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過去の受容 10

性的逸脱
  Ver 1.0 1999/10/06


 境界例の人の中には、快感に対してルーズなタイプがいます。どのような快感かと言いますと、たとえば性的な快感、アルコールによる酩酊、覚醒剤などによるものなどです。このようにして得られる快楽の世界に、ズルズルとはまり込んでゆくのです。あるいはこういった快感とは反対の、自虐的で苦痛に満ちた快感にはまってゆく場合もあります。たとえば代表的なものとして、リストカット(手首自傷)などによるものがあります。リストカットがなぜ快感になるのか、と思われる人もいるかもしれませんが、リストカットを繰り返す人にとっては、手首を切ったときというのは一種の強烈な快感のようなものがあって、一度やるとなかなかやめられなくなるそうです。リストカットの心理的な動機としては一般に四つほど挙げられていますが、そのうちのひとつに、他の快感とも共通する部分がありますので、少し触れてみたいと思います。それはどういうものなのかと言いますと、「離人状態から自己の現実感覚を取り戻す試み」という部分です。これをもう少し具体的に書いてみます。

 精神状態の背景に見捨てられ感がある場合、常にある種の空虚感につきまとわれたりします。虚無の世界に吸い込まれてしまうようなやるせなさのようなもの、とでも言った方が分かりやすいでしょうか。このような底なしの空虚感というのは、直視するにはあまりにも辛いために、本人にはほとんど意識されないことが多いようです。この空虚感が意識されそうになると、すぐに行動化によって、自分で自分をごまかしてしまうからです。ですから、空虚感そのものはあまり意識されずに、「何でもいいから強い刺激が欲しい」というふうに、行動化への激しい衝動のみが意識されるかもしれません。あるいは空虚感が強い場合は、本人の意識としては、なにか精神的に窒息しそうな閉塞感となって感じられたりします。そして、この窒息しそうな閉塞感や空虚感、あるいは自分が自分でないような心理状態から抜け出して、自分が自分であることを確認するために、強い刺激を求めたりします。そして、自虐傾向の強い人は手首を切ったり、拳で血が出るまで壁を殴り続けてみたり、バットで自分の手や足を殴ったりします。このようにして、自虐的な苦痛によって、消えてしまいそうだった自分自身を取り戻すことができるのです。逃避傾向のある人は、アルコール、セックス、無謀運転、薬物などの快感による刺激に走ったりします。このような行動によって得られる快感によって、自分の存在のか細い火が消えないようにしているのです。このような精神状態というのは、私流に言うと、「我、感ずる、ゆえに我あり」という表現になります。つまり、自分が現実にここに存在しているのだということを、強い刺激を感じることで確認しているのです。しかし、このような感覚が意識に登らないような場合には、本人の意識としては、ついついお酒に手が伸びてしまうとか、なんとなく寂しくなって誰かに抱かれたくなったとか、突然手首を切りたいという激しい衝動に駆られたとか、そういった、行動化の面しか意識されないかもしれません。

 特に性的な刺激というのは、自慰も含めて言えば、誰にでも簡単に得られるものです。特に女性の場合は、誘惑者に応じるだけで、比較的簡単に行きずりのセックスに身を任せたりすることができますので、皆さんの中にも、今までに数え切れないくらいたくさんの人とセックスをしてきたという人もいることでしょう。境界例の人の場合、自分で自分を見捨てているような部分がありますので、糸の切れたタコのように、誘惑されるままフラフラとどこまでも快楽に流されていったりします。思考の面においても、快楽主義的な価値感を持ち、乱交状態を理想化したりします。あるいは、人によっては自虐的になって、自らヤリマンとか、公衆便所とか呼ばれることを誇りに思ったりします。「一人や二人とするよりも、まとめて十人、二十人とした方が後に残らなくていい」と豪語するような女性もいるようです。裸の上に大きめのTシャツをたった一枚だけ着て、ナンパ目的の男たちがたむろしているような所へ夜中に出かけて行って、来る者拒まずで、無差別の性交をしたりします。こうなると、それこそ文字通り「不特定多数」とのセックスということになります。犯罪に巻き込まれるリスクとか、性病に感染するリスクとかには、あまり関心がないようです。

 このような性的な快楽は、自分の存在の確認という意味の他に、幼いころに得られなかった、オッパイを吸うことによって得られる唇の快感を、性的な快感によって補おうとしているという面もあります。ですから、まるで空腹のあまりにオッパイをむさぼり食うかのような、非常に激しい性行動となったりするのです。しかし、このような乱れた性生活をしているからといって、必ずしもセックスで十分な快楽を得ていない場合もあります。このような人の場合、セックスの快感よりも抱かれること、あるいは誰かにかまってもらいたい、ということが目的となっているようです。

 さらに性的な逸脱が進むと、反社会的な行動に走ったりします。露出や痴漢、レイプ、などさまざまなものがありますが、このような反社会的なものであっても、インーネット上では、簡単に仲間と出会うことができます。そして、そこで得られる情報によって、さらに深みにはまってゆく人もいます。中には、このような情報に接することで、眠っていた願望に目覚める人もいます。たとえば、痴漢が情報を交換し合う掲示板などを読んで、自分もやってみようかと思う人が出てきたり、近親相姦の体験を語り合う掲示板で、他の人から励まされて禁断の一歩を踏み出したりといったようなことも実際に起きています。

 このような性的な逸脱性やルーズさから抜け出すためには、ひとつの方法として制限を設けることです。とは言っても、行動を制限しようとしたとたんに、いままで隠されていた空虚感などが、禁断症状という形で現われてきます。これはかなり強いものですので、あまり厳格な行動制限をしますと、すぐに挫折してしまいます。ですから、自分で出来る範囲内のごく簡単なものから、時間をかけてやっていった方がいいかもしれません。しかし、刺激を遮断すると、分離不安から来る精神的な居心地の悪さを感じ、何かせずにはいられなくなったりしますが、耐えられる範囲内で、少しずつやっていくしかありません。あるいは、制限を設けなくても、たとえば行きずりのセックスを繰り返している人の場合でも、治療などによって分離不安から来る空虚感などが改善してゆけば、自分を大切にしようという考えが生まれてきて、結果として行きずりのセックスや乱交から身を引くということもあります。

 ただ、快楽主義のような哲学を持っていたり、リスクに対する特殊な考えを持っているような場合は、なかなか難しいでしょう。思想的な問題を精神医学的な視点から捉えるということに反感を持つ人もいるでしょう。こういう人は、最初から自分のやっていることに疑問を持っていませんし、思想や信仰の自由の問題もありますので、第三者がとやかく言えるものではありません。たとえば、アメリカの乱交系の掲示板を見ていたら、エイズに対してこんな考えを持っている人がいて、驚いたことがあります。あるお医者さんが発した警告に対する反論として、「エイズに感染する危険性というのは、政府がガンなどの他の問題から目をそらすために、意図的に大げさに言われているものであって、本当はたいしたことがないのだ。実際、私の周囲にはエイズになった人は誰もいないではないか。そういう、政府のでっちあげたいい加減な数字で、我々を脅すとは何ごとか。我々に謝罪すべきだ」という、なんともすごい事を言っていましたが、まあ、アメリカでコンドームも着けずに乱交を繰り返すには、こんな極端な考え方でも持っていないと出来ないのかもしれません。

 このようにして境界例的な心理状態によって、自分の意志で性的な逸脱に踏み出すほかに、レイプや性的虐待などの暴力的な強制によって、性的な逸脱を身体に刻み込まれてしまうケースもあります。たとえば一回のレイプだけでは済まずに、写真やビデオに撮られて、それを使って脅迫され、その後長期間にわたって何人もの男たちに繰り返し輪姦されたり、あるいはどこかに監禁されて変態的なことをされ続けたりと言ったような悲惨なケースもあります。このような脅迫行為は、レイプだけではなくて、援助交際やテレクラなどを通じた出会いでも発生しているようです。このような被害にあった場合には、当然のことながら、精神的に強烈なダメージを受けます。今まで平和な生活を送っていたのに、ある日突然十人、二十人の男たちに輪姦され、写真やビデオに撮られ、あげくの果てはゴミのように置き去りにされたりすると、自分の人生がボロボロになってしまいます。風呂に入って、自分の膣から流れ出る、どこの誰だか分からない男たちの精液を洗い流さなければならない屈辱感や惨めさは相当なものです。そして、自分は汚されてしまったのだ、もう以前の自分には戻れなくなってしまったのだという、悲しい事実と向き合わなければならなくなります。男性に対する恐怖心から、恋愛が出来なくなったり、夫婦関係が一切持てなくなったり、あるいはまったくの不感症になったりすることもあります。人によっては精神的に立ち直り、肉体的にもそれなりの男女関係が持てるようになる人もいますが、そうなるまでには長い長い時間がかかってしまいます。

 最初から分離不安を持っているような人の場合には、レイプなどをきっかけに、リストカットをするようになったり、解離と言って記憶が所々抜け落ちたり、さまざまな混乱した境界例的な症状が現れたりします。そして、さらに厄介な問題は、感じてしまった場合です。自分は被害者であるはずなのに、繰り返し犯される事で感じてしまい自己嫌悪に陥ったりします。あるいは、脅されながら変態的な事を刷り込まれてしまい、忌まわしい出来事であるはずなのに、その時のことを思い出すと感じてしまう自分に悩んだりするのです。体の仕組みから言って、本来感じるようにできている部分を長時間にわたって繰り返し刺激されたりすると、屈辱的な状況であっても感じてしまうのは、ある程度は仕方のない面もありますが、それをレイプ犯からバカにされたりして、さらに屈辱的な気持ちを味わされたりします。

 このような強制的に歪められてしまった性的な指向性というのは、非常に難しい問題を含んでいます。輪姦されて悲惨な目に遭ったはずなのに、輪姦願望を抱くようになったり、あるいは虐待的な犯され方を望んだりしている自分に直面して苦しむのです。問題がレイプだけであれば、支援団体もあり、相談に乗ってくれる人もいるでしょうが、性欲の問題になりますと、こういう人たちはすぐに引いてしまいます。ましてや、犯されたいなどということを口にしようものなら、途端に変態呼ばわりされて追い出されてしまいます。では、どうしたらいいのかというと、こういう問題は、精神療法によってある程度は対応できるのではないかと思います。しかし、これはあくまでも本人が、歪んだものを直したいという意志を持っている場合であって、虐待的でマゾヒズム的な世界に自分から入っていくような場合はどうしようもありません。

 このほかにも、同性愛や幼児性愛、浣腸マニア、SM、覗き、露出などのさまざまな性的な逸脱がありますが、こういう性的な問題というのは、もし、自分で何とか修正したいという意志を持っている場合には、背後にエディプス・コンプレックスなどが潜んでいたりしますので、精神分析による治療がいいのではないかと思います。しかし、これは手間も時間もかかる治療になりますので、治療するよりは、たとえ変態と言われようとも、今のままで生きていこうという決断も、ひとつの選択肢として浮上してきます。そして、そういう道を選ぶのであれば、さまざまな問題を背負っていく覚悟が必要となります。たとえば同性愛であれば、結婚の問題や子供が持てないと言う問題などを、受け入れていかなければなりません。すでに今現在そのようにして生きている人もいるでしょう。あるいは、異性装の人の中には、男なのに女装したまま女性として面接を受け、女性として採用され、そのまま誰にも疑われずに女性として仕事をしている人も実際にいるようです。ただこのような場合、健康診断の日や社内旅行の日は、何らかの理由をつけて休まなければならないという問題を抱えることになります。逸脱への道を歩み出すということは、覚悟を決めて選んだ道ではあると思いますが、もし、精神的に辛くなったら、治療を受けてみるのもいいかもしれません。


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