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夢分析4

キレる原因に関する夢と転移
    2001年11月15日  ver1.0

 この夢は、非常に短い夢ですが、私の人生を支配している感情について、たくさんのことを教えてくれました。

夢の内容
 首相官邸で、記者会見が行われていました。記者たちが大勢いたのですが、記者会見をしているのは日本の首相ではなくて、アメリカのレーガン大統領でした。私は激怒して、記者たちに向かって「バカヤロー」と、大声で怒鳴ろうとしたのですが、思うように大きな声が出ません。記者たちも、私には無関心で、ほとんど誰も振り向いてくれませんでした。私は、さらに大きな声を出そうとしてもがきながら、そのまま目が覚めてしまいました。

 目が覚めたときは、少し呼吸が乱れていました。そして、激しい憤りの感情が渦巻いていたのです。このような激しい感情のともなう夢というのは、非常に重要な意味を持っていますので、さっそく夢分析にかかりました。夢の分析というのは、自由連想が思うように展開しないことも多いのですが、この夢はすぐに連想が展開して行って、背後に隠された、重要な意味が明らかになっていったのです。

 この夢には、いくつかの不自然な点があるのですが、不自然であるということは、そこに何らかの意味があるのではないかと思いまして、その不自然な部分に注目してみました。まず、記者たちがいるのは、テレビなどでよく見る首相官邸の、記者会見が行われる場所です。そして、記者たちも当然日本人なのですが、どういうわけか、そこで会見をしているのは日本の首相ではなくて、アメリカの大統領なのです。しかも、この夢を見たのは、任期が終わりに近づいたクリントン大統領のころだったのですが、夢に出てきたのはクリントン大統領ではなくて、もっと前のレーガン大統領です。と言うことは、なにかレーガン大統領というものに、私自身の無意識的な何かが表現されているのではないだろうかと推測しました。そこで、まず最初にレーガン大統領について、連想を展開してみたのです。

 私にとっては、レーガン大統領という人は、当時の勢いのあった日本の経済力に対抗するために、知的所有権、つまり特許の問題で攻勢をかけてきた人、というのがまず第一印象としてありました。これは、レーガン大統領のころに、私がたまたま特許関係の仕事をしていたこととも関係しています。ここで連想が、レーガン大統領、→特許、というふうに展開しますと、すぐにピンとくるものがありました。それは、この夢の前日に読んだ新聞記事のことでした。その記事によりますと、アメリカでは、人間の遺伝子に関する特許を広く認めるとことになったということでした。この記事をを読んだときに、私は強い不快感を覚えたのでした。なぜならば、人類の共有の財産であるべき人間の遺伝子を、アメリカは優位な立場を利用して、すべてを特許でおさえて、利権を独り占めにしようとしているからです。このようなアメリカの卑劣なやり方に、新聞記事を読んでいて、非常に腹が立ったのです。

 これで自由連想が、レーガン大統領、→特許、→独り占め、と展開しました。そこで次に、日本人の記者というのは何なのかと考えてみました。本来なら首相官邸にいる記者たちは、日本の首相を取材するべきなのに、彼らが取材しているのは、「独り占め」を意味するレーガン大統領です。つまり大統領は、記者たちの関心をすべて独り占めにしているのです。そして、その記者たちは、私が怒り狂っても、誰も振り向こうともしないのです。

 この奇妙な記者会見は、いったい何を意味しているのだろうかと思いまして、さらに連想を広げてみましたところ、ふと、子供のころの食卓の光景が浮かんできたのです。そのころ父は、仕事の関係で、たまにしか家に帰ってきませんでした。父がいない間は、内弁慶の私が、家族の関心を独り占めにしていたのです。ところが父が帰ってくると、私の存在はすっかり忘れ去られてしまい、父が家族の関心を独り占めするのです。そして、食事の時に、普段私が座っている場所に父が座るのです。つまり、食事(記者会見)のときに、記者(家族の者)たちの関心を独り占めにしているのは、日本の首相(私)ではなくて、レーガン大統領(父)なのです。そして、私が激怒して怒鳴っている場所は、父の右側、つまり父がいるときに私が座る場所だったのです。

 このように自由連想が展開していきますと、夢の中に出てきた記者会見の光景と、子供のころの食卓の光景が、あまりにも見事に一致するので、自分でも驚いてしまいました。しかし、子供のころを振り返ってみても、食事の時にキレて怒り狂ったという記憶はありません。父の右横で、おとなしく食事をとっていたというようなことしか思い出さないのです。これはどういうことなのでしょうか。もしかしたら、この食卓の光景の周辺に、いままで自分でも気付かなかったような感情が埋もれているのかもしれません。そこで、食卓の光景の周辺を洗い出してみることにしたのです。

 まず両親のことですが、私がまだ幼かったころ、父はたまにしか家に帰ってこなかったので、私は父のことを、よその人だと思っていました。ですから、記者会見の夢の中では、父が外国の大統領として表現されたのだと思います。その、よそ者の父が不在の時は、私は家族の中で中心的な位置を占めていたのです。母も、父がいない間は寂しい思いをしていたのでしょう。私を夫の代用品として利用していたのです。そして、夫への不満を、私にぶつけていました。私はよく母の愚痴を聞かされました。父はたまに帰ってきても、非常に酒癖が悪くて、酔っぱらっては母とケンカしたり、殴ったりすることもよくあったようです。私が、そういう母の愚痴の聞き役となっているときは、私と母との間には、妙な一体感がありました。もしかしたら、まだ幼かった私には理解できないような、性的な雰囲気もあったかもしれません。母は、まだ若かったので、当然のことながら、性的な不満も抱いていたのではないかと思うのです。ですから、母は心の寂しさや、性的な寂しさを、知らず知らずのうちに私の方に向けていたのでしょう。こういう時の私は、母との一体感に浸れると同時に、なにかしら息苦しさも感じていました。子供の私にとっては、大人の女性を支えるには、あまりにも荷が重すぎるように思えたのです。かと思うと、母は私が話を聞いていようが聞いていまいが、そんなこととはまったく関係なく、自分の話に夢中になってしまうこともありました。そういうときは、私は母に利用されているという感覚を持ったのです。

 このような母との妙な一体感は、父が帰宅するとたちまち崩れ去ってしまうのです。父から、帰宅するという連絡が入ると、母の態度が明らかに変わるのです。いままで、私にさんざん愚痴をこぼしていたのに、その父がもうじき帰ってくるとなると、もうルンルンな状態になってしまうのです。そして、父のためにご馳走を作るべく、いそいそと料理に励むのです。これは、私にとっては許し難い裏切り行為でした。もう母の眼中には、私という存在は消え去っているのです。そして、いよいよ父が帰ってくると、母だけではなくて、祖父や祖母の関心も、父の方に向かってしまうのです。そして、ご馳走が並んだ食卓の場面になるのです。そのご馳走というのは、私のために用意されたご馳走ではなくて、すべて父のために用意されたご馳走です。普段は割と簡素な食事をしていた私は、屈折した気持ちを抱いていました。それは、食卓に並んだご馳走のような、「物質的な豊かさ」に対する否定的な感情です。こんな欺瞞に満ちた豊かさよりも、私にとっては、質素で貧しい食卓のほうが、母との一体感に繋がるのです。私の貧しさへの執着や、豊かさに対する違和感は、こういうところに原点があるのかもしれません。

 父が家にいる間は、家庭内の人間関係は父を中心に動くようになります。そして、母に裏切られた私は、国を追放された国王のような寂しさを味わったのです。そして、家族の注目を一身に浴びている父への激しい嫉妬や、私を裏切った母や祖父母への激しい怒りを抱いたのです。

 なにがきっかけだったのかは分かりませんが、父からゴミのように投げ捨てられたことがありました。おそらく酒の勢いもあったのかもしれませんが、「お前なんか、うちの子じゃない」と言って、私の襟首をつかむと、窓から外へ放り投げたのです。私は、戸外の暗闇の中で、雪に埋もれながら大声で泣き叫んでいました。しかし、無情にも父は、窓をピシャリと閉めてしまったのです。私は、窓の明かりを見つめながら、いつまでも泣き続けていました。雪で手足が冷えてきて、体が寒くなってきても、私は暖かい窓の明かりを見つめながら、泣き叫んでいたのです。

 こんな父親ではあっても、休みが終われば完全に姿を消すのです。そして、家の中では、再び私を中心とした世界が戻ってくるのです。このようにして私は、わがままな王様のような世界と、突然無視されて存在を忘れられたような世界と、その両極端な二つの世界の間を行ったり来たりしていたのです。そして、父がいないときは、私を裏切った母や祖父母らに囲まれて、彼らへの強い不信感を抱きながらも、歪んだ自己愛をはぐくんでいったのです。

 このように食卓の場面について連想を広げていくと、いろいろなことが思い出されます。たとえば幼いころに、なにが原因だったのか覚えていませんが、私が「こんなもの食えるか」と言ってコップを床に叩きつけたことがありました。すると、怒った祖父が、恐ろしい形相で迫ってきて、私の頭を思いっきり殴ったこともありました。

 ほかにも、細かいいきさつを書くと長くなるので省略しますが、小学生のころのことです。夕食の食卓を囲んでいるときに、修学旅行で買ってきたお土産を私が自慢げに話していたら、とつぜん家族全員から、まるで人民裁判のような吊し上げを食らったことがありました。まるで、リンチを受けているような、悲惨な状態になったのです。私としては、買ってきたお土産を、みんなから褒めてもらいたかったのですが、おそらく、そのときの私は舞い上がったような感じだったのでしょう。私の行動は裏目に出てしまい、家族全員から糾弾される羽目になったのです。舞い上がった状態から、突然、地獄の底に突き落とされたような感じでした。

 たしかに、私はみんなから振り向いてもらいたかったのです。みんなから、存在を認めてもらいたかった。みんなから関心を持ってもらいたかった。そして、みんなから、褒めてもらいたかったのです。しかし、私はなにをやっても、すべてが裏目に出てしまうのです。もがけばもがくほど、逆の結果を招いてしまうのです。そして、私は惨めな敗北感を味わうことになるのです。しかし、それでも私は我を通そうとしていました。目立つような行動をとることで、みんなから振り向いてもらおうとしていたのです。

 小学生のころは、学芸会というと、劇ではいつも私が主役をやっていました。しかし、その一方で、ほかの目立つ人に対しては、激しい嫉妬を抱くこともありました。クラスの人気者のような人に対して、露骨な嫌悪感をぶちまけて、激しくののしったことがあったのです。その場にいた人たちは、私のあまりの汚い言葉にみんなびっくりしていました。しかし、このような私の行動も、「記者会見の夢」を通して振り返ってみますと、なんとなく理解できるのです。

 私は、このような目立つ行動をとることもあれば、逆に見捨てられた敗北感に打ちひしがれて、絶望的になることもありました。見捨てられたときは、自分の存在が消えたような気持ちになってしまうのです。そこで、自分を取り戻そうとしていろいろな行動を起こすのです。国を追われた国王が、再び政権を奪い取るためにクーデターを画策するようなものです。私は反逆者であり、愛情を求める傷ついたテロリストだったのです。そして、自分を中心とした世界を実現しようとして、はかない夢を追い続けていたのです。現実にはかなうはずのない、歪んだ自己愛の世界を求め続けていたのです。

 こんな風に、過去のいろいろな出来事を振り返ってみますと、なんとなく、私はずっと同じことを繰り返していたような気がしてきました。人生のたくさんの出来事が、すべて幼いころの「食卓の光景」の繰り返しのように思えてきたのです。そして、人生のさまざまな場面で、ちょうど「記者会見の夢」のように、キレて、怒りをぶちまけることを繰り返していたような気がしてきたのです。そう思ったとき、ふと私の心の中に、精神分析用語である「転移」という言葉が浮かんできました。

 転移というのは、自分にとって重要な意味を持っていた人に対して抱いたことのある感情が、そのまま現在の人間関係の中で再現されることを言います。本人としては、この感情は今現在の真実の感情であると、そう思い込んでいるのですが、実際には過去の感情がそのまま再現されているだけなのです。こういった転移というのは、患者とセラピストとの間にも発生しますので、精神分析では、このような転移に対する自己洞察を促して、治療に役立てたりするのです。

 私は自分の過去を、「記者会見の夢」というフィルターを通して眺めてみたときに、初めてこのような転移という存在に気付いたのです。夢の中で記者たちに向かって怒鳴っているのと同じような出来事が、私の人生において幾度となく繰り返されてきたのです。それは、幼いころの食卓の光景の再現でもあったのです。そして、今現在の人間関係においても、記者会見の場面や、幼いころの食卓の光景がだぶってきて、同じような反応を繰り返してしまうのです。つまり、自分でも気付かないうちに、転移というものが発生していて、「現在」が「過去の体験」と直結していたのです。幼いころの感情体験が、そのまま人生の重要な場面で、繰り返し再現されていたのです。

 このようにして、転移という視点から、過去を振り返ってみたときに、ふと自分が幼いころに戻ったような、なにかしら懐かしいような感覚がわいてきたのです。この感覚は、今の自分が、そのまま子供のころの自分にタイムスリップしたかのような、不思議な感覚でした。まるで、自分が今、あのころの食卓の席に着いているような、そんな「錯覚」のような奇妙な感覚を覚えたのです。

 転移というものについては、十分知っているつもりだったのですが、知ってはいても、理解はしていなかったのです。実際に自分で体験してみて、はじめて、「ああ、こういうものなのか」ということが分かったのです。ここに書いたような過去の出来事にしても、今までに振り返ったことのある出来事ばかりなのですが、「記者会見の夢」というフィルターを通して振り返ってみると、今まで見えていなかったようなものが見えてきたのです。そして、それらの出来事が、すべて食卓の光景の繰り返しだったことに、このとき初めて気が付いたのです。

 この食卓の光景について、さらに分かったことは、私は怒りを爆発させることであらゆる問題を解決してきたということです。自分が見捨てられて惨めな思いをするよりは、自分の方から先に相手を見捨てるのです。そして、私を見捨てようとする相手に怒りを爆発させるのです。ずっとこのやり方を繰り返してきたのです。こうすることで、惨めな自分や、誰からも振り向いてもらえない寂しさなどから、目を背けていたのです。このようなやり方は、さらに攻撃性を万能視することになってしまいますので、キレやすさがひとつの行動パターンとして定着して行ったのです。そして、見捨てられたような状況に対する心理的な耐性や、対応能力がきわめて低いまま、現在まで来てしまったのです。

 このように自己分析を進めてきましたが、記者会見の夢や、食卓の光景の周辺には、ここには書ききれないような、たくさんの転移が埋もれていて、これを書いている今も、この周辺の洗い出しは続いています。そして、どうやらこの転移は、入れ子構造になっていて、もっと深いところに別の転移があるようなのです。と言うわけで、この夢の分析はまだまだ途中なのです。

 みなさんの中には、同じような行動パターンを繰り返している自分に気付いて、何の進歩もない自分に失望したりする人もいるのではないかと思います。しかし、これは見方を変えてみれば、同じような行動パターンを繰り返すということは、そうさせる「何か」があるわけですので、そういう自分に気付いたということは、自己分析の視点から言えば、自分知るためのきっかけが見つかったことになるわけです。ですので、失望するのではなくて、喜ぶべきことなのです。何の進歩もない自分に、自己嫌悪に陥るのではなくて、その背後にあるものを見つめるべきなのです。とは言っても、そう簡単に原因が見つかるというものでもないですが、自分を見つめながら、自由連想の翼を広げていけば、もしかしたらそこに、過去と現在の時間を直結しているパイプ、つまり時空を超えた、あなた自身の「転移」を見いだすことが出来るかもしれません。




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