私の分析体験 7 人間関係が混乱していた原因
2003年03月30日
前回の自己分析では、幼いころに社会的な場面で、母親から自立の妨害を受けていたことについて書きました。この自己分析によって、心のコブがひとつ取れて、今まで見えていなかったものが見えてきましたので、ある程度の時間がたってから、その後の経過について書こうと思っていたのですが、あの後で、さらにいろいろな進展がありましたので、ここらへんで区切りをつけて、この世には人間関係というものが存在するのだということを「発見」したことや、私が逸脱した行動をしてしまう原因などについて、これまでに分かったことを書いておこうと思いました。 前回書いたような自己発見によって、心の呪縛が少しずつとけて行くにしたがって、母親がしたことの影響力の大きさについて、あらためて思い知らされてしまうのです。よその人がいるときに、背後からお尻をつねられたり、テーブルの下からハエ叩きで膝をつつかれたりしたことを「虐待だ」などと言ったら、笑われてしまうでしょうし、母親自身も、遠い昔のささいな出来事など覚えてもいないでしょう。しかし、肉体的な虐待よりも、こういった、ちょっとした心理操作の方が、自分でも気付かない分だけ、ずっとたちが悪いのかも知れません。殴られたりしたことは覚えていても、お尻をつねられたことが、まさかこんなに大きな影響力を持っていたなんて、考えもしませんからね。私は、ほかのところにも書きましたように、父親から「お前なんか、うちの子ではない」と言われて、ゴミを捨てるように窓から外に投げ捨てられたことがあるのですが、そういった虐待的なことよりも、母親がした、ちょっとした心理操作の方が、はるかに大きなダメージを与えていたのです。 子供は成長するにしたがって自我が芽生えてきて、やがて自分を主張をするようになります。イヤなことは、はっきりと「イヤだ」と言うようになりますし、子供によっては人前で一人前の口を利くようにもなってきます。私の母親は、そういった正常な発達のプロセスに対して、過剰に反応してしまったのかも知れません。子供が自分から離れていって、自分が取り残されてしまうような不安があったのかもしれません。さらに、来客があったときなどに、子供がお客と一人前の口をきくようになると、それを生意気だと受け取ってしまったのかも知れません。それで、後ろからお尻をつねったり、テーブルの下からハエ叩きで膝をつついたりして妨害したのかもしれません。 こうやって、私は「あの感覚」を植え付けられて、第三者との関係から身を引くようになったのです。この影響のひとつとして、たとえば私が誰かと親密になっていったときに、どういうわけかこんな奇妙な考えが浮かんでくることがあるのです。「この人と親しくなると、この人が死んだときに、葬式に行かなければならない。それはイヤだ」というような考えが浮かんでくるのです。これは、一瞬のうちに消えてゆくだけの淡い感覚でしかありませんので、別に気にするほどのことでもないのですが、しかし、考えてみればこれは実に奇妙なことです。ちょっと親しくなって、個人的な関係ができそうになったときに、いきなりその人の葬式のことを考えてしまうのですから、これは明らかに変です。ですので、なぜこんな変な考えが浮かんでくるのだろうかと、今までに何回か自己分析をしてみたのです。たとえば、ケチだから香典を出したくないのだろうかとか、私の殺人願望が影響しているのかも知れないとか、いろいろいな原因を考えてみたのですが、どうも感覚的にピッタリと来ないのです。しかし、これも「あの感覚」が背後にあったのだと考えると、実にピッタリと来るのです。 葬式というのは、その人の親戚などが出席する社会的な場面なのです。そうなると、個人的な二人だけの関係だけに閉じこもっていることができずに、私は社会的な儀式の場に引きずり出されてしまうのです。すると、「あの感覚」、つまり、背後から母がお尻をつねるのではないか、という脅えに直面するのです。ですので、誰かと親密な関係になりそうになると、「あの感覚」を恐れる気持ちが過剰にはたらいて、はるか先の葬式のことまで考えて、不安になるのです。そして、葬式に出なければならなくなるような人間関係を避けようとするのです。こうやって、私は他人と親密な関係になることを恐れてしまい、ごく表面的な関係しか作ることができなくなってしまったのです。 しかし、私は「あの感覚」の呪縛から解き放されて、自分も第三者と関係を持ってもいいのだということが分かってからは、今まで見えていなかったものが次第に見えるようになってきたのです。前回の自己分析を書いたあとも、ずっと「関係を作ってもいいんだ」ということについて、繰り返し、繰り返し、考え続けていたのですが、その途中で、ふと、「この世には、人間関係というものが存在するんだ」ということが理解できたのです。これは、理解できたというよりも「発見」したと言った方がいいような、新鮮な驚きでした。もちろん、人間関係が存在するなどということは、当然のことながら、ずっと前から分かっているのですが、今初めてそのことを知ったような感覚があったのです。 そうすると、こういうのをイモズル式というのでしょうか、次々といろいろなことが見えてきたのです。この世には、人間関係というものがあって、私はその人間関係の中で生きているのだということ。そして、人間関係の中で生きているということは、私の存在というのは、お互いに関係し合う、相対的な存在なんだということです。こういうことが、少しずつ見えるようになってくると、ひょっとすると、私は今まで、ずいぶんと自己中心的な行動をしていたのではないだろうか、と思えてきたのです。いや、ひょっとしなくても、おそらくそうだったのでしょう。こういったことが、人間関係を通して自分を理解できるようになると、次第に見えてくるようになったのです。 そして、私が持っている人間関係というのは、私だけのものなんだということです。私の存在も、私だけのものであって、ほかの誰も取って代わることのできない存在なんだということです。そして、私の人間関係は、私の存在とともに発生して、私の消滅とともに消えてゆくものなのです。こういう感覚のことを、「唯一無二」の存在と言うのかも知れません。 なんだか、ずいぶんと大げさなことを書いているような気もしますが、考えてみれば、こういったことは、しごく当たり前のことではないかと思うのです。人間として正常な発達をしていけば、当然理解している感覚ではないかと思うのです。しかし、私は成長の過程で、親から心理的な操作をされたために、こういう感覚が発達しなかったのです。ここに私の人間関係が混乱していた原因があるのです。つまり、第三者と関係を持とうとすると親から妨害された。だから私は、自然と他人との関係を避けるようになっていった。その結果、人間関係というものに対する認識能力が低下していった。やがて私は、人間関係というものをほとんど認識することができなくなって、きわめて混沌とした精神状態に陥ってしまった……というわけなのです。 思い当たることはたくさんあります。「私は存在する」というページにも書きましたが、かつて私は、他人というものの存在がどういうものなのか、まったく理解できなかったことがあるのですが、その原因もここにあったのです。私は、第三者の存在というものを理解できないほどに、認識能力が低下していたのです。いわば、人間関係というものが見えない状態だったのです。 たとえば、目の不自由な人が、品物がたくさん置いてある部屋の中を前に進もうとすると、周りが見えないためにあちこちにぶつかったりするのと同じように、私は人間関係というものがほとんど見えていない状態だったので、あちこちで周りの人とぶつかっていたのです。他の人から見れば、私の行動は、周囲の状況を無視した乱暴な行動に見えたことでしょうが、私としては、見えていないのだという、そのことさえも認識できないような状態でしたので、自分の意識としては、ごく普通のことをしているつもりだったのです。そして、周りの物にぶつかったり、ひっくり返したりしながら歩き回っていたのです。しかし、そんな私でも、ほかの人と比べてみると、どうもぶつかることが多いような気がしますし、ほかの人と行動パターンが違うようだ、という程度のことは認識できたのです。 こんな状態ですので、なにかにつまずいても、いったい何につまずいたのかということさえ、うまく理解することができなかったのです。見えていれば、たとえば、あそこに置いてあるゴミ箱につまずいたんだということが分かりますから、その次からはゴミ箱をよけて通ることもできますし、ゴミ箱を脇に移動させることもできますし、あるいは狙いを定めて、ゴミ箱を思いっきり蹴っ飛ばしてやることもできるのです。見えていれば、こんなふうにいろいろな選択肢が生まれてくるのです。しかし、人間関係に対する認識能力が極端に低下していて、ほとんど見えないような状態でしたので、何がどうなっているのかさっぱり分かりませんので、ぶつかった原因を他人のせいにしながら、あてもなくさまよい続けるという、非常に混沌とした状態だったのです。 私は前回の自己分析で書いたように、人間関係に対する呪縛が解けたことによって、時間の経過とともに、こういったことが少しず見えるようになって来たのです。しかし、だからといって、急に人間関係がうまく行くようになるというものではありません。人間関係というのは学習による部分が多いので、私は幼い子供のころに戻って、もう一度人間関係というものを最初から学び直そうとしているところなのです。私はやっと、そのスタートラインに立つことができたのです。ですので、まだ失敗もやらかすでしょう。しかし、周りが見えていてつまずくのと、周りがまったく見えなくてつまずくのでは、表面的には似ていても、本質的にはまったく違うのです。 人間関係が見えるようになったとはいっても、たとえば、冬の朝に、障子戸をちょっとだけ開けて、「おーっ、雪が積もってるー」と言ってはしゃいでいるのと同じ程度のものかもしれません。こんなふうに、まだまだ視界が狭い状態かもしれませんが、いろいろな状況に応じて、そのつど自分を見つめていけば、少しずつ視界も広がっていくでしょう。さて次回は、私が無意識的にやっていた、人間関係の操作について書きます。 ホーム > 回復のための方法論 > 私の分析体験 7 前へ| 次へ 【 境界例と自己愛の障害からの回復 】 |