります。こういったことが影響して、就眠儀礼と言って、自分で決めた一定の儀式を行なってからでないと眠れないといった症状や、あるいは、頻繁に手を洗わないと気が済まないといったような、非常に多彩な神経症的行動が出現したりします。

 ここいら辺までは、性的な記憶を思い出そうとしても、なかなか困難かもしれません。こういう性的な記憶は深く抑圧されてしまうことが多いからです。しかし、間接的な形で思い出されることもあるかもしれません。たとえば、幼いころ相撲を見ると恐くて泣いた、と言う記憶があったとします。自分は少し変わった子供だったというだけの記憶なのですが、実はこれが両親の性行為の目撃を表わしていたりします。相撲、すなわち二人の裸の大人がぶつかり合う行為、つまり性交そのものを意味しているのです。両親の性交を目撃したという直接的な記憶は抑圧されてしまい、テレビで相撲を見ると恐くなって泣き出した、といったできごとだけが記憶として残っていたりします。あるいは親から「お前は変わった子供だった、相撲を見ると〜」と言われたりするかもしれません。

 あるいは、親が自分の子供をオモチャにして、男なのに女の子の服を着せて面白がったり、これほど極端ではないにしても、女の子なのに「お前が男だったらよかったのに」などと、親から恨めしそうに言われた記憶があるかもしれません。自分の性とは違った性を親が無言のうちに期待していて、子供が親の態度からそれを読み取り、親の願望に過剰に応えようとすることもあるかもしれません。こういった出来事も、自分が性的に何者であるかということに混乱を招きます。

 思春期になると性に目覚めます。初潮、初めての射精、初めてのオナニー、初めての性交などといったことは、はっきり覚えているのではないかと思います。このような性的な自立の時期に、親がどのような態度を取るかによって、当然、大きな影響を受けます。母親が、子供の性的な成熟に嫉妬して、娘の初潮に対して嫌悪感を示したり、あるいは、逆に過保護になって息子のオナニーの心配までして、息子の性を管理しようとすることもあります。

 性的な関心が高まるに連れて、近親相姦的な状況が生まれる可能性が出てきます。近親相姦で一番の多いのは「きょうだい」間です。アメリカでは、それに次いで父−娘間の近親相姦が多いのですが、日本ではどうでしょうか。母子関係が密着している日本では、母−息子間の近親相姦が多いと言われていますが、具体的な統計があるわけではないのでよくわかりません。父−娘間の近親相姦は、父親の暴力によるものが多く、性的虐待として表面化することが多いのですが、母−息子間のケースは、虐待として表面化することは少ないようです。なぜなら、息子と関係を持つには、息子をその気にさせて勃起させなければならないからです。娘の方は虐待による被害者という、明確な形となって現われやすいのに対して、息子の方は被害者意識がはっきりせず、表面化しにくくなっています。(近親相姦については、別のところで詳しく書きます)

 境界例的な親によって、性的な自立が妨害されることの他に、家族以外の人達との性的な関係も発生します。他人からの性的ないたずら、性的な虐待、レイプ、など様々な事件を体験している人もいることでしょう。思い出すことさえ出来ずにパニックになってしまう人もいることでしょう。レイプなどについても、別なところで書こうと思いますが、ここで、ひとつだけ、ある重要な事柄に触れておきたいと思います。それは、レイプされたのに感じてしまったというケースです。これは、変態ではありません。実際に、ある程度の割合でこのようなケースがあるのです。心理学的には、脳の恐怖を感じる部分と、性的なものをつかさどる部分が接近しているために、異常な恐怖感を感じると、脳の性的な部分が刺激されて、その結果、感じてしまうというものです。レイプの被害者を支援する人たちにもこのようなことはあまり知られていないようで、被害者が感じてしまったことを口にした途端に、掌を返したような冷淡な態度を取り、変態扱いすることがあるようです。被害者の方も、レイプに対する激しい憎しみを抱いているにもかかわらず、自分が感じてしまったことで、さらに激しい自己嫌悪に陥ります。その上さらに、相談にのってくれた支援者からも突き放すような態度を取られてしまい、さらに絶望的になります。こういった精神的な二重のダメージと性的な快感が結びついて、非常に破壊的で混乱した精神状態になることもあります。

 性的な虐待を受けた場合、そのおぞましい出来事が記憶から消されてしまい、原因不明の下腹部の痛みや、原因不明の頭痛となって現われることもあります。下腹部の痛みは犯されたときの膣の痛みであり、頭痛は犯されたときに髪を引っ張られた痛みなのです。原因となる体験が隠蔽されているので、病院で診察を受けても、何が原因なのかよくわからないため、不定愁訴という病名をもらうことになります。このような原因不明の下腹部痛がある場合は、性的虐待の可能性も視野に入れると、もしかしたら失われた記憶が甦ってくるかもしれません。

 境界例の人の場合は、性的な虐待を体験した人が多いのではないかと思いますが、逆に近親相姦を理想化して、あこがれを抱いている人もいることでしょう。これは性的な自立が出来ていないために、親との性的な一体感を求めようとするものです。このような人の場合、自分が親になったときに、子供との間に性的な境界を設けることが出来ないため、自分の子供を性的利用するようになる可能性があります。つまり、このページの最初に戻ることになります。



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