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私の分析体験 4

どもる人の治療と無意識の威力
  Ver 1.0 2001/01/17

 これは、私がちょっとふざけて、どもる人の「治療?」をしたときの体験談なのですが、私自身もそのときの印象が非常に強く残っていますし、無意識の力が、いかに強烈なものであるかということを知る上で、このケースが参考になるかと思いまして、ちょっと書いてみることにしました。

 その、どもる人というのは、まだ高校を卒業したばかりだったのですが、どもり方がひどくて、たとえば、「ぼっ、ぼっ、ぼっ、僕は、こっ、こっ、こっ、これを、」というような状態だったのです。何回か、彼と会うことがあったのですが、話の流れで、何となく彼の家族のことを聞いてみました。彼は一人っ子だったのですが、父親がかなり神経質な人で、書斎にこもって仕事をしているときには、家の中がピーンと張り詰めたような雰囲気になったそうで、母親と話をするときにも、話し声が仕事の邪魔になってはいけないということで、ヒソヒソ声で話をしていたのだそうです。

 こういう話を聞いたときに、私は、どもりの原因としてピンと来るものがあったのです。そして、同時に、ちょっとした「お遊び」が頭の中にひらめいたのです。彼はまだ世間知らずなので、だまそうと思えばだませるな、と思いまして、口からでまかせのハッタリを言ってみて、どもりの原因について探りを入れてみようと思ったのです。そこで、私は彼に向かって「実はオレは心理学について非常に詳しい。だから、どもりも治そうと思えば治すことができる」と、まあ、わざと偉そうな感じで言ってみたのです。

 そうすると、彼の方も、どもりで困っているので、治すことができるものなら、なんとかして治したいとのことでした。そこで、私はもったいぶった感じで、こう言ったのです。「どもりを治すには、その前に、『どもりのテスト』というのをやらなければならない。このテストというのは、最大限にどもったときに、どの程度のどもり具合になるのかを見るためのもので、どもりの治療をするためにはどうしても必要なのである」、と、まあ、こういう口から出まかせのハッタリを、重々しい口調で言ったのであります。もちろん、こんな「どもりのテスト」などというのは、全くの嘘なのですが、彼はだまされていることも知らずに、神妙な顔をして私の話を聞いていたのです。そこで、私は、手元にあった一枚の文章を彼に差し出して、「これを、可能な限り、最大限にどもって読んでみてくれ」と言ったのです。そして、読み始める前に、もう一度念を押すようにして、「いいか、最大限にどもって読むんだぞ」と言ったのです。

 精神療法に詳しい方であれば、私が何を企んでいるのか、もう察しがついているのではないでしょうか。そうなのです。彼が文章を読み始めますと、まさに、その、私の企んだ通りのことが起きたのです。彼はなんと、一言もどもらずに、まるで流れるようにスラスラと読み始めたのでありました。私は心の中でニンマリとしながらも、さらに追い打ちをかけるようにして、わざと派手に怒ったのです。手でテーブルをバーンと叩いて、「なんで、どもって読まないんだーっ!!」と大声で怒鳴ったのです。「オレが、せっかくお前のどもりを治してやろうとしているのに、これじゃ台無しじゃないか。いったい、どういうつもりなんだ!!」と言ってやったのです。

 この時の彼の表情は、今でもはっきりと覚えています。彼自身も、自分がどもらないで読んだことに、ひじょうに驚いていまして、いったい何が起きたのかさっぱり分からないといったふうに、さかんに首をひねっていたのですが、その口元は、どことなく嬉しそうにほころんでいたのです。おそらく、彼の頭の中はパニックになっていたことでしょう。なにしろ、子どものころからずっと悩み続けてきたどもりが、たった今、まるで嘘のように消えてしまったのです。しかも、私の指示に従って、可能な限りどもって読もうとしているのにもかかわらず、それとは反対に、一言もどもらないで読めてしまうのです。彼にしてみれば、何が何だか、さっぱり分からない状態だったことでしょう。

 私が、ふてくされたようにして、「どもりを治すつもりがあるのか」と、彼に問いただしますと、彼は治したいと言います。そこで、もう一度どもりのテストをやることにしました。そして、私は、再び「いいな、最大限にどもって読めよ」と、念を押したのです。そして、彼が読み始めますと、またもや一言もどもらずに、スラスラと流れるように読んでいくのです。今度は最後まで読ませようと思ったのですが、彼が読んでいる間中、ずっと演技のフォローを続けることにしました。私は、わざと大きな溜息をもらしたり、絶望的に頭を抱え込んでみたり、髪の毛を掻きむしってみたり、イライラしたようにボールペンでテーブルを叩いてみたり、メモ用紙を丸めて床に叩きつけてみたりしたのです。ちょっとわざとらしいかなー、などと思いつつも、私自身も面白がって、こういう大げさな演技をずっと続けたのであります。

 そして、彼は読み終えたのです。私は最初、どもらなで読むだろうな、ぐらいのことは予想していたのですが、まさか、ここまで完璧な読み方をするとは思っていませんでした。彼は、単にどもらなかっただけではなくて、完全無欠の読み方をしたのです。体操で言えば、十点満点の完全な演技です。アナウンサーでも、ときとして原稿を読むのにつっかえったりすることがあるというのに、彼は初めて見る文章を、一ヶ所のよどみもなく、流れるようにきれいに読み上げたのです。これには私も驚きました。

 「どもらないで、読めるじゃないか」。思わずそう言うと、彼はまたもや、訳が分からないといったふうに、さかんに首をひねりながらも、嬉しそうに口元をほころばせていたのです。そこで私は、なぜどもらないで読めたのかということを説明しました。

 それはつまり、こういうことなのです。彼は、どもりの問題を抱えることで、母親から関心を持ってもらおうとしていたのです。神経質な父親に支配された家庭の中で、自分の存在が無視されていると感じることが多かったのではないでしょうか。そこで、母親に自分をの方を振り向いてもらうための手段として、どもるという問題を発生させたのです。自分が困った問題を抱えることで、初めて母親が、親身になって自分のことを考えてくれたのです。ですから、母親が心配して、どもりを治そうとすればするほど、ますます症状が固定していったのではないかと思われます。

 それと同時に、どもるということは、自分のことをかまってくれなかった親に対する、ある種の抗議や、当てつけの意味もあるのです。つまり、親を困らせてやりたいのです。親を困らせて、心配させることが、彼にとっては、精一杯の親への反抗だったのです。

 そこで、私は、こういった彼の無意識的な力を利用しようと考えたのです。そして、もしかしたら、価値観が逆転した状況を作り出してやれば、症状が相殺されて、どもりが無くなるのではないかと考えたのです。つまり、普段とは逆の、必ずどもらなければならないような状況を作ってやれば、今度は、どもらないことによって、私を困らせようとするに違いないと考えたのです。そこで、どうやってそういう状況を作り出そうかということで、「どもりのテスト」というアイデアがひらめいたのです。ですから、どもりのテストでは、私が困れば困るほど、彼はスラスラと何の問題もなく読んでしまうのです。もちろん、このような心理的なプロセスというのは、彼自身も知らないような、無意識の世界で起きていることなのです。ですから、彼としては、何が起きたのかさっぱり分からないという状態なのです。

 こういった、一通りの説明を、彼にしたのですが、最初のうちはどもらずに相槌を打ちながら聞いていたのですが、説明の終わるころになると、「そっ、そっ、そうなんですか」といった具合に、あっという間に元に戻ってしまったのです。原因の説明をしただけで、どもりが治ってしまうなら、セラピストはいらなくなってしまいます。本格的にどもりを治すのであれば、両親に対する埋もれた感情を丹念に掘り起こしていかなければならないでしょうし、長期間のどもりによって、習慣化してしまった「どもり癖」も矯正していかなければならないでしょう。私は、セラピストではありませんので、そこまではフォローはできません。しかし、「お遊び」的にやってみたことなのですが、短時間の現象ではありましたが、ハッタリ通りに、間違いなく彼のどもりをに治したのであります。(^^;

 どもりの原因については、今から振り返ってみますと、あの説明だけでは不十分だと思います。何が抜けているのかというと、抑圧というメカニズムです。もし、彼が親に対して悪態をついたり、「なんでオレのことをかまってくれないんだ」と言って、暴れることができるような性格であれば、わざわざ「どもり」などという、手の込んだことをしなくてもいいのです。ストレートに自分の不満をぶつければいいのです。しかし、彼にはそれが出来ないのです。非常に神経質な家庭環境の中で、「いい子」になるように育てられた彼にとっては、親に刃向かうなどと言うことは、とんでもない恐ろしいことだったのです。ですので、そういうとんでもない願望は、意識されないように抑圧されてしまい、無意識の世界へと追いやられてしまったのです。そして、どもりという症状を作り出すことによって、いい子であり続けながら、同時に、無意識的な反抗心をも満たすという、まさに一石二鳥のことをやっていたのです。

 これと同じメカニズムは、夜尿症にも見られます。オネショをして、親に怒られることで、親から関心を持ってもらおうとするのです。これも、非常に屈折した行為なのです。たとえば、小学生や中学生になっているにもかかわらず、小便でぬれた布団を母親に見せなければならないというのは、本人にとっては、非常に恥ずかしいことなのです。しかし、母親から怒られたり、体に異常があるのではないかと心配されたりしているときに、そのときに、母親との間に、マゾヒズム的とも言えるような、一体感を味わったりするのです。もちろんこれは、無意識の世界のことであって、意識レベルでは、何とかして夜尿症を治したいと思っていますし、そのことでひどく悩んでいたりするのです。

 こういった夜尿症も、治すのは簡単です。価値観の逆転した状況を作ってやればいいのです。たとえば、布団とシーツの間に大きなビニールシートを敷いて、「さあ、好きなだけオネショしなさい」と言ってやればいいのです。子供としては、こんなことをされると、もう母親を困らせることもできませんし、母親から怒ってもらうこともできなくなってしまうのです。しかも、母親がまるでオネショすることを期待しているかのような、うれしそうな態度をとったりしますと、子供としては、逆にすっかりやる気をなくしてしまって、症状が消えてしまうのです。なぜかというと、自分に関心を持ってもらいたいとか、母親との間でマゾヒズム的な一体感を味わいたいとかいう、そういう本来の目的が達成できなくなってしまうのです。ですので、このような価値観の逆転した状況を作り出すことで、オネショという症状を消すことが出来るのです。しかし、症状は消えても、母子関係の歪みの問題は、依然として残っていますので、お母さんは、子どもとのコミュニケーションを十分に取るように心がけた方がいいでしょう。

 子ども側の原因だけを書きましたが、親の方にも問題があったりすると、ちょっと面倒なことになるかもしれません。子どもが問題を抱えるような方向へと、無意識的に誘導したり、あるいは、表面的には、子どもの問題を治そうとしているのに、実際には症状を長引かせるようなことをしていたりするのです。こういうケースでは、親子で「困った。困った」と言い合いながら、お互いに妙な一体感を味わっていたりするのです。こうなると、症状がそのまま固定化してしまうことになるのです。

 それにしても、無意識の威力というのは、ものすごいものだと思います。どもりの問題を抱えた彼は、人生に膨大な損失をおよぼすようなことを、自分自身でやっているのです。日常の生活に、多大な不自由を来たすにもかかわらず、無意識的な願望によって、人生を支配されているのです。本当にこれは、膨大な損失であります。しかし、我が身を振り返ってみれば、悟ったようなことばかり言ってはいられません。私の過去は、彼以上の膨大な損失で満ちているのです。無意識の世界に眠っている、訳の分からない衝動に操られて、長い間、暗黒の嵐の中をさまよい続けてきたのです。

 次回は、私自身の、出かけるときの確認強迫や、その他の強迫性障害について書いてみます。

追記
 価値観が逆転した状況を作り出して、症状を相殺してしまうというやり方は、境界例的な症状の場合には、危険が伴いますのでやらないでください。下手をすると、見捨てられ感を刺激してしまい、症状がさらに進んだり、自殺未遂をしたりする可能性があります。



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