9月1日追加分(11語)
コギト エルゴ スム
ラテン語で「我思う、故に我あり」という意味。哲学者のデカルトが、あらゆるものを疑っていったとき、最後に疑いきれないものとして、疑っている私自身というものが存在している、ということに気付いたんですね。でも、そう言われてもねぇ。こういうことは、知的に理解するよりも、最後には感覚的なものに依存するような気がします。→「私は存在する」(私の分析体験)
レーゾン・デートル
フランス語で「存在理由」という意味。私のレーゾン・デートルって、何?
トマソン
巨人軍の四番バッターであるにもかかわらず、ぜんぜん打てなかったトマソン選手の名前にちなんで、存在しているにもかかわらず、まったく役に立たなくなった不動産に付随する物件を、芸術的な視点からとらえて、これをトマソンと呼ぶようになりました。たとえば家を改築して、玄関が壁でふさがれたにもかかわらず、そこに残されたままになっている玄関の外階段。これがトマソンなのです。もはや階段としての機能を失って、まったく無意味な存在になっているのですが、この無意味さには妙な味わいがあり、超芸術であるとする考え方なのです。あなたの存在も、トマソン化して、超芸術になっていませんか。
トマソン系のサイト→トマソン・トーキョー
メランコリー
憂うつ、あるいは悲哀という意味ですが、一般的には、暗く沈んだ物憂い気分を表す言葉として使われます。ルネッサンス以降、芸術や哲学などでメランコリーがテーマとして取り上げられるようになりましたので、憂うつと言わずに、メランコリーと言うと、知的で、文学的で、ちょっと格好付けたような感じになります。
倦怠感(けんたいかん)
「倦」という字は、飽きるという意味。「怠」は怠けるという意味です。退屈で、あきあきして、だるくて、気力が低下してしまった感じのことを言います。夫婦生活においても、結婚の情熱も冷めて、相手に飽きてくるような時期を倦怠期と言います。
アンニュイ
フランス語で、倦怠感のことを言います。退屈な日常生活にあきあきして、なんにもする気がしなくなったような状態のことです。「いま、アンニュイなんだ」なんて、ね。
ニヒリズム
虚無主義という意味で、ニヒリストは虚無主義者。この世は虚無感に満ちていて、すべての存在が無意味なのです。そして、この虚無感は、まるでブラックホールのように、すべての意味を吸い取っていくのです。この虚無感に堪えて生きていくには、クールに割り切っていないと出来ません。
生きる意味だって? そんなものに意味なんて無いさ。自殺する意味だって? そんなものに意味なんて無いさ。なんで餃子を食べながらこんな文章を書いているのかだって? 意味なんてなんにも無いさ。
デカダンス
フランス語で、衰退、退廃など意味です。虚無的で、道徳的に腐敗した不健康な精神状態のことを言います。詩人のボードレールのように、このような、退廃的で破滅的な生き方を美学としてとらえようとする人たちが出てきて、デカダン派と呼ばれました。ボードレールの詩集「悪の華」なんかはその代表です。
エピキュリアン
快楽主義者のこと。哲学者のエピクロスの名前から来ています。飲んで、食って、歌って、騒いで、セックスに明け暮れる。生きる意味とは、快感を感じ取ることにあるのです。快楽こそがすべてなのです。人間は必ず死んでしまうのですから、短い人生を最大限に楽しみましょう、という考え方。しかし、何に快感を感じるかは、人それそれぞれでして、エピクロスのように、質素な生活に快感を見いだす人もいるわけです。こういうのを、静かな快楽と言います。
死に至る病
哲学者のキルケゴールが書いた本の題名です。高校生のころに途中まで読んでみたのですが、要するに「絶望とは、死に至る病である」ということで、いろいろなことが書いてあるわけです。しかし、これは難解な本でして、今でも覚えているチンプンカンプンな一節があります。「人間とは何か。人間とは精神である。精神とは何か。精神とは自己である。自己とは何か。自己とはひとつの関係、その関係それ自身に関係する関係である」。オイ、なんのこっちゃ。
ツァラトゥストラはかく語りき
哲学者ニーチェの代表作のひとつです。これも高校生のころに読んだ本なのですが、今から振り返ってみれば、誇大妄想にとりつかれたアブナイおじさんが書いた本、という感じです。作曲家のリヒアルト・シュトラウスがこの本の題名をそのまま使って作曲した有名な曲がありますが、どこかのプロレスラーがリングに登場するときに、この曲を使ってましたね。映画「2001年宇宙の旅」でもこの曲が使われています。
悟りを開いたツァラトゥストラは、「すさまじい諧謔(かいぎゃく=冗談という意味)を弄する嘲笑者」として下界に降りていって、「神は死んだ」とか言って、バッサ、バッサと俗世を切り捨てていって、やがて大いなる思想に到達するということなのです。詩的で暗示的な表現力についてはすばらしいものがありますが、なんだかねぇ。
5月14日追加分(13語)
自律神経失調症
医学的には、こういう診断名は存在しません。しかし、なぜ存在しないはずの病名が、広く出回っているのかというと、患者の訴える症状が多様だったりして、病名がつけられないようなときに、とりあえずもっともらしい病名をつけるときに使える、非常に便利な病名だからです。この病名の解説書がたくさん出ているのも、売れるからです。
不定愁訴
「愁訴」という言葉は、苦しみや悲しみを嘆きながら訴えるという意味です。患者がこんな風な感じで、いろいろな体の症状を訴えるのですが、その訴える症状も一定ではなくて、いろいろと変化したりします。そして、原因となるような病気も発見できません。こいう状態を、不定愁訴症候群と言ったりします。自律神経失調症と言うこともあります。
心気症
体のささいな不調に対して非常に過敏になって、その症状に執拗にこだわります。そして、これは重大な病気の徴候ではないかのと疑って、不安感に駆られたり、脅えたりする症状のことです。
ヒポコンドリー
心気症のことです。略して「ヒポコン」と言うこともあります。
心気妄想
どこにも異常がないのに、自分は病気にかかっていると確信します。病名としては、ガンとか性病とかが選ばれやすいです。妄想ですので、いくら間違いを指摘しても、本人の考えを変えることはできません。
ヒステリー
精神的な葛藤が、体の機能障害になどに置き換えられて出現する症状を言います。たとえば、医学的にはどこにも異常がないのに、目が見えなくなったり、声が出なくなったり、体が麻痺したり、歩けなくなったりといった、多彩な症状を見せます。体の障害だけではなくて、記憶が消えたり、多重人格になったりといった、解離性の障害もヒステリーの中に含まれます。これらの症状は、無意識のレベルで作られているために、意志の力で症状をコントロールすることが出来ません。ヒステリーという言葉は、差別的な意味も持っていますので、現在ではほとんど使われなくなりました。
仮病
いやなことを避けるために、病気を装いますが、精神的には病的でないものを言います。
詐病(さびょう)
社会的、経済的な利益を得るために、意図的に病気を装って、人を欺くことを言います。保険金をだまし取ろうとしたり、精神病を装って刑罰を逃れようとしたりするのがこれです。
虚偽性障害
心の寂しさを埋め合わせるために、意図的に病気のふりをして、周りの人から看病してもらおうとします。誰かにかまってもらいたいという、病的な思いが背後にあります。
詳しくはこちら→「虚偽性障害」
BPD
境界性人格障害(Borderline Personality Disorder)の英語の頭文字を使った略語です。
人格障害
感情や行動に、著しい逸脱傾向がみられる症状で、ほかの精神症状では説明できないようなものを言います。
詳しくはこちら→「人格障害とはなにか」
血液型性格学
これは疑似科学のひとつの典型でして、実際には血液型と性格は関係ありません。当然のことながら、医学部でも、心理学部でも、血液型と性格の関係については教えていません。しかし、なぜ人は血液性格学を信じるのかというのことは、心理学的な研究テーマとなることもあります。血液型ブームは、現代風俗のひとつとしてとらえた方がいいのではないかと思います。
妄想
訂正不能な、間違った考えのことを言います。いくら論理的な説明をしても、間違った考えを訂正することは不可能です。もしも、説得によって間違いに気づいたとしたら、それは妄想ではありません。しかし、なにをもって「間違った考え」とするのかという点を、とことん突き詰めていくと、なにがなんだか訳が分からなくなってしまいます。とくに思想や宗教の問題になるとやっかいです。
5月5日に掲載した分(9語)
境界性人格障害
人格障害の一種で、情緒の不安定さや、空虚感、見捨てられることへの恐怖、破滅的な行動、キレやすさ、などが特徴です。
詳しくはこちら→ 境界例とは何か (境界性人格障害)
境界例
神経症、うつ病、統合失調症(精神分裂病のこと)などにまたがる境界領域の症状を広くカバーする概念で、境界性人格障害もこの中に含まれてしまいます。もともとが臨床の現場から発生した漠然とした概念ですので、診断基準のようなものは存在しませんし、研究者によっても境界例の意味する範囲がかなり違ってきたりします。しかし、境界性人格障害よりも、境界例と言った方が言葉としての通りがいいですし、症状を広くカバーしていますので、使い勝手のいい言葉であります。しかし、両者を区別しなければならないときには、言葉を使い分けなければなりません。
ボーダーライン
英語の borderline のことです。直訳すると国境線とか、境界線とかいう意味ですが、精神医学でこの言葉を使うときには、境界例(borderline case)や、境界性人格障害(borderline personality disorder)などを略した言葉として使われます。さらに言葉を詰めて、「ボーダー」などと言う人もいます。
境界パーソナリティ構造
アメリカのカーンバーグという精神分析医が提唱した、三つのパーソナリティ構造のうちのひとつです。境界例を一つの臨床単位としてとらえようとしていて、分裂や投影性同一視などの防衛機制を重視しています。カーンバーグのこのような主張は、境界性人格障害の診断基準を作成する際に大きな影響を与えました。しかし、この言葉は、現在はほとんど使われていません。
境界型人格障害
境界「性」という言葉を使うか、境界「型」という言葉を使うかの違いだけで、意味は同じです。一般的には、境界性人格障害と書かれますが、たまに境界型と書く人もいます。
境界例人格障害
境界性人格障害の意味で使われているようですが、こういう表現は非常に少数派です。そういうば「境界例と自己愛の障害」という本で、この言葉を使ってますね。....。
as if パーソナリティ
as if という言葉は、「〜であるかのような」という意味です。アメリカの精神分析医のドイチュという人が提唱した人格障害の一種でして、一見正常であるかのような順応性を持ってはいるものの、いまだに自我の確立していない人格のことを言います。境界例と非常に関係の深い概念でありまして、「かのようなパーソナリティ」と書くこともあります。
詳しくはこちら→ as if 状態と境界例感
解離性人格障害
人格障害に、このような診断名は存在しません。この言葉は、どうやら多重人格という意味で使われているようです。多重人格というのは、正式には「解離性同一性障害」という診断名になっていますが、改訂される前の診断基準では、多重人格障害となっていましたので、人格障害の一種であるかのような誤解が生まれたのかもしれません。
乖離(かいり)
乖離の「乖」という字は、訓読みにすると、「乖く(そむく)」と書いたりします。ですので、乖離と書くと、背いて離れるという意味になります。しかし、今ではこういう古い漢字は使わずに、解離と書くのが一般的で、たとえば「解離性障害」というような表記になります。しかし、これをあえて「乖離性障害」と書きますと、自分の意志に背いて、もう一人の自分が離れて行ってしまうという、実に症状にぴったりの意味深い表記になりますね。むむむ。