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境界例の治療技法 3

患者からの「試し」と治療枠の維持
  Ver 1.0 2000/03/07

 境界例の人は、常に見捨てられるのではないかという不安を潜在的に持っているため、人を見るときに、この人は見捨てる人かどうかという視点から見ることになります。それと同時に、境界例の人は自分のすべてを理解して受け入れてもらいたいという願望も持っています。これは、乳幼児期からの不適切な育てられ方によって、赤ん坊のように世話をしてもらいたいという願望がくすぶっているからなのですが、そういう社会的にはとても受け入れられないような願望を表現することは、拒絶されるという不安が付きまといますので、相手の顔色をうかがいながら、少しずつそういう欲求を出していきます。

 このようなことは治療場面についても言えることで、最初の面接での出会いの瞬間から始まっているのです。そして、患者はセラピストを疑いの目で見るだけではなくて、セラピストが自分を見捨てるかどうか、あるいは自分をどこまで受け入れてくれるだろうかということを実際に試すのです。これが境界例の持っている厄介な特徴の一つなのです。治療を進めていく上で、信頼関係が大切であるということは前回書きましたが、境界例の場合には、このような患者からの「試し」によって、不安定な関係が長く続くこととなり、これが治療の中断が発生しやすい原因ともなっているのです。セラピストは患者に対して、決して自分からは見捨てたりしないんだという保証を与えて安心させてやる必要がありますが、治療の最中に患者が仕掛けてくる巧妙な「試し」(testing)によって、見捨てるかどうかということが常に試されるのです。また、この試しは同時にセラピストとしての資質や能力が、文字通り「試される」ことでもあるのです。

 このような患者の仕掛けてくる「試し」とは、具体的には治療契約で決めた治療の枠組みに対して、揺さぶりをかけるという形で出てきたりします。たとえば、治療時間の終了が近づいたころになって、急に治療の進展が見られたり、あるいは患者が突然重要な問題を話し始めたりすることがあります。そのときのセラピストの心境としては、あと十分か二十分くらい治療時間を延長すれば、もしかしたら新しい展開があるかもしれないという思いにかられます。しかし、患者に話を続けさせていると、治療契約で決めた「時間」という枠組みを、セラピスト自身が破ってしまうことになります。かといって、ここで時間になったからと言って、せっかく調子の出てきた患者の話を機械的に中断してしまうというのも、なにか人間的に冷酷なような気もします。そこで、ズルズルと患者の話を聞き続けたりしますと、治療時間の方もどんどん延びていきます。一度このようなことがありますと、さらに次回の面接の時にも同じように治療時間の終わりが近づいたころに重大な問題が持ち出されて、ふたたび治療時間がオーバーしてしまいます。このようにして治療時間の枠組みがいつの間にかルーズなものになってしまい、セラピストは、自分では気付かないうちに患者によってコントロールされた状態となるのです。つまり、患者からの「このセラピストは、どこまで自分のわがままを許してくれるだろうか」という、患者から仕掛けられたワナにはまってしまっているのです。終了時間が近づくと重要な問題を持ち出すということの本当の意味は、少しでも長くセラピストを独り占めにしていたいということなのです。患者はセラピストの心の隙を読み取って、母子密着と同じような状態を作り出そうとしているのです。そして、セラピストが患者のワナにはまってしまい、自ら治療枠を踏み外してしまっては、もはや治療どころではなくなってしまい、患者に振り回されることになるのです。

 このような治療枠への揺さぶりの最たるものは、患者からかかってくる自宅への電話攻勢でしょう。治療契約の時に電話に関するルールをきちんと決めておいて、もし患者がルールを破ったりすると治療を中断するというようなことを、はっきりと伝えておいた方がいいのですが、もし、セラピストがあいまいな態度を取ったり、あるいは境界例についてよく知らなくて、心に隙があったりすると、後で大変なことになったりするのです。セラピストによっては、自宅の電話番号を教えないケースもあれば、自殺企図などの緊急の場合に備えて電話番号を教えるケースもあります。これはセラピストの考え方や患者の症状によっていろいろなケースがあるでしょう。しかし、境界例の患者の中には、時として電話番号を知らなくても、ありとあらゆる手段を使って、セラピストの自宅の電話番号を調べたりすることもあるのです。そして、患者の不安がつのってくる真夜中になったころに「これから死にます」というような、自殺をほのめかす電話をかけてくるのです。これは大変だということで、自殺を思いとどまるように長々と説得したり、あるいは不安をなだめてやったりしますと、その後で同じような内容の電話が深夜に頻繁に繰り返されることになるのです。こうなると、セラピストは寝不足になって、心身ともに消耗してしまい、もはや治療どころではなくなっていきます。そして、自分の私生活に侵入してくる患者に対して、敵意や憎悪を抱くようになっていくのです。最後には、こんな患者はもう面倒見切れないということで、患者を見捨ててしまう事態にもなってしまうのです。このようなことにならないようにするためにも、最初にルールをきちんと決めておいて、もし患者がそのルールを破るようならば、毅然とした態度で臨む必要があるのです。このような患者に対する毅然とした態度は、ただ単にセラピストの生活を守るというだけではなくて、結果的には患者を守ることにもつながるのです。

 枠組みへの揺さぶりは、セラピストという役割に対しても行なわれます。分かりやすいのが、患者からの愛の告白や性的な誘惑でしょう。これはあからさまな形で行なわれることもあれば、巧妙な形で行なわれることもあります。たとえば患者が、自分は愛情というものを知らないし、人との触れ合いというものを知らないので、ほんの少しでいいから、自分の手を握ってくれないかと言ってきたりします。一見もっともなように思えますので、手を握ってやりますと、患者はそのことに感謝して、今度は背中を撫でて欲しいとか、軽く抱いて欲しいとか、セラピストの出方を見ながら徐々に要求をエスカレートさせていきます。あとになって、セラピストが、これではいけないと気付いたときにはもう遅いのです。

 時には、患者があからさまに愛を告白したり、あるいは治療を進めていく過程で、急に服装が誘惑的なものに変わってきたりすることもあります。まれには、患者からストレートにセックスへの誘いがあることもあるのです。たとえば魅力的な女性患者から「私という人間を理解していただくために、私とセックスをしていただきたいのですが……」などと言われたりしますと、未熟なセラピストなどは、そう言われてみればその通りかもしれないなどと思い、ふらふらと患者の誘惑に乗ってしまうかもしれません。しかし、これは絶対にやってはいけないことなのです。セラピストがセラピストとしての役割を遂行するためには、その役割を逸脱するような誘いに対して、毅然とした態度で臨まなければなりません。患者からの誘惑を、セラピストがはっきりと拒否したりしますと、患者はそれこそ本気でセラピストを誘惑していますので、拒絶に対して激しく非難したりするのですが、あとになって症状が回復して精神的な自立ができるようになってくると、「あのとき、先生が毅然とした態度を取ってくれたおかげで本当に助かりました」というように、最終的には患者から感謝されることになるのです。このようなことは、実際にいくつもの事例で示されていることなのです。

 このような、枠組みへの揺さぶりは、後で書きますが「逆転移」と呼ばれるセラピスト自身の心の問題とも絡んできます。たとえば、患者から頻繁にかかってくる自殺予告の電話を、周囲の人に自慢気に話したりするセラピストもいるのです。これはセラピスト自身の自己愛の障害が患者にうまく利用されて、振り回されているだけのことなのです。ですから、治療の枠組みを患者に守らせるのも大切ですが、セラピスト自身も治療の枠組みを逸脱しないように十分注意しなければなりません。

 さて、ここまで治療の枠組みを守ることが大切だと書いてきましたが、少し見方を変えてみれば、枠組みを破壊しようとするからこそ境界例なのだというふうにも言えるのです。ちょっとルールを破ったからと言って、それだけで直ちに治療を中断していたのでは治療にはなりませんし、そんなことをしたのでは患者を見捨てることになるではないか、というふうに考えることもできるのです。だからといって、ものわかりのいいセラピストを演じていますと、さきほど書きましたように、患者に振り回される危険性が大きくなってくるのです。そして、手に負えなくなった患者をやがて憎むようになり、最初は助けるつもりだったはずの患者を、最後には見捨ててしまうという、まさに未熟なセラピストの陥りがちな最悪の結末を迎えることになってしまいます。ですから、最初にルールをきちんと決めておいて、それを毅然とした態度で守った方がいいのですが、この辺の兼ね合いは、それぞれのセラピストの考え方や経験、あるいは患者の状態などによっていろいろではないかと思います。セラピストによっては、患者との電話や手紙でのやりとりをうまく使って治療を成功させている人もいるのです。

 いずれにせよ、最低限の枠組みを守るのに必要なことは、セラピストの毅然とした態度です。口先だけで患者にあーだこーだと言っても、患者はセラピストの態度から心の隙を見抜いているのです。患者がセラピストの欠点や弱点を見抜く洞察力たるや相当のものがあり、ベテランのセラピストでさえも「恐ろしい」と言うほどに鋭いことがあるのです。ですから、患者を支えていくには、セラピスト自身が精神的に自立していないと、患者から容易に弱点を突かれてしまい、振り回されることになってしまうのです。そして、いつの間にか患者の巻き込みに飲み込まれてしまい、かつて患者の母親が患者の自立を妨害した時と同じように、セラピストがいつの間にか悪い母親の役割を演じさせられてしまうのです。

 これは、患者との距離の取り方とも関係してきますが、治療を失敗させないためには、患者から一歩距離を置いた、あくまでも中立的な立場からの支持的な態度が必要なのです。これは、患者の自立を促す「良い母親」の役割を演じることでもあります。具体的に言えば、治療時間が終わりになったら、患者との会話が盛り上がっていても、ルール通りに、決められた時間で治療を終了した方がいいのです。たとえ患者から非難されたとしても、このようなセラピストの毅然とした態度こそが、結果的には患者の精神的な自立を促すことになるのです。

 このような、枠組みをこわそうとする行動を防ぎ、枠組みを守ることも大切でありますが、なぜ患者がそういうことをするのかということへの分析ももちろん大切です。たとえば、女性の患者がスカートの裾が乱れて下着が見えそうになっていても、本人はそのことに無頓着だったりすることがあります。なぜ無頓着なのか、なぜそういう形で性的な誘惑を仕掛けようとするのか、こういった行動の背後にあるのは何か、というふうに問題を突きつめていけば、いろいろな埋もれている感情が表面化することでしょう。たとえば、患者によっては、背後に父親への近親相姦願望があって、それが患者にとって父親を意味しているセラピストを誘惑する、という形で表現されることもあるのです。

 あるいは、患者がたびたび遅刻を繰り返すとき、なぜ遅刻を繰り返すのかということを分析してみる必要があるでしょう。もしかしたら、患者が幼いころに母親に叱られてばかりいて、しかも、叱られることでしか母親との一体感が得られなくて、そのことがそのままセラピストとの関係において再現されているのかもしれません。患者の行動にはそれぞれ意味があり、原因があるのです。ですから、治療枠の維持と同時に、患者と一緒にその行動の背後にあるものを探っていく必要があるのです。

 次に、入院して治療を行なう場合について見てみましょう。

追記:
 治療の枠組みは、上記の他にもセラピストに対して暴力をふるわないこととか、治療中に自傷行為や自殺企図を行なわないこと、などがあります。どういう枠組みを設定するかはセラピストの考え方や患者の状態によっていろいろです。
 また、最初からずっと同じ枠組みを貫くのではなくて、患者の症状の変化に応じて、その都度話し合って枠組みの設定を変えていったりもします。
 試しの期間とは、患者が行動化をコントロールできるようになり、セラピストとの間に治療同盟が形成されるようになるまでの間のことを言います。


【参考文献】
「BPDの精神療法」 成田善弘
  収録:精神医学レビュー20 「境界パーソナリティ障害(BPD)」 1996.9.20 \2,800
「境界例・重症例の心理臨床」
  中山康裕・河合俊雄 編集 金子書房 1998.12.15 \4,000
「境界例の精神療法」 福島章 編 金剛出版 1992.10 \3,000
「ありがちな心理療法の失敗例101」
  リチャード・C・ロバティエロ 他 星和書店 1995.9.28 \3,340
「セックスの邪魔をするやっかいな記憶たち」
  ジョセフ・グレンマン 白揚社 1996.5.25 \2500
「青年期境界例の治療」 ジェームス・F・マスターソン 金剛出版 1979.7 \7,800
「境界例と自己愛の障害」 井上果子/松井豊 サイエンス社 1998.12.25 \1,400
「精神分析的心理療法の手引き」 鑪幹八郎 監修 誠心書房 1998.5.10 \3,200



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