ホーム回復のための方法論



私の分析体験 3

私は存在する
  Ver 1.0 2000/06/21


 このときの体験は、前に書いた二つの体験談ような劇的な変化が起きたわけではありませんが、私にとっては深く印象に残る体験でした。

 そのころの私は、怒りの感情のガス抜きをするために、ノートなどに罵詈雑言を書き殴ったり、他のところにも書いたような、アクターズスタジオ流のやりかたで感情の解放というか、感情の発散をしたりしていました。部屋の中で、一人で、でたらめ語をわめきながら、頭をかきむしったり、畳の上をのたうち回ったり、枕を思いっきり殴ったり蹴っ飛ばしたりしていたのです。とても他人には見せられないようなことを、一人でやっていたのです。

 そんなある日のことでした。わめき疲れた後でソファに腰掛けて、何となく両手を広げて、自分の手のひらをじっと見つめていたときでした。そのとき、突然、ひらめいたのです。私だけの世界が存在するのだと。誰にも邪魔されることのない、自分だけの世界がある。他人から妨害されることのない世界、私だけが所有できる、私だけの世界、私だけの空間がここにあるのだと。こういう感覚を、そのとき突然、実感として理解できたのです。さらに私にとってショックだったのは、この感覚が、生まれて初めて体験する感覚だったということでした。こんな感覚は、それまで一度も体験したことがなかったのです。しかし、この感覚は、あまりにも頼りないものでした。まるで蝋燭の炎が、風に吹かれながらかろうじて燃えているような、あるいは、風に吹かれて今にも消えてしまいそうな、そんな頼りないものでしかなかったのです。しかし、私は、初めて味わう感覚に驚きながらも、弱々しい炎が消えてしまわないように、何度も何度も実感の確認を繰り返しました。そして、そのとき同時に、それまでの自分が、自分というものをまったく持っていなかったのだということを、初めて理解できたのです。「私がある」ということが理解できて初めて、それまで私が無かったのだということを理解できたのです。

 私は、幼い頃からずっと、親からの精神的な侵略にさらされ続け、過剰な干渉にさらされ続け、自分が自分であるという感覚さえも、まったく持つことが出来ないでいたのです。親から離れて一人で生活するようになっても、まるで親の呪われた悪霊にでも取り憑かれているかのように、魂が蝕まれたまま、出口のない閉塞感のなかで苦しんでいたのです。そして、親に根こそぎむしり取られた私の精神は、もがきながらも、やっとの事で、自分というものにたどり着くことが出来たのです。親から侵略されることのない、自分だけの世界があるんだということを、やっとの事で発見することが出来たのです。正常な人なら、幼い頃からずっと持っているであろうこの感覚を、三十の半ばになって、ようやく獲得することができたのです。

 この体験は、非常に印象深いものでしたが、その後で自分が変わったというようなことは、特にはありませんでした。しかし、今から振り返ってみますと、因果関係はよく分かりませんが、何となく、この体験が作用したのではないかと思われることがいくつかあります。その一つが、いつの間にか離人症的な感覚を持たなくなったということです。それまでは、時々、自分が自分でないような感覚、つまり自分の肉体や、自分の感じていることがまるで自分のものではないような、そんな嫌な感覚におそわれることがあったのですが、いつの間にかそういうことが無くなりました。それともう一つ、他人の存在とは何かという疑問を持たなくなりました。以前は、他人が存在するということの意味をまったく理解できていなかったのです。知識としては、他人というものが存在するのだということは理解しても、それが実感としてどういうものなのかということが、まったく理解できていなかったのです。それが、いつの間にかそういう疑問を持たなくなりました。これは、理解できるようになったというよりは、いつの間にか疑問を感じなくなったと言った方がいいでしょう。これらの変化には、他の要因も関係しているとは思いますが、自分の世界があるんだということを発見したことが、大きく作用しているのではないかと思います。あ、そうそう、もう一つあります。以前は「人間になりたい」という切実な思いを抱いていたのですが、これもいつの間にか無くなりました。自分の心が、余りにも人間離れしていると感じていたので、いつの日か「人間になりたい」と、絶望的なまでに切実な思いを抱いていたのです。これも、ほかの要因も関係しているとは思いますが、自分の世界があるんだと知ったことで、無意識のレベルでの問題が、徐々に解消していったのではないかと思います。今の私は、人間になれたというよりは、人間になりたいという願望を抱く必要がなくなった、と言ったような状態です。

 では、なぜこのようなことがある日突然体験できたのか、といいますと、抑圧されていた怒りの感情が、少しずつ発散されていくことで、ちょうど目の前に立ちこめていた濃い霧が晴れていくのと同じようなことが起こるのではないかと思います。憎しみを発散することで、憎しみの濃霧が少しずつ薄れていって、霧の彼方から、ひとつ、またひとつと、隠れていたものが姿を現してくるからではないかと思います。愛は盲目という諺がありますが、憎しみもまた盲目なのです。激しすぎて自分では消化できないような感情が、心の中に濃霧のように立ちこめていたのです。そして、私は視界を失ったまま、霧の中に道を求めて、人生の迷路をさまよい続けていたのです。

 精神分析の技法の中に、解釈という技法がありますが、これも同じように、霧の晴れてきたころを見計らって、ほらあそこに杉の木立があるよ、こっちの方には山小屋があるよ、と言ってやれば、患者はそちらの方角に目を凝らしてみて、霧の中から杉の木立や山小屋を発見することができるのです。しかし、まだ霧が濃く立ちこめている段階で、患者に対してああだこうだと言っても、患者にはまるでぴんとこなかったり、逆に、こんなところに山小屋があるはずがないじゃないかと、反発をくらったりします。ですので、感情のガス抜きがある程度進んだ段階で、山小屋の方角を示してやれば、患者は自分の力で自己洞察を得て、霧の中に山小屋を発見できるのです。自己分析においても同じことが言えます。感情のガス抜きが進むことによって、ある日、ある時、何かのきっかけで突然自己洞察が展開したりするのです。

 しかし、このような感情のガス抜きや、憎しみの発散というのは、なかなか容易なものではありません。ガスが抜けきるには多大な時間を必要とするのです。以前に書いた二つの体験談では、自分に劇的な変化が起こったと書きましたが、だからといって、それで憎しみから解放されたと言うわけではないのです。あのような劇的な体験も、いくつもある階段のうちの、一段にしか過ぎないのです。今回ここに書いた、自分だけの世界があるという発見も、これだけがすべてではなくて、その後も今現在に至るまで、たくさんの自己洞察が積み重ねられているのです。

 最後に、憎しみの感情を発散させることの危険性についても書いておきます。人によって、抑圧されている感情の種類も大きさも違いますが、巨大な憎しみが発散しきれずに、出口を見いだせなくなった攻撃性が、外に向かわずに自分自身に向かってしまったときには、精神的に窒息しそうな閉塞感にとらわれたり、うつ状態になったりするかもしれません。あるいは場合によっては、自傷行為に走ってしまうかもしれません。ですので、症状の重い人には、あまり憎しみの発散はおすすめできません。症状の重い人は自己分析するよりは、治療を受けた方がいいと思います。

 みなさんの中には、攻撃性を発散すると、抑圧されていた感情が解放されて、すっきりするのではないかと思われるかもしれません。たしかにそういう面はあります。しかし、発散することで逆に攻撃性に勢いがついてしまい、やたらとキレやすくなって、身の回りにトラブルが多発するという可能性も十分にあるのです。発散して解消するつもりだったのに、逆に暴走してしまうというパターンですね。我が身を振り返ってみますと、思い当たることがあります。みなさんも、注意してくださいね。




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